sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

新しい仕事3 「天恵」

第二の人生のスタートで、身体はしんどく時間に自由がきかなくなった。けれどもデメリットばかりでもないよ、というお話の続き。

前回述べた運動不足解消の他のメリットとしては、頭の老化防止がある。

最近はクイズ番組でも瞬時に答えが出せるし、脳トレゲームなどで従来の2倍(※当社比)ハイスコアを更新している。物忘れやウッカリミスなども明らかに減少(※当社比)してきた。かようにブログ主の脳細胞は躍進著しい(※個人の感想です)

これは仕事場でのコミュニケーションが増え、脳が活発に動くようになったからだと思う。今まではあまり人との会話はなく、自分の頭の中のみで独断専行→自家撞着を堂々巡りし、漠然とした不安と焦燥感に怯えていた。いつも頭の中にモヤがかかっていたのが、スッキリ晴れて見通しが良くなった気がする。

考えてみれば認知症予備軍だったのかもしれない。あのまま何もせず年金生活になってボーッと生きてたら、腹は出るわ足腰は弱るわ脳はフヤけるわで、間違いなくチコちゃんに叱られていただろう。危ない所であった。

さて、第二の人生のデメリットというかネガティヴ面でよく凋落感、都落ち感みたいなものが語られる。
「この俺がこんな事をせねばならんのか〜ククク」
というやつである。

メンツとかプライドとかをいたく傷つけられる。それが嫌で定年後は働きに出ず、悠々自適を決め込む、というか引きこもって家でゴロゴロする人も多いらしい(そういう人はその後"怒れる老人"化しそうな気がするが) どうも現役時代ブチョーだのジチョーだの呼ばれていた人ほど陥りやすいという。

そういえば一応自分もシャチョーと呼ばれるのだが・・・思ったほどには「このオレが」感は抱かなかった。
ま、シャチョーといっても社員ゼロ、零細自営の一匹狼だから当たり前で、自慢する様な輝かしい業績やたくさんの部下を従えた経歴などもありはしない。お偉いさんとの折衝も資金繰りも掃き掃除もお茶汲みも全部自分でやっている。
確かに、今の仕事での裁量度の低さは時によっては歯がゆくも感じる。だがそれは決断も責任も求められない気楽さとバーターだ(経営する者のストレスたるや半端ではない)

新しい職場で娘の様な年恰好の若いスタッフの指示にも素直に従っている。自分の知らない仕事を教えてくれる人をリスペクトするのは当然だと思える。これは向こうが(例えタメ口だったとしても)年上に対する最低限のリスペクトをもって接してくれているのが感じられるからでもある。今の時代、年齢を関係性に持ち込むのは古い価値観かもしれないが、例えばこっちが
「何を若造が偉そうに」
という態度なら相手だって
「やっぱ使えね〜な昭和のジジイは」
となるだろう。逆もまたしかりだと思う。
お互いの敬意と信頼、その上でフラットで公平な関係を築けたら仕事はスムーズに運ぶ。

そう思うと、自分は幸いなことに一緒に働く仕事仲間に恵まれているようだ。
割と女性が多い職場で、ほとんどが自分より1回り〜2回りほど若い。そしてこれは業界ゆえか、みな明るく気さくで何というか心根が真っ直ぐだ(むろん例外的に 自己中な奴もいるけれど)

ひるがえってドケン業界はと見渡せば、
おおかた元ヤン崩れか脳筋オラオラ系、または権謀づくの策士が多く、常にマウントの取り合いでスキを見せれば食い物にされる(むろん気のいい鉄骨屋、みたいな例外はいる)
体感的には海沿いの猫カフェと歌舞伎町の麻雀屋くらいの差がある。

だから、自分にとってはもうそれだけで十分な癒しなのだ。
一匹狼、といえば聞こえはいいが、老いて痩せ衰えた野良犬みたいな自分を、みな親切に気遣ってくれ、慕ってさえくれている。この齢にして、たくさんの心優しい仲間を得ること叶ったのだ。これは何よりの天恵と思っている。

 

新しい仕事2「働くということ」

愚痴ばかり言ってても仕方ない。

ともかくも働いて生活費の足しにしなければならぬ。還暦も越えたところだし、第二の人生の準備を始めること思いたったのは去年の正月頃。

家業ゆえあれこれのシガラミを捨て切るわけにもいかず、当面二足のワラジは仕方ない。だとしても、私利私欲にまみれたパワープレイと中間搾取に明け暮れるドケンギョーカイからは極力遠ざかった方面に行きたい。

むろん資格も経験も捨てこの年で再スタートとなれば現実的にラクな仕事はないだろう。しかし誰にも頼らずシンプルに一人の労働者に立ち帰り、ただ黙々と働きたい、なろう事なら世間の役に立つ仕事がしたい、という希求は以前より自分の中に強くあった。

そんな折、たまたま身内が世話になっている施設が人手不足に喘いでいると知った。
「ぜひお手伝いさせて頂きたい」と申し出たところ、
「それは大変ありがたいのですが、、」
ああ、やっぱり工務店経営の還暦越えたオッサンなんか使いにくいかな、と思っていたら、
「さすがに身内同志ではやはり何かと気兼ねもあろうかと思います・・・同業の他所に応募いただけたら、巡り巡ってこちらに人材も来ましょうし、お気持ちも無駄にはなりません」
と言われてその視野の広さ寛容さに深く感じ入った。

以降、それなりに紆余曲折はあったが、ここで苦労話などするつもりはない。手短に言うと幸いにして雇って貰う事が出来た。これが去年の春頃の話。

さて実際に働いてみると・・・

やはり現業、肉体労働とは言わないまでも楽なものではない。初めての仕事で慣れぬのもあったろうが、最初の数ヶ月は正直言ってかなりキツかった。その後に網膜剥離を起こした時には「しまった無理し過ぎた」と唇を噛んだものだ(過労ではなく単に老化が原因と言われたのは以前に述べた通り)

ようやく一年が過ぎ、今では仕事にも慣れて随分落ち着いてはきた。それでも一日終われば身体はすっかり疲れ切っている。帰れば後はメシフロネルのみで21〜22時に寝て5時に起きる生活パターンとなった。休みや空いてる時間には工務店の仕事もある。夜の自由時間はほぼなくなり、模型を作ったりブログを書いたりなどは更に遠のいてしまった、という顛末だ。

まあ身体的にシンドイのは落差が大きく感じるのだろう。

考えてみれば通勤時間ゼロで移動は基本クルマ、安穏と事務作業をして合間に現場に行っては小一時間ほど立って見てるだけのグータラ自営業・・・今までが楽をし過ぎていたのだ。

「これが働くということだ」と我が身に沁みて感じる。もう少し早くから体を慣らしておけばよかったとも思うが、これが先延ばしして65や70になってイキナリだとそれこそ身体を壊して潰れていたかもしれない。まだ体が動くうちに再始動出来て良かった。なまってた足腰も少しづつ活性化されてきて、身体全身が目覚めたような感じがする。

先日の健診では内臓脂肪などの数値が劇的に改善されていて驚いた。新しい仕事についてむしろ運動不足解消のメリットはあったということだ。

そう、第二の人生の新しいお仕事、実はデメリットばかりでもない・・・

というお話は次回。

 

新しい仕事1 「今の仕事」

気付くと前回の更新より半年経っている。ブログや模型などはどうしても後回しになり誠に申し訳ない。 目の病気で眼精疲労が出やすいのもあるが、新しい仕事を初めてさらに忙しくなったのが大きい。

新しい仕事の前に自分のもともとの職業の話を少ししておかねばならないだろう。

自分の生業は建築関係、零細自営の工務店だ。といっても自ら汗水垂らして現場で働いていた訳ではない(街の小規模な工務店の多くは第一線の現場を引いた叩き上げの大工の棟梁などが経営している)ウチはただ職人さんを差配してマージンを取る。

それが父親から引き継いだ家業だ。友人に「手配師」なぞというひどい呼び方をされたことまである。実際、職人から搾り取り、客からかすめとって飯を食っている。「そんなこと、いちいち気に病んでたら商売にならん」とは父親の口癖だった。

職人だって当方がカナヅチと釘袋持って現場を踏んだ経験がないくらいはすぐ察知する。少しでも弱気を見せればたちまちナメてくる。そして財力権力最後には腕力が物言う我がドケン業界である。そこにダニみたいなフドーサンヤだの策略家の図面屋だのエゴ丸出しの地主だのが絡んでくる。自分のような何ほどの力も持たぬ押し出しの弱い男は、よほど抜け目なく才気走って立ち回らねばならない。

さすがに自分はそこまでは徹し切れない。

物を作ることは好きだから現場にいると楽しくはあるが、仕上がりにこだわるからか経費は嵩みがちだ。かといって懸命に働く気のいい職人さんを見ていると値段交渉を切り出せず、「一円でも安く」とうるさく言う客に追加請求するのも腰が引ける。すぐに大声で恫喝してくるコワモテ連中には歯が立たない。そうして釘一本打たぬ自分を恥じてついつい自らの利潤を削ってしまう。

気が弱いのか、バカなのか、たぶんどっちもなのだろう。

そもそも向いてない、とよく言われるが、家業なのだから選択の余地はないし、本人の向き不向きや好き嫌いなどはさらさら通じない。儲けは薄く、蓄えは減る一方、騙した騙されたの嫌な記憶だけが心の底に澱の様に溜まっていく。

さてはて、どうしたものか・・・

 

網膜が弱い

少し更新が遠のいていますが、それにはやっぱり訳があって、、、というお話を今回はさせていただくのでございます。

この夏の出来事。
急に右眼にゴミクズの様なものが浮かんで見える様になった。今は福祉関係のお手伝いもしていて、そのストレスや疲労が目にきたのかな、と思っていた。

ネットで検索すると、飛蚊症【ヒブンショウ】というらしく、まず多くのケースが放置しておいても別に、、、みたいなことが記されている。

そういえば「飛蚊症は心配あれへん、ワシもいっぱい飛んどんがな」と友人が言っていたのを思い出す。中には飛蚊症に効くツボまで紹介されているサイトもあるのでそれを見ながら指をつまんだりしていたのである。

ところが知り合いの看護師に

「それはダメ!今すぐ診察してもらって!」と叱られた。自分は一昨年に同じ右眼で妙な病気にもなっているから眼に対して懸念はないでもない。念の為かかりつけの眼科に診て貰うことにした。蚊が飛び出してから4、5日たってからのことだ。蚊はドンドン増えて、もはや目の前がゴジャゴジャ状態である。

すると眼科医(女医)は

「アンラぁ網膜剥離を起こしかけてるわねえ・・・」

いくらウロンな自分でもモーマクハクリがかなりマズイ事らしい、くらいは知っている。

目の前が文字通り真っ暗になった気がした。

「今すぐレーザー処置しまぁす」というからさらにたまげた。

「ええ〜今すぐぅ〜?本当かいサザエ〜?」

などとオドオドしていたら、

「完全に剥がれたら手術ですよッ、二週間入院してずっとうつ伏せ寝よッ!仕事復帰は2~3ヶ月先!ほっといたら失明よアナタ!」と詰め寄られる。

そこで剥がれかけた網膜の周囲をレーザー光線で焼いて止める処置をすることになった。

レーザー光線発射装置!・・・は想像していたほどオオゲサなものではなく、診察室の片隅からカラカラと引き出してこれるほどコンパクトなもので、診察椅子に座ったまま処置がされる。大きな魚眼レンズみたいなのを右目に無理やりはめこまれる。ビジュアルは半魚人チックになってるだろうと想像すると気色悪い。

レーザー自体は痛くはない。痛くはないが一発ごとにビシッビシっと衝撃を感じる。何十発食らったろうか、やはり辛くはなってくる。ゴジラの気持ちがよく分かった。

術後に画像を見せてもらうと、レーザー痕で二重にびっしり囲んである。コンマ何ミリの話だからすごい。眼科医の手腕の確かさもよく分かった。腕の良いお医者様に当たった幸運を感謝する他ない。「たたた助かりやしたッ、あ、ありがとうごぜえますぅ〜」と南方仁を伏し拝む江戸時代の町人の気分である。

いったん様子をみて数日後にもう一度レーザー処置をビッシビシ受ける。

まあ経過は順調、とのことでホッとする。

「やはり目の使いすぎからきてるのでしょうかねぇ?」と聞くと凄腕の女医さんは

「ん〜過労もあるかもだけど、ま、老化ね」とあッけらかんと仰る。

カロウカロウカロウカと続けてたらいつの間にかロウカになってる、というギャグを即座に思いついたが、さすがに口にはしなかった。

「どうもあなたは生まれ付き網膜が弱いらしいわねェ・・・」という眼科医の御託宣である。網膜にも強い弱いがあるとは知らなかった。生まれ付きなら今更どうしようもない。生来、胃腸も弱いし心臓も弱い、足腰も弱いし、なんなら頭も弱い。弱い所だらけである。よくまあ今まで無事に生き延びてきたものだ。

術後は違和感もあったし、あまり無理はしない様に言われ1週間ほど安静にしていた。4か月経った今では随分良くなって眼前の蚊は少なくなった。なったものの何匹かはまだ飛んでいる。消えないらしいからコイツラとは生涯付き合わなくてはならぬ。

視力自体は変わらないので差し当たり車の運転などは問題ない(やや眩しさに敏感になって、疲れやすくなった気はする)前の病気の後遺症もあって近くはさらにさらに見えなくなった。なあに片目にはもう慣れてらあ・・・と強がってみたものの、プラモデルなどは難儀しそうだ。パソコンやスマホなどはとても疲れるので極力見ない様にしている。(この文章も数回に分けて書いている)

今回、やはり専門的な人の意見に耳を傾けなければならない、という教訓を得た。ネットの怪しげな情報や友人の体験談などをウノミにしてたら今頃エライことになっていたろう。人は自分の欲している情報のみを選択しがちになる、いわゆる”正常性バイアス”で「自分(の状況)は正常範囲内である」と思いたいのだ。というわけなのでこれを読んでいる皆様方もどうかご自愛ください。

ってな文章自体もネットの怪しい情報には違いないのだけど・・・

いやまあ別に

余命を宣告されたとか言うわけでは全然ありませんのでご心配なく。

色々あってとりまぎれております。

相変わらずアホな考え事したりプラモデル作ったりバイクに乗ったりは、してます。

時々が、ごくたまに、になっただけで。

そのうち慣れると思います。

to M

大空へ 海へ ふるさとへ

私はもうすぐ 還っていく

私の短い人生は 私の生き方で生きたから

もう一度 若い頃へ 戻りたいと思う事もない

私の好きだった あの人も今では もう死んでしまったかしら・・・

 

              老人のつぶやき

                    オフコース

May  you rest in peace.

カンコンソーサイ?

自分で仕立てた冠婚葬祭用の時計を得て、安心しているブログ主であった。

これでソーシキでもケッコンシキでも何でも来い、である。

ところが、ところが・・・

老父母が家族葬にしたいと言い出した。

聞けば、親戚や知人が次々病気になったり亡くなったりして身内ですら遠方だと年末の喪中欠礼状でようやくその逝去を知る、という具合らしい。自分たちの葬儀に一体何人が参列するのか、甚だ怪しくなってきてのう、などと呟く。齢九十も越えればまあそんなものかも知れぬ。

一般的な大型葬儀というのも大変である。祭壇の見栄えがどうとか献花の並び方がアレだとかの段取りに追われ、見も知らぬ大勢の参列者の前で要らぬ気を遣い、弔電や焼香の順番だのの形式に縛られる。喪主などはクタクタになる。そうして何百万もの金が掛かる。

どうも世間体と葬儀屋&ボウズの為に執り行ってるようなフシもある。

だからだろうか、身内だけの家族葬が増えてきているようだ。そういえば自分の知人(現役バリバリ世代)が亡くなった時ですら家族葬だった。

例えばウチの場合、親子孫までに限定すれば人数は6人くらいなので葬儀も小さな規模で済む。むしろその方が落ち着いて温かく見送れるだろう。誰を呼ぶ彼を呼ばぬと気にすることも自分たちの身なりに必要以上に気を使うこともない。腕時計やカバンがどうこうなんぞ、取るに足らぬ話だ。

ん、SEIKO5、要らないかも?

ソーサイはそんな方向性になった。

さてカンコンの方だ。

自分の息子がこのたび結婚した。実にめでたい。しかし結婚式はナシ、披露宴も結納もナシである。最近ではこれを"地味婚"を通り越して"ナシ婚"というらしい。

確かにホテルでの披露宴というのは大掛かりな割にはさほど良い思い出になっていない。あんなものは形骸化の最たるものである。

本当に招待したい友達は呼べず、会った事もない仕事関係のお偉方にスピーチを頼まねばならず、本人達はお飾り状態でほとんど誰とも話せない。新婦は着せ替え人形で食事にも手をつけない、新郎の足元には注がれたビールを捨てるバケツが置かれる、という有り様だ。当人たちはやっぱりクタクタになってそれで数百万飛んでいく。

あれも親の見栄と式場屋の為に執り行っているフシがある。

今回はフォトウェディングのみだという。

景色の良い所でプロのカメラマンに撮影してもらって、まあついでに家族とも記念写真を撮って、せっかくだからその辺でみんな一緒に食事でもしましょう、という、いたってカジュアルな感じであった。なにより当人達はとても幸せそうだったし、向こうの家族とも楽しく親しくお話が出来たからとても良かった。

自分はかろうじてスーツを着て行った。腕時計は、、、しばし考えて結局いつものハミルトンカーキにした。

虚礼虚飾形式を廃し、フランクに誠実にお互いを紹介しあう席なのだ、と心得たからだ。スイス製のコーキュー腕時計だのでは間尺に合わぬ。ヤフオクで2000円で競り落として自分で磨きたおしたSEIKO5ではちょっと変化球にすぎる。今の自分のメインの腕時計で自分らしさを表現するのがふさわしい。そう思って見るとハミルトンカーキは充分な面構えをしてくれているではないか。

 

ん、SEIKO5、要らないかも?