sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

網膜が弱い

少し更新が遠のいていますが、それにはやっぱり訳があって、、、というお話を今回はさせていただくのでございます。

この夏の出来事。
急に右眼にゴミクズの様なものが浮かんで見える様になった。今は福祉関係のお手伝いもしていて、そのストレスや疲労が目にきたのかな、と思っていた。

ネットで検索すると、飛蚊症【ヒブンショウ】というらしく、まず多くのケースが放置しておいても別に、、、みたいなことが記されている。

そういえば「飛蚊症は心配あれへん、ワシもいっぱい飛んどんがな」と友人が言っていたのを思い出す。中には飛蚊症に効くツボまで紹介されているサイトもあるのでそれを見ながら指をつまんだりしていたのである。

ところが知り合いの看護師に

「それはダメ!今すぐ診察してもらって!」と叱られた。自分は一昨年に同じ右眼で妙な病気にもなっているから眼に対して懸念はないでもない。念の為かかりつけの眼科に診て貰うことにした。蚊が飛び出してから4、5日たってからのことだ。蚊はドンドン増えて、もはや目の前がゴジャゴジャ状態である。

すると眼科医(女医)は

「アンラぁ網膜剥離を起こしかけてるわねえ・・・」

いくらウロンな自分でもモーマクハクリがかなりマズイ事らしい、くらいは知っている。

目の前が文字通り真っ暗になった気がした。

「今すぐレーザー処置しまぁす」というからさらにたまげた。

「ええ〜今すぐぅ〜?本当かいサザエ〜?」

などとオドオドしていたら、

「完全に剥がれたら手術ですよッ、二週間入院してずっとうつ伏せ寝よッ!仕事復帰は2~3ヶ月先!ほっといたら失明よアナタ!」と詰め寄られる。

そこで剥がれかけた網膜の周囲をレーザー光線で焼いて止める処置をすることになった。

レーザー光線発射装置!・・・は想像していたほどオオゲサなものではなく、診察室の片隅からカラカラと引き出してこれるほどコンパクトなもので、診察椅子に座ったまま処置がされる。大きな魚眼レンズみたいなのを右目に無理やりはめこまれる。ビジュアルは半魚人チックになってるだろうと想像すると気色悪い。

レーザー自体は痛くはない。痛くはないが一発ごとにビシッビシっと衝撃を感じる。何十発食らったろうか、やはり辛くはなってくる。ゴジラの気持ちがよく分かった。

術後に画像を見せてもらうと、レーザー痕で二重にびっしり囲んである。コンマ何ミリの話だからすごい。眼科医の手腕の確かさもよく分かった。腕の良いお医者様に当たった幸運を感謝する他ない。「たたた助かりやしたッ、あ、ありがとうごぜえますぅ〜」と南方仁を伏し拝む江戸時代の町人の気分である。

いったん様子をみて数日後にもう一度レーザー処置をビッシビシ受ける。

まあ経過は順調、とのことでホッとする。

「やはり目の使いすぎからきてるのでしょうかねぇ?」と聞くと凄腕の女医さんは

「ん〜過労もあるかもだけど、ま、老化ね」とあッけらかんと仰る。

カロウカロウカロウカと続けてたらいつの間にかロウカになってる、というギャグを即座に思いついたが、さすがに口にはしなかった。

「どうもあなたは生まれ付き網膜が弱いらしいわねェ・・・」という眼科医の御託宣である。網膜にも強い弱いがあるとは知らなかった。生まれ付きなら今更どうしようもない。生来、胃腸も弱いし心臓も弱い、足腰も弱いし、なんなら頭も弱い。弱い所だらけである。よくまあ今まで無事に生き延びてきたものだ。

術後は違和感もあったし、あまり無理はしない様に言われ1週間ほど安静にしていた。4か月経った今では随分良くなって眼前の蚊は少なくなった。なったものの何匹かはまだ飛んでいる。消えないらしいからコイツラとは生涯付き合わなくてはならぬ。

視力自体は変わらないので差し当たり車の運転などは問題ない(やや眩しさに敏感になって、疲れやすくなった気はする)前の病気の後遺症もあって近くはさらにさらに見えなくなった。なあに片目にはもう慣れてらあ・・・と強がってみたものの、プラモデルなどは難儀しそうだ。パソコンやスマホなどはとても疲れるので極力見ない様にしている。(この文章も数回に分けて書いている)

今回、やはり専門的な人の意見に耳を傾けなければならない、という教訓を得た。ネットの怪しげな情報や友人の体験談などをウノミにしてたら今頃エライことになっていたろう。人は自分の欲している情報のみを選択しがちになる、いわゆる”正常性バイアス”で「自分(の状況)は正常範囲内である」と思いたいのだ。というわけなのでこれを読んでいる皆様方もどうかご自愛ください。

ってな文章自体もネットの怪しい情報には違いないのだけど・・・

いやまあ別に

余命を宣告されたとか言うわけでは全然ありませんのでご心配なく。

色々あってとりまぎれております。

相変わらずアホな考え事したりプラモデル作ったりバイクに乗ったりは、してます。

時々が、ごくたまに、になっただけで。

そのうち慣れると思います。

to M

大空へ 海へ ふるさとへ

私はもうすぐ 還っていく

私の短い人生は 私の生き方で生きたから

もう一度 若い頃へ 戻りたいと思う事もない

私の好きだった あの人も今では もう死んでしまったかしら・・・

 

              老人のつぶやき

                    オフコース

May  you rest in peace.

カンコンソーサイ?

自分で仕立てた冠婚葬祭用の時計を得て、安心しているブログ主であった。

これでソーシキでもケッコンシキでも何でも来い、である。

ところが、ところが・・・

老父母が家族葬にしたいと言い出した。

聞けば、親戚や知人が次々病気になったり亡くなったりして身内ですら遠方だと年末の喪中欠礼状でようやくその逝去を知る、という具合らしい。自分たちの葬儀に一体何人が参列するのか、甚だ怪しくなってきてのう、などと呟く。齢九十も越えればまあそんなものかも知れぬ。

一般的な大型葬儀というのも大変である。祭壇の見栄えがどうとか献花の並び方がアレだとかの段取りに追われ、見も知らぬ大勢の参列者の前で要らぬ気を遣い、弔電や焼香の順番だのの形式に縛られる。喪主などはクタクタになる。そうして何百万もの金が掛かる。

どうも世間体と葬儀屋&ボウズの為に執り行ってるようなフシもある。

だからだろうか、身内だけの家族葬が増えてきているようだ。そういえば自分の知人(現役バリバリ世代)が亡くなった時ですら家族葬だった。

例えばウチの場合、親子孫までに限定すれば人数は6人くらいなので葬儀も小さな規模で済む。むしろその方が落ち着いて温かく見送れるだろう。誰を呼ぶ彼を呼ばぬと気にすることも自分たちの身なりに必要以上に気を使うこともない。腕時計やカバンがどうこうなんぞ、取るに足らぬ話だ。

ん、SEIKO5、要らないかも?

ソーサイはそんな方向性になった。

さてカンコンの方だ。

自分の息子がこのたび結婚した。実にめでたい。しかし結婚式はナシ、披露宴も結納もナシである。最近ではこれを"地味婚"を通り越して"ナシ婚"というらしい。

確かにホテルでの披露宴というのは大掛かりな割にはさほど良い思い出になっていない。あんなものは形骸化の最たるものである。

本当に招待したい友達は呼べず、会った事もない仕事関係のお偉方にスピーチを頼まねばならず、本人達はお飾り状態でほとんど誰とも話せない。新婦は着せ替え人形で食事にも手をつけない、新郎の足元には注がれたビールを捨てるバケツが置かれる、という有り様だ。当人たちはやっぱりクタクタになってそれで数百万飛んでいく。

あれも親の見栄と式場屋の為に執り行っているフシがある。

今回はフォトウェディングのみだという。

景色の良い所でプロのカメラマンに撮影してもらって、まあついでに家族とも記念写真を撮って、せっかくだからその辺でみんな一緒に食事でもしましょう、という、いたってカジュアルな感じであった。なにより当人達はとても幸せそうだったし、向こうの家族とも楽しく親しくお話が出来たからとても良かった。

自分はかろうじてスーツを着て行った。腕時計は、、、しばし考えて結局いつものハミルトンカーキにした。

虚礼虚飾形式を廃し、フランクに誠実にお互いを紹介しあう席なのだ、と心得たからだ。スイス製のコーキュー腕時計だのでは間尺に合わぬ。ヤフオクで2000円で競り落として自分で磨きたおしたSEIKO5ではちょっと変化球にすぎる。今の自分のメインの腕時計で自分らしさを表現するのがふさわしい。そう思って見るとハミルトンカーキは充分な面構えをしてくれているではないか。

 

ん、SEIKO5、要らないかも?

SEIKO 5_その10「腕に輝く地上の星」

この優秀極まりない「2号」のキャリパーを前回磨いた「1号」のケースに組み込む事にした。ニコイチするのはなんだかイクラウニ丼をかきこむゼータクもんみたいで気が引けるが、考えてみればこの2台がウチにやってきたのも何かの縁だ。その2つのSEIKO 5の歴史を合体させ、新たに自分の腕で再び時を刻ませることができるのだ。それも供養というものではないか。使われなかった1号のキャリパーや2号の本体ケースも報われよう。

 1号(本郷猛、、、違う違う)

2号(一文字隼人、、違うって)

 

その姿がこちら・・・

もう一度上の1号の画像と比べて見て欲しい。

坊っちゃん、ご立派になられて・・・とキヨでなくとも涙ぐむだろう。

カレンダーはあえて日本語表記にしてある。

結構厚みがあって腕に心地よい重量感を伝えてくれる。

この佇まい、なんとも良いです。ケース「1号」が「実直」キャリパー「2号」が「謹厳」であわせてめでたく「謹厳実直」となり、このSEIKO 5のイメージと冠婚葬祭用途にピッタリである。

ブログ主の人間性とはやや隔たりがある様にも思えるが、腕に巻くと少しはご利益があるかもしれぬ、と思って最近では葬式でもないのに時々身につけているブログ主であります。



SEIKO 5_その9「星の真の実力」

SEIKO 5 「星の2号」のデータを月曜から土曜まで6日間連続でとってみた。

貧相な腕で申し訳ない

月曜朝に2分(150回くらい)振ってゼンマイを巻いて、あとは日中12時間着用、夜12時間は机の上に平置き。これを毎日繰り返す。自分は事務作業中などは時計を外す方だが、データの均一性のために我慢してずっと腕につけいていた。

これでどこまで持つか?そして精度は?

結果、このSEIKO 5「星の2号」は途中で一切ゼンマイを巻くことなく一週間を乗り切った。連続稼働時間160時間を越える。(腕につけてる限りは延々動くんじゃないだろうか、と思う)

土曜の夜8時頃に外してそのまま日曜はお休み、ということで丸一日平置きで放置。

そうするとその夜中午前4時に停止していた。腕から外してからはだいたい30時間後だから実際のパワーリザーブはもっとあるはずだ。稼働時間はまずまず実用範囲と言える(オイラみたいな週休6日のいたって昭和な稼業なら・・・だけど)

さらに精度は6日後の土曜までの週間累計誤差が+47秒・・・つまり・・・

平均日差8秒弱、という望外な数字だ。

一週間使って土曜の夜の時点で47秒、それはつまり分針で見て「ああ遅れているナ」と認識できるかどうか、といった程度である。少なくとも自分の実生活ではほぼ無視できる誤差だと思う。現在でも毎週月曜の朝に時間を合わせて2分ほど振っておけば何の問題もなく使い続けられるだろう。冠婚葬祭専用だけではなく、愛用のハミルトンのスーパーサブとしても十分使えそうだ。

こちらは愛用のハミルトンオート(自分の個体は精度は良くて日差3秒くらい、パワーリザーブはおおむね40時間)

ただし今回SEIKO 5 「星の2号」の日差は最大+19秒、最小-3秒と結構バラ付きがあった。零細自営であるところのブログ主の日中の活動量は日によって大きく違う。柴犬のごとく走り回る時もあればコアラの様にグダグダ過ごす日もあるからそれが原因かもしれぬ。しかしまあmaxの20秒プラスと考えても新品時のカタログデータ内には収まっている。

50年の時を経た機械が、である。大したものだと言っていいだろう。これが1,800円、もう誰がなんと言おうが掘り出し物に間違いない。

「最初にそっちを買っていレバ良かったんや」・・・ってな事は言っても無意味だ。同じタラレバを言うのならむしろ、「どーせ中古なんて似た様なもんや」なぞと諦めてタラ、こいつには巡り会えなかったんだ、と思いたい。

しかしこの精度、人為的に調整されている様な気もする。

現代の7s26キャリパーは完全に機械組み立てになっており無調整で出荷されるようになった、と聞く。逆に考えれば70年代当時は出荷前に人の手による簡単な調整があったのかもしれない。

いや、だとしても現在に至るまで50年間も工場出荷時の機械精度を保持出来るものなのか?

裏蓋を取った時の状況(1号ほどではないもののサビて固着していた)を見る限りでは近年はノータッチのはずだ。

あるいは新品購入後10~15年ほどで一旦オーバーホール&調整、その後ほどなく買換えたか何かで30年ほどお蔵入り、、、今回人手に渡った、という推理はどうか?

しかし、頑丈かつ安価な普及品であるSEIKO 5に高額な費用を掛けてまでオーバーホールする人はそんなにいないとも思われる。

いずれにせよこの「星の2号」は大事に扱われてきたことに違いなかろう。ケースも綺麗だし、持ち主のイメージは「真面目」「謹厳」といったところか。

 

 

 

 

SEIKO 5_その8「星の2号」

ご乱心のSEIKO 5のキャリパーを前に思案投首のブログ主である。

あれほど苦労して磨いた本体が無駄になるのは忍びない。

もう一度似たようなデザインの程度の良い中古を買って中身だけ入れ替えようか?

むろん次のキャリパーも同じ様な結果になる可能性は十分ある。

新品を買って入れ替えればそりゃあ確実だが本末転倒も甚だしい所業だ。

これに懲りて中古時計に手を出すのをキッパリやめてしまえば利口かもしれない。

しかし、たまたまハズレを引いただけとも考えられる。たかだか一回の経験だけで全てをわかったような気になるのはブロガーの悪いところだ。ビビっていてばかりでは人生つまらない。

こうなりゃ意地である。いわゆる「ドックラワーバ・サラマーディ効果」が自分の中に発動しはじめ、気づけばオークションサイトを睨んでいる。

と言ってもこれ以上無駄遣いするわけにもいかない。今度は機械の状態を重点に置き、精度に関してなんらかの記述のあるものを前提とする。

年ずれば通ず。某ヤフオクでほどなく見つけることができた。これまた50年近く前のものだ。販売者は業者で「精度よく稼働」とあるから信じてみる。1円スタートで3000円越えたら諦めかなと思ってたら競合相手はほぼおらずなんと1,800円ほどで落札。みんな昭和レトロテイストの派手なブルー文字盤などのスポーティなデザインを好むのだろうか。はたまたこのレベルのSEIKO5はやっぱり機械がアレでみんな手を出さないのか・・・?

やってきたSEIKO 5、名付けて「星の2号」を見ると外観の程度は以前の「星の1号」よりも随分と良い。ペンペラペンの見るからに昭和な金属ベルトがオマケで付いていて、これは使う積もりはないが着用テスト用に入れ歯洗浄剤で入念に洗っておく。

まず、針を動かす時点でオっとなる。以前の困ったちゃん「星の1号」のリュウズはもっと重かった。そう思えばなにやら自動巻のオモリが回る手応えも軽快な気がする。今回は期待が持てるかも?!ウクヒヒヒ!などとほくそ笑みながらじっくりと2分ほど時計を振る、はたからみれば奇人変人の類である。

やっぱりジャンクか?はたまた堀出し品か?期待と不安の平置きテストの結果。普通に24時間は平気で稼働し、日差はおおむね10秒くらいと良好だ。今度はペンペラペン金属ベルトを付けての実用装着テストで一週間ほど念入りに様子をみてみよう。