第二の人生のスタートで、身体はしんどく時間に自由がきかなくなった。けれどもデメリットばかりでもないよ、というお話の続き。
前回述べた運動不足解消の他のメリットとしては、頭の老化防止がある。
最近はクイズ番組でも瞬時に答えが出せるし、脳トレゲームなどで従来の2倍(※当社比)ハイスコアを更新している。物忘れやウッカリミスなども明らかに減少(※当社比)してきた。かようにブログ主の脳細胞は躍進著しい(※個人の感想です)
これは仕事場でのコミュニケーションが増え、脳が活発に動くようになったからだと思う。今まではあまり人との会話はなく、自分の頭の中のみで独断専行→自家撞着を堂々巡りし、漠然とした不安と焦燥感に怯えていた。いつも頭の中にモヤがかかっていた。それがスッキリ晴れて見通しが良くなった気がする。
そう思うと認知症予備軍だったのかもしれない。あのまま何もせず年金生活になってボーッと生きてたら、腹は出るわ足腰は弱るわ脳はフヤけるわで、間違いなくチコちゃんに叱られていただろう。危ない所だ。
さて、第二の人生のデメリットというかネガティヴ面でよく凋落感、都落ち感みたいなものが語られる。
「この俺がこんな事をせねばならんのか〜ククク」
というやつである。
メンツとかプライドとかをいたく傷つけられるのだろう。それが嫌で定年後は働きに出ず、悠々自適、というか引きこもって家でゴロゴロする人も多いらしい(そういう人はその後"怒れる老人"化しそうな気がするが) どうも現役時代ブチョーだのジチョーだの呼ばれていた人ほど陥りやすいという。
そういえば一応自分もシャチョーと呼ばれるのだが・・・第二の人生スタートに当たって、思ったほどには「このオレがククク」感は抱かなかった。
ま、シャチョーといっても社員ゼロ、零細自営の一匹狼、自慢する様な輝かしい業績やたくさんの部下を従えた経歴などありはしない。お偉い役人さんとの折衝から資金繰り、はたまたお茶汲みからドブ掃除に至るまで、全部自分でやっている。
確かに、第二の人生での仕事においての裁量度の低さは時によっては歯がゆくも感じる。だがそれは決断も責任も求められない気楽さとバーターだ。経営する者が常に孤独な重圧下にある事は身に染みて知っている。
新しい職場では娘の様な年恰好の若いスタッフの指示にも素直に従える。自分の知らない仕事を教えてくれる人をリスペクトするのは当然だと思う。これは向こうが(例えタメ口だったとしても)年上に対する最低限のリスペクトをもってくれていると感じられるからでもある。
例えばこっちが
「なあ〜にを若造が偉そうに」
という態度なら相手だって
「やっぱ使えね〜な昭和のジジイは」
となるだろう。逆もまたしかりだと思う。そういうのは隠していても透けて見えるものだ。
今の時代、年齢を関係性に持ち込むのは古い価値観かもしれない。とはいえ、お互いの敬意と信頼、その上でフラットでさっぱりしたフレンドリーな関係を築けたら職場環境は充分スムーズなものとなるだろう。
そう思うと、自分は幸いなことに一緒に働く仕事仲間に恵まれているようだ。
割と女性が多い職場で、ほとんどが自分より1回り〜2回りほど若い。そしてこれは業界ゆえか、みな明るく気さくで何というか心根が歪んでない(むろん例外的に 自己中な奴もいるけれど)
ひるがえってドケン業界はと見渡せば、
おおかた元ヤン崩れか脳筋オラオラ系、または権謀づくの策士が多く、常にマウントの取り合いでスキを見せれば食い物にされる(むろん例外的に「気のいい鉄骨屋」みたいなのもいる)
体感的には海沿いの猫カフェと歌舞伎町の麻雀屋くらいの差がある。
だから、自分にとってはもうそれだけで十分な癒しなのだ。
一匹狼、といえば聞こえはいいが、老いて痩せ衰えた野良犬みたいな自分を、みな親切に気遣ってくれ、慕ってさえくれている。
この齢にして、たくさんの心優しい仲間を得ること叶ったのだ。これは何よりの天恵と思っている。