お昼にキャベツの千切りと目玉焼きとトーストだけではショボイ気がしているブログ主である。
そこで、一計を案じた。
一階の坪庭に折り畳みのテーブルとチェアを引っ張り出してきた。アウトドアランチにするのだ。一坪半=3畳の猫の額みたいな狭〜いスペースだけど、部屋の外には違いない。

純和風なのは前の住人の趣味。 白木の縁台と浴衣が似合うかもしれないが・・・
食器もキャンプ用の薄くて小さな金属製にチェンジ。これだけでショボくれ感が消える。野趣というものが生まれるのだ。

手で無造作にちぎったハムや切り損ねたキャベツの葉っぱなどがここで効いてくる。酢とオリーブオイルのテキトーさ加減もなんだかワイルドに思える。毎回味が違うという料理的な低レベルさは、"飽きがこない"という意外な効果の方に心は傾く。(実は最初はちゃんと計って泡立て器で混ぜてドレッシングを作っていたのだがすぐにやめた。面倒なのだ)

室内では耳や肌に閉塞感があるが、たとえ小さな庭でも屋外であればその圧を感じない。木調の小さなスピーカーからブエナ・ビスタやウイリー・ネルソンなんかを流す。小さ〜な音でいい。いや小さ〜な音がいい。
悠然と深々とチェアに腰掛ける。テーブルは食卓としては低すぎるのだけど、逆にガツガツ食べにならない。お皿を口元に持ってきてキャベツを1口食べ、テーブルにお皿を戻す。しっかり噛んで飲み込んだら、今度はトーストを手に取って齧る。そしてまたテーブルのお皿に戻す。いちいちこんな調子だ。自然とペースがスロウになる。泰然自若というか、のんび〜りゆっく〜り食べることができる。
そうすると、気付くことがある。トーストって香ばしいんだ、とか、キャベツのみずみずしさとか、オリーブオイルと酢と黒胡椒がいい感じのハーモニーだな、半熟卵の黄身ってどうしてこんなシアワセ感あふれる味なんだろう、などなど、、、
そんな素材本来のシンプルで繊細な持ち味は、TVやスマホに気を取られながら、イライラガツガツとただカキ込んでしまっては気付かない。
キュウピイ深煎りゴマドレやらカゴメケチャップやらソントンピーナツバターなどの激烈で過剰なウマサで覆い隠してしまっては気付かない。

食べ終わったら食後のコーヒーにしよう。自分の定番はMJBのARMY GREEN。普段使いのものに贅沢はしない。ビターでスモーキー、昔ながらのザックリしたコーヒーだ。

ホーローのカップにたっぷりアメリカンで淹れる。またもやチェアにどっしりもたれかかって、これまたのんび〜りゆっく〜り飲む。お茶受けに素焼きのミックスナッツを一掴み。

TVもスマホも見ようという気にならない。本を読もう。小説はちょっと重いから、こういう時は漢詩なんかがきっと向くに違いない。
「峨眉山月、半輪の月」
「孤帆の遠影、碧空に尽き」
あぁ〜いいなぁ〜。
眼を閉じればお隣の家のトタン壁が消え、水墨画の様な風景がボンヤリ浮かんでくる。
詩歌はどこからでも読み始め、どこでも好きに止められる、そんな自由がある。前回までの筋や登場人物を覚えておく必要もない。なんなら読んだあとに一切忘れてしまっても構わない。その時の感興だけが心に残ればそれでいい。
(誰だい、意味も由来も教えず百人一首を全部暗記してこい、なんて不粋なこと言うのは?)
いつのまにか、とても満ち足りたランチタイムになっている。

味だけでなく量にも不満はない。
上記のメニューで600kcalくらいだ。思ったよりはあるが、普通程度の活動量の5〜60代の成人男性のランチとしてはやや不足、とのAIの判定である。けれども間食などしなくても夕食まで腹持ちは良い。ゆっくり食べると満腹感が得られやすいというが、それだけでもない気がする。
脳と腸は繋がっていると言う。気持ちが落ち着くと胃腸も落ち着くのかもしれない。落ち着いた分、消化も良くなり体に取り込む栄養分も増えるんじゃないか、とは今考えついた自論である。科学的根拠なんぞどこにもない。空の下で食べればどんなものでも美味いし、体も喜ぶんだよ。この気持ち、AIにゃあ、わからんだろうさ。
狭い小さい庭に狭い小さい空が見える。

狭くても小さくても空は空だ。

コーキューリョーテーのカイセキもフレンチのコースも江戸前の寿司屋も、なんだか気詰まりでほぼ味がしない。昼飯でウナギ屋や焼肉屋を目指すツーリングなんてもうこりごりだ。上から目線で「高いもん食わせたろ」とばかりに付き合わされたら、それだけでムナクソ悪くなる。
そんな自分である。
この坪庭ランチはだから大層なお気に入りとなった。

サラダチキンの日

ツナサンドとスクランブルエッグの日

スクランブルエッグは簡単でいい。サラダチキンは水で塩抜きしてある。
これからの梅雨の時期と真夏にどうするかは・・・考え中。








ハイ、出来上がり。


















