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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

セルフ・ヴィンテージ その2

さてもう一つのヴィンテージ・アイテムはデニムのジャケット、いわゆるGジャンだ。

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こいつを買ったのは先ほどのLeeよりも確かもう少しあとで、80年代半ばだったと思う。これまた世間的には価値などなかろう。それでも軽く30年である。特にSR500に乗ってた頃によくコイツを着ていた。キック始動の単気筒とGジャンはよく合う気がした。これでバイクに乗っていると何となくキカイダーになった気分がするのですね。基本アホなのですね。

ただしGジャンには防水防風防護性ストレッチ性といった機能は全くない。バイクだと前から寒風がどしどし入ってお腹を壊すし、キャンプでは少しの雨でもズクズクになって風邪をひく。ワイルドだろお?方面の趣味は全くないのでその後は革ジャンやシェラパーカーなどにとって代わられた。

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日本製 リーバイス これはマァ本物でしょう。

このGジャンに先程のLeeのGパンとの黄金ヴィンテージ・ペアを上下で着てみるとしかし、イマイチ互いの色の差が微妙過ぎる気がする。巷でもGジャン+Gパンの組み合わせは「基本的にアウト!」と世間の評判はよろしくない。いっそギターでも背負うかとも思ったが、そこまで逸脱する勇気はまだない。

しかしGジャン+Gパンは本来働き人にとっては当然の組み合わせだ。頑丈なデニムはそもそも作業着だった。それをわざわざ普段に着て、権威への反抗、自由の精神の象徴としたのが始まりである。その根っこをすっ飛ばして上辺だけをファッション目線で見るからおかしな事になるのだろう。はては「セレブ御用達デニム」など妙なるものがお出ましになる。ジェームス・ディーンも土の下で目を丸くしているだろう。

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だからコイツラは作業着としてガレージに吊るしておくのが最も相ふさわしいと思う。「男おいどん」の押入れの守り神の学生服みたいなものか。

しかし「着ない服は捨てる」が断捨離の厳しい掟である。そこまで断捨離経典に盲従する義理もなかろうが、一旦始めたものを途中でウヤムヤにするのもなんだか癪である。

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しかるに30年も40年も自分と一緒にいたこの二着を軽々には捨てられない。捨てられないなら着るほかあるまい。

先ほど書いたようにGジャンは丈夫なだけが取り柄の実に潔い衣服だ。外着にするよりもバイクのメンテなどガレージ作業をするときに着てやるのがよかろう。ちょっとゴワつくがこれもじきに馴染む。春先ならそのままバイクの試運転がてらに近くの河川敷に行くのもいい。オイルにまみれたGジャンは誰が何と言おうとカッコイイのだ。

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セルフ・ヴィンテージ

30年もののブルーのジャンパーを蔵出ししてきて羽織ってひとり悦に入っているコームテンのオッサンのブログ主である。

なんでもこういうことを「セルフ・ヴィンテージ」と呼ぶそうだ。わざわざ「セルフ」をつける意味がよくわからないが「ボロばかり着ているセコオヤジ」よりはなんぼかマシなので、喜んでその称号を頂戴しておく。もとより古着を買う趣味が無いのでそっちの方は不案内だ。

自宅に眠る古い衣類は他にもまだある。

一つはジーンズ。

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何の変哲も無い直球ストレート。高校生時代のものだから40年越え。我が家に現存する最古の衣服である。そんな値打ちモンではない…と思う…よう知らんけど…

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Lee Riders

コイツは確か学校の近くのGパン屋で買った。あの頃、ジーンズはGパンと呼ばれていた。自分は今でもそう呼ぶ。「何じゃこりゃああああ」のGパンだ。デニムとかジーンズとか、どうもヨソ行きの言葉に感じてこそばゆい。コーデュロイもコール天だったりする。ベルベットを別珍とまではさすがに言わないけれど。

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日本語で「アメリカ製」と書いてあるタグ。例の口悪男なら「ニセモンやんケ〜」とホタえるだろう。とりあえず「TALON」のジップがついていますが。

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サイズ表記は油性ペンで殴り書き!この「雑さ」がアメリケエーンの証。

別にどこも傷んではいなく今でも履ける。ただし腰回りがやや窮屈だ。昨今の楽々ストレッチ系のパンツに慣らされた脆弱なブログ主だから、これで外出する気にはチトならない。腰痛持ちにとって腰回りの血流を阻害するタイトな服は禁忌という事もある。

まあGパンというのは下ろしたて洗いたては硬いものだ。着ているうちに段々と身に沿ってくる。革ジャンも同じく、そういうところもまた古風。

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17才の時のジーンズを今でも履ける体型だと言うとなんだか自慢している様でアレだが、実は自分は高校時代が65kgと最も太っていた。徒歩7分の通学距離で、ひねもす食っては寝るだけのノタリ生活だったからである。

その後は電車通学となり、さらに就職した先が色々シンドイ職場で体重を52kgまで減らした。自営になってからは通勤距離ゼロ。加えて狂信的デコ課長なんて上司とも無縁な環境でブクブクと体重は元に戻ってきた。それでまたこのLee様に足を通させていただけるようになったという次第である。

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このLee様が今日まで生きながらえたのは、若き日の暗黒カンパニー時代にダボダボで履かなかったからだ。我がボテ腹が収まるかどうかのベンチマークとすれば貪欲過食の戒めとしては格好であろう。

 

 

 

ブルーのジャンパー その3

そもそも、工務店ジャンパーと嘲ったその口さがない友人は、私の父親が町の小さな工務店経営だと知っていてわざとそう馬鹿にしたのである。単なるお笑いのボケではなく、チクリとトゲが刺さり、そこにはいささかの毒が含まれている。

豆腐屋のオッサンやんけ!」

と言われてたら

「あいよ、厚揚げ一丁お待ちぃ!」

などと返したかもしれない。

自分はそのジャンパーを着なくなった。その後も見るたびに、何だかもモヤとしてドス黒く苦々しいものが胸に広がる。やがてジャンパーは押入れの奥に眠ったままになった。

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それが今回発掘されたものである。

ちょっとダークな記憶はあるが、ジャンパーには何ら罪はない。あるとすれば、その場の笑いをとる為に友達を平気で馬鹿にする人間の方だ、ということを今では分かっている。捨てるべきはどちらか、自明であろう。

別にブランドものを崇拝する趣味はないが、自分はコイツをもう一度着ることにした。

今では自分も工務店のオッサンである、もはやなんと言われようが気にする事はない。むしろ工務店のオッサンが着ている一見作業服っぽいジャンパーが、その実はバーバリー製で、さらに何十年も前にロンドンの本店で自ら買い求めたモノである、という方がよほどイワクが付いていておもしろい。

生地はしっかりしていて傷みはない。

シンプルなハリントンジャケットスタイルで流行も廃りも無縁の定番デザインだから、今でもそんなに古く見えない。ファッション方面から見ればイマドキではなかろうしオヤジっぽかろう。軽佻な雀はピイチクパアチクさえずってればいい。断捨離の精神とは、何も服を捨てる所にだけ存する訳でもあるまい。

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ブルーのジャンパー その2

これは自分が若かりし頃、英国でひと月ほど過ごした折にロンドンの荘厳極まりないバーバリー本店で買い求めたものだ。出どころとしてはこれ以上の本家本元は考えられまい。

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バーバリーロンドンでそのジャンパーを試着した自分の相手をしてくれたのはマーク・レスターのその後、といった感じの金髪の男性店員で、同行の女子共は一発でトロンとした目になった。自分は何よりそのジャンパーの控えめな出立ちが気にいったが、プライスタグを見てひるんでいた。

するとその哀愁のマーク・レスター仮称)が

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「このジャケットはとても綺麗なブルーで、サイズもよく合っている。買うのは良い判断だ」

とやや赤味のさした頬で囁くような声で言うのである。

「イイじゃなあい」

「買いなさいよお」

同行の女子連中もトロンとした目のままで後押しする。

ここで買わなかったら

「ああらイクジがないのねえ」と一生言われそうな勢いである。

手持ちのT/C(ポンド、当時)の残額がいささか心もとなかったので

「日本円、ダイジョブカ?」

と聞いたら

「勿論。ここはロンドンのバーバリーである。全世界の通貨が使える」

と片方の眉と口角を上げて澄ましている。

滞在中ずっと懐に秘めていた日本国銀行券壱萬円札をここぞとばかりに数枚手渡した。マークは聖徳太子像(当時)をしげしげという感じで眺めている。何か太子にまつわる史実を言ってやろうとしたが咄嗟にはからっきし出ない。

「和を以って貴しとなす」

を英語でどう言えばいいか、などと考えている内に会計は終わった。

マークに見送られつつ店の外に出ると同行の女子共が

「い〜い買い物したわよね〜え」

「ね〜え」

とトロンとした目のままで羨ましがる。脳内には"メロディ・フェア"が鳴り響いているに違いない。マーク・レスター効果恐るべしである。

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だからこのジャンパーは三陽商会が版権を得てライセンス生産していた日本のバーバリー製品よりもむしろ由緒は正しいかもしれない。そんなことを言ってもかえって嫌味なだけだから誰にも言わないが。

 

ブルーのジャンパー

断捨離途中、奥の方からブルーのジャンパーが出てきた。

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実はバーバリー製だったりする。

胸元にこれ見よがしのロゴマークの刺繍など何もない。裏地もよくある派手なベージュのアレではなく、濃紺に赤とグレーのラインのチェック。その裏地はウールで暖かく、腕はサテン地で大変着心地が良い。学生の頃のイギリス土産だからもう35年以上前のものになる。

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三年どころかもう何十年も着ていない。断捨離ルールにのっとれば処分対象に仕分けられてしまう老兵だ。

コイツをなぜ着なくなったかについては少し訳がある。

ずいぶん以前のことだ。呑みにいったある日、友人が自分の姿を見るなり

「プギャー、何そのジャンパー?!工務店のオッサンやんけぇー」

と嘲り笑った。

そのときに着ていたのがこのジャンパーである。確かに、濃いめのサックスブルーなので飲み屋の様な薄暗い所では作業服にも見える。冴えた青味や襟元からのぞく上品なウールのチェックの裏地などを気付けと言っても無理がある。もとより黙っていてもモノの値打ちを見抜ける類の趣味人ではない。

以来その服を着ていくと、

「来ィーよった!工務店のオッサンがァー」

と嗤われるようになった。

周りの人間もこぞって

「便所の修理ですか?」

「あ、工事の人は裏回って」

などと言ってからかう。

大阪というのはそうした土地柄なのである。

しかし自分はちょっと鼻白んだ。

「作業服ちゃうぞ一応バーバリーやぞ」

と言って脱いで見せてもお馴染みのベージュのバーバリーカラーではないので一向に押しが効かない。

「にせモンちゃうンかソッレー!!」

と酒焼けしたダミ声でカサにかかってツッコまれる始末である。

商店街の店先のワゴンの上の怪しげな処分品ならともかく、このジャンパーはむろん正真正銘の歴とした本物である。

なにしろ購入した場所が尋常ではない・・・

 

断捨る

先日着なくなった衣服を整理した。

いわゆる断捨離というやつだ。それなら目が悪くてもできるだろう、と家人からゴミ袋を持たされてクローゼットの前に立った。クローゼットの中は衣服で溢れかえっている。それは何もブログ主がオシャレさんだからではない。単に古い洋服を捨てる勇気がないだけである。

断捨離の達人とやらによると「三年着ないものは二度と着ない、目をつぶって全て処分せよ」とのご託宣である。「中には三年ではなく一年だ!」という猛者もいるが、喪服や防寒着の類は場合によると丸一年着ないこともある。そういう人たちはハムスター並の寿命のなのだろうか。

ともかく、その基準に従って仕分けてみるとかなりの服が処分対象となった。

そのほとんどが別に傷んでもいないしサイズが合わなくなった訳でもない。なぜ着なくなったかというと、ただ単に流行ではなくなったからで衣服としての機能には何ら問題はない。中には2、3度袖を通しただけのものもあってからに、ああもう実にもったいない。

一昔前お気に入りだった革のジャケットを試しに着てみた。

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ふた回りほどサイズが大きく感じてしまう。ホントにこんなの着てたのだろうかと目を疑う。今時これを着て外を歩く勇気は自分にはない。

捨てる勇気も着通す勇気もない。どうしようもない私が鏡に写っている。山頭火か。

しかし繊維物はともかく、革なら端切れにすれば小物として再生可能ではなかろうか。シープスキンだから自分の様な初心者の革細工には向かないかもしれないが、裏地くらいには使えるだろう。そう思ってこのジャケットを解体してみた。貧乏性とはこのことである。

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洋服を分解するのは初めての経験だ。

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解体といってもカッターで切っただけだが、それでも相当骨が折れた。肩にはパッドが縫い付けられているし、必要な場所は裏地に補強が入れられている。ポケットの入り口や襟などもヨレない工夫が様々になされている。一枚の服が形になるには実に多数の手間が掛けられている、ということがよくわかった。部分によって革の種類を変えて使われている。

まさに人知と労力の結集である。このジャケットは確か3万円もしなかったと思うが、こんなの自分で一からやれと言われたら10万円もらっても引き合わぬ。いや幾ら積まれたところで形にすることすら不可能だろう。

衣服を生産した人の労力、それを輸送したり販売したりしたエネルギー、そしてその対価として自分がそれを買った経済力。それら一切合切を「流行・トレンド」とやらが押し流してしまう。「ダサい」のたった一言で。

人間の虚栄心というものは実に罪深いものだ。

 

秋走る

ウルトラ成分入りの注射のご利益があったのかなかったのか、なんとなく目の調子が良くなったような気がしないでもない、と言ってもやぶさかではなさそうな塩梅であるのかもしれない。よう知らんけど。

となると途端にバイクに乗って走り出してしまうのだから阿呆な生き物である。最初はマァちょっとご近所を試しにチョロチョロ、のつもりが気づけばいつもの山坂道。わけいってもわけいっても青二才、てな調子で走ってきた。

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今季初の革ジャンを着込んでいったものの、山奥はずいぶんと寒い。そのぶん、紅葉が綺麗だ。せっかくカメラを替えたのに紅葉写真がないのは大変遺憾だが、いつもバイクを停める場所が工事中だったので致し方ない。山頂の休憩スポットも閉鎖されている。

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さて走りの方だが、30分ほどの山道であからさまにブレーキングが遅れたことが二回、はしたなくもヒザを開いてしまったことが二回・・・流してたにもかかわらず・・・評価は?「ロ〜ボコン0点」と脳内のガンツ先生が告げる。「うらら〜」

いずれも深い右コーナー。やっぱり眼の影響のようだ。コーナーの奥行きが掴みづらく、スピード感覚も狂っている。通りなれた道でさえこのテイタラクでは初見のワインディングではどうなるか知れた事ではない。

山を越えて光秀の居城を抜けて山裾に広がる農地の中を走る。この辺りの開けた景色が好きだ。良さげな農道をみつけては入りこんで写真を撮ってみる。

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遠くに山があって田んぼと畑がある、マ、なんてことのない田舎風景だが、空間の広がり具合になんとなく心がなごむ。ホッカイドーでもなければ信州でもない、そんな名もない場所に、見れば小さな椅子に腰掛けてスケッチブックを開いている御仁がいる。うむ同好の士にあらん。道端に古い軽のワンボックスがころんと停まっている。ヨシ、歳をとったらあの手だな。心密かにほくそ笑む。