sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

クエロの新しい靴

パンクして頓挫中の我がミニベロ、クエロ君。

エアが抜けているのは後輪だからこの度の巣篭もりで太ったか!?と慌てて体重計に飛び乗ったが60.3kgと貧相な値は相変わらず、むしろ減少傾向にある。仕事に出ないせいか食欲もなくなって、このままでは即身成仏コースだ。坊主ならそれも本懐だろうが世俗の自分としてはちっとも有難くない。

体重がシロだとすれば真犯人は重いリアキャリアとアウトドアチェアか、それとも高圧のスリックタイヤで未舗装路を走破したのがマズかったか。いずれにせよクエロに責はない。思慮の足りない行いを重ねる持ち主のオツムが悪りいのだ。

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コンナコトヲ シテイタカラネ…

自転車屋さんの営業自粛に文句はないが、ともかくも自転車は確保しておきたい。多少は用事で出かけるし、健康上の必要もある。ここはひとつ暇つぶしも兼ねてタイヤ交換にチャレンジしよう、と思い立った。

標準で付いてきた幅狭の高圧スリックタイヤは自分にはオーバースペックかつ用途的に不向きとは前々から感じていた事だ。何度も太字にするが自転車にスピードは求めない。泥道でも草むらでも臆することなく、心地良く走れるタイヤの方が自分は嬉しい。

適正サイズで街乗り用のトレッドパターン、可能であれば飴色サイド。となると選択肢はネットで調べてもそう多くはなく……

評判も悪くなさそうだし安心安定のパナレーサーに決定。幅は1.3から1.5へ少しだけupする。多少重くなるだろうがそれに関して否やはない。Amazonでチューブと合わせて前後で5,000円少々とお手頃。

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ついでに予備のチューブとタイヤレバーも

まずないとは思うが出先で修理の際のCO2ボンベを

ネット情報の恩恵を受けてばかりでは申し訳ないので今回から自分の買った商品も紹介する。参考になるかどうか…… 

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アメ色というよりキイロだが、これはすぐ汚れるだろう。
パンク修理程度はやったことはあるが、タイヤ交換はさすがに未経験。まあ理屈は同じだと思うが、ちゃんと予習もしておきたい。これもネットでいろいろ調べる。特にこの動画が大変参考になった。感謝。

www.youtube.com

「新品のタイヤは硬いです」「一番難しいのは小径車」

というマイスターの言葉が気になるが。。。

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雨ニモマケズ、風ニモマケズ、乗リ手ノ重サニモマケヌ丈夫ナ体ヲモチ……といった面構え。

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クイックレバー式だから脱着自体は簡単。

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前のタイヤ。

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iPadで動画を再生、一時停止しながらチューブとタイヤを取り外す。

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左:旧の1.3 右:新しい1.5 チューブの太さはずいぶん違う。
当然中に入るエアのボリュームが大きく、乗り心地が期待できる。

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肝心の作業中の画像がないが、それを撮るには手があと二本は欲しいところだ。
最後の硬い部分をリムにはめる箇所では動画のアドバイスのおかげで苦もなく終了。リアの方は動画を見ずにトライする。案の定、手順を間違って数倍の時間を食うがそれも経験だ。言われるがままにするだけでは忘れてしまう。 いろいろ頭で考えながら自力でやって初めて身につく

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後輪を装着し、前後ブレーキを調整して完了。さらに一段と実用車然としてきたクエロ。

空気圧55Psiで試しに乗ってみると乗り心地が断然いい。段差を神経質に避けないで済むのはなんといっても気が楽だ。かといってママちゃりみたいなユルユルとは一線を画す。新品タイヤゆえか転がり抵抗の増加もさほど気にならず、漕出しもスムーズでスピードも乗る。鉄っちんリアキャリアに比べればタイヤとチューブの重量など騒ぐ程の事でもないのだ。

仔細に観察すればやや跳ねるし、ビシっとした硬質感はかなり角が取れた。そこにヒラリー・ハーンの面影はない。ややたおやかで温かく、微笑む村治佳織といったところか。それはそれで嬉しい方向性。自力で修理したのだ、という満足感も手伝って、今回はご満悦の結果となった。目出たい。

 

 

接触8割削減と自転車のパンク

緊急事態宣言を受け、自分の属する業界も営業を縮小するところが出てきた。3Kならともかく3密には程遠い業態だが、通勤など社会全体に与える影響を考えての事だろう。現場に臨むべき営業担当がリモートワークでは何かと不都合はあるはずで、企業としても苦しい対応を迫られているのだろうと理解と賢察を下賜するのでおじゃる。

当方としても零細自営なりに「接触8割減」に少しでも助力をと考え、「営業自粛中」と小さく書いて事務所のシャッターを下ろした。

緊急の場合の対応(これが結構ある)は勿論するつもりなので全閉にはしない。最初は下の方の2割がたを開けておいたのだが……さすがにこの頓知は伝わりにくいだろうと思い直して2/3程度は開けておくことにした。事務所内が薄暗くなって鬱陶しいという理由もある。

それでも平気で入ってくる者がいる。お客さんならともかく業界関係者だから呆れる。聞けばたいした用でもない。自分だけは特別扱いだと思っているのだとすればよほど不逞不逞しい。

そこでこういうものを作って事務所入口に張り出した。

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これも突破してくるとすれば、大脳活動が活発ならざる手合いに違いない。であればおそらくあちこち出かけては同じように振舞っているはずだ。さらにそれに付き合う連中も同程度と考えられるから、目下のところ最もご遠慮願いたい類いと判別される。

さて我が家の二軒隣の自転車屋さんも一足先に営業を自粛している。店舗は広いしお客でごった返している光景は失礼ながら見たことがない。やはり接触8割減」を慮ってのことだろう。三密でノレン出そうがお上のお咎めなしというのに頭が下がる。

しかしパンクなどした人はチト困るだろうな、と思って我が自転車をみると、タイヤがペシャンコ……

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アチャー

 

余談だがウチのこの張り紙をしげしげと見ていく通行人が増えた。自転車屋さんと並びなので相乗効果もあるかもしれない。中にはわざわざ足を止めて読む人もいる。こんな店でも接触8割減のために閉めているんだ、私もちょっと出歩くのは控えようかしら。。。と思ってくれる人が一人でも増えれば少しは世のためになる、、、のかな? とりあえず5/6まで。そこから先はまた考えないと。。。

 

チェア坪庭

 

さて、このたびの巣篭もりである。

自分も零細自営なので歓迎すべからざる状況ではあるが、、、仕事について書く場所ではないのでここでは差し控える。誰しもが目下の事態に不安や不満を感じているはずだ。
かといって、やみくもに指弾して浅学を露にしても始まらない。警句を振りかざせばその恐ろしさにかえって己の怯懦を思い知る。あえて放胆に振舞っても、蒙昧を上塗りするだけだ。

自分はこの状況下でも出来ればストレスフリーで自分らしくありたいと願う。しかし前提条件として社会に対して可能な限りローインパクトでなければならない。

嬉しい事に自分が有している模型だのクラフトだのという趣味はこういう時に好都合だ。他にも本を読む、音楽を聴く、などなど。これらは社会と隔絶されていても愉しめる。さらに費用もさほどかからないときているから、いささか懐が心許ない今般の状況にはうってつけだ。

しかしまあ、そればかりでは正直息がつまる。

自分には外に出かける類の趣味もある。最近ではバイクや自転車でのお散歩にアウトドア用の椅子を持ち出してチェアリングならぬ「チェアツー」「チェアポタ」と称して一人楽しんでいた。 

 

しかし自転車はまだしもバイクは一旦事あらばクリティカルとなるのは自ずと明らかだ。現下の逼迫する医療のことを思うと、自分は今そういう気にはなれない。

では、自分の家で「チェアリング」はどうだろうか、と考えた。どこにも出かけることなく外気を浴びてゆったり寛げば、軋みつつある人間性も少しは取り戻せるだろう。

世の中にはすでに「ガーデンキャンピング」というジャンルがある。残念なことに自分の家にそんな豪勢が展開できる"庭"はない。その代わりといってはなんだが小さな坪庭がある。

「京の町屋」は家の真ん中に中庭をしつらえている。狭く細長い敷地で薄暗くなるところを、明かりと風通しを得るためであるが、自然を生活の中に取り込んで住む人の心を和ませる、といった効果もある。まさに先人の工夫と知恵である。

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実家が古くなって建替えとなった時に、狭く細長く薄暗かった家に中庭のアイデアを取り入れて設計した。そのくらいは商売柄だから気は回る。この坪庭に面した陽光豊かな和室で母親は茶道と華道を教えていた。

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いまはその家を引き継いだ自分が住んでいる。茶道華道など典雅な趣味にはとんと縁がなく、さらにあいにく自分の手の色は緑ではなかったようだ。結果、坪庭はあまり手入れをされず、自然のままの姿でいる。

そこにやおら折り畳みのアウトドアチェアを持ち出した。

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なんだか和洋折衷もいいところだ。

改めて見回すとここには庭としての美はない。伸び放題で散漫でいささか陰鬱でさえある。そこで荒れ放題の償いにまずは少々草むしりをした。放置されていた植木鉢も片付けた。飾り物好きだった父親があちこちに置いていた小さな壺や陶器の狛犬だの屋根瓦だのもこの際だから目立たぬ葉陰や片隅に押しやった。

 

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灯籠やつくばいだけは今更どうしようもないが、それでも幾分かはさっぱりとした。

少し肌寒かったのでマウンテンパーカーとマフラーでアウトドア気分を出す。ドアから一歩も出ずにアウトドアとはこれいかに。紅茶のポットとマグカップをテーブルに置き、坪庭の片隅に陣取ってみる。 

どんなにしてもたった一坪半しかないので窮屈さは否めない。そのうち半坪を自分が占拠しているので目の前はまさに一坪きりである。まあ開放感が過ぎた望みだとはわかっていたことだ。これでも仰ぎ見れば空は見える、、、

 

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。。。小せえ空だなあ、、、市街地に無理矢理押し込めた銭湯の露店風呂みたいだ。

空の方でも「狭い坪庭で何やらうごめいておるぞ。おお、人間だ人間だ。小さいのう」などと思っているに違いない。「井の中の蛙、大海を知らず」という句を思い出さずにはおれない。

 

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「されど天の蒼さを知る」と続けるのを無二の楽しみとしている自分だ。

少しでも目を上げるとニセ物の竹垣やトタン板などが眼に入って興が醒める。垣根の向こうに隣の娘がのぞいているでもなし。。。本でも読む事にする。

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部屋と違って物が少ないので気が散らなくてよい。喧騒な土地柄なので最初イヤホンで音楽を聞いていたがすぐやめた。開放感は目で見るだけのものではなく、耳で感じる大気圧のゆるやかさも大事なのだ、と塞いでしまって初めて気づいた次第。

そこで小さなスピーカーを持ち出した。

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純和風の雰囲気をすこしでも中和したいと思ったが、モーツァルト室内楽では笑えてくる。ビル・エバンスだと和モダン気取りの料理屋みたいでわざとらしい。ラテン系はてんで駄目だ。色々悩んだ末にストイックな感じのギターソロを静かに流してみる。

。。。いろんなアンバランスをいい塩梅に取り持ってくれて悪くない。

風がそこはかとなく吹き込んでくる。吸っている空気は確かに外のものだ。
気づくと土の匂いもほのかにするし、耳をすませばどこやらにスズメたちの声も聞こえてくる。雅でも風流でもないけれど浮世の塵埃から遠ざかって幽玄の庭に遊ぶ、そんな心持ちが少しだけしてきた。

すかさず「チェア坪庭」命名する。

空の上でカラスがひとつカアと鳴いた。

。。。これは流行らんだろう。

 

「DB601の眷属たち-5」

イタリアの二周遅れ

これまでMC202フォルゴーレと飛燕を技術的に比較してきた。各国で基準が違うカタログデータで云々するのも気が引けるが、飛燕が全備でやや重い他はほぼ互角。燃料搭載量を考えれば全般的には飛燕の方がやや優勢という印象である。

ただしこの両者、戦場への登場時期がまったく違う。MC202フォルゴーレの実戦参加は1941年夏。太平洋戦争はまだ始まっていないから飛燕どころか日本陸軍の最新鋭は2枚プロペラの隼1型だ。

飛燕の実戦部隊配備は昭和18年6月。日本の戦史や資料は大抵「昭和」で書かれているからピンと来ないが、私の計算が正しければ昭和18年といえば1943年になる。デビューはフォルゴーレに遅れること丸2年。いわば松田聖子中森明菜の関係である。

 

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ちなみに1943年6月はMC205ヴェルトロが実戦参加している。ということは時期的には飛燕1型甲の比較対象はMC205ヴェルトロとなる。

ヴェルトロはエンジンがDB605のライセンス生産。1475馬力で640km/h 武装20mmx2 12.7mmx2 と技術的には飛燕で言えば1500馬力のハー140を搭載したII型改に相当する機体だ。

 

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このII型改が部隊配備されたのは1945年春。これまたほぼ2年遅れである。この時期の戦闘機の開発競争は熾烈で2年もあれば新鋭機が二線級となる例は珍しくない。

ライセンス生産の壁

エンジン待ちの胴体だけ出来上がった機体が工場に並んだとは日本史上名高い「首なし飛燕」の逸話である。これは坊主が首にお経を書き忘れたため、、、ではなくハ-140エンジンが一向に生産数が上がらなかったのが要因。そこで試しに空冷の金星エンジンに換装したら意外にまともな戦闘機が生まれ、、、とこれもまた日本史上あまりにも有名な五式戦譚となる。

DB601相当のハ-40 だけでも国産化に苦労していた所に持ってきて、さらに自力開発のパワーアップ版ハ-140はさすがに手に余ったのだろう。カワサキだからなあ」。。。とお嘆きの一部バイク乗りの皆さん。ご安心ください。彗星用のDB601性能向上型アツタ32型を生産していた愛知航空機社でも大同小異で、彗星も結局金星エンジンを積んだのでした。重要部分の金属材や加工精度がDBの要求基準を満たすものではなかったという。これはもう当時の「日本の工業力」の問題。

 

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ハ-140

ほぼ見放されたハー140とII型改だったが、実は細々とではあるが作り続けられていた。しかし100機に届かないトータル生産数ではいかんせん戦力たりえない。合コンに遅れてきたひ弱なメガネ君がやっぱりいまいちイケてなかった、という感じである。

 

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実はそんなイケてない虚弱体質なメガネ君なところが自分の大のお気に入りだったりして、
学生時代にオータキの五式戦と飛燕をくっつけて飛燕II型改の水滴風防を製作した。40年近く前の話だ。

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仲間内では絶対完成不可能な企て、押入れの肥やし必須、などといわれていたが気合いでここまでこぎつけた。
今でもこれが自分の最高傑作だと思っている。

一方、RA1050"ティフォーネ"エンジン(=DB605相当)を積んだMC205、G55などの"セリエ5"は生産数合わせて600機前後。少なくともそれだけの数のDB605相当のエンジンを1943〜44年にフィアット社は生産出来ていたことになる。(陸続きで生産治具などをドイツから導入できたメリットはあるし、自力で性能向上版を開発した川崎・愛知両社には敬意を表するが)

イタリアはヘタレヤ、と言う前にこれらの事実を押さえておいてもいいだろう。連合軍から見ればチリメンジャコとサクラエビの背比べみたいなものだろうが、、、

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。。。オマエ、風防ずれとんで。
。。。オマエも脚カバーはずれかけやないけ。

 

 

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「DB601の眷属たち-4」

ラジエータ

ラジエーターの配置が胴体下、これはレシプロ最強戦闘機P-51Dムスタングと同じレイアウトだ、と土井武夫先生は自慢げだ。フォルゴーレもYakシリーズも同じなのだが、、、どちらも半埋め込み式の拡散型で、キャノピーは"真似しん"した両機が何故かここにはBf109の影は見られない。

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そもそも主翼下のラジエーターて、Bf109、スピットの他は見いひんやんなあ。。。
見いひん見いひん。。。て、オマエのツレのRe2001て主翼の下なんちゃうん?
あーせやせや、アリエテな。そういや忘れとったしぃ。

 

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忘れたんないな、控えやからゆうたかて。
せやかてアラ550km/hくらいしか出えへんねんけ。もっさいねん。

 

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フォルゴーレのラジエータ配置

 

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飛燕のラジエータ配置。

整流板でわかるようにラジエーター自体は半分胴体に埋め込まれている「拡散式」

スケスケ好きなので構造がよくわかるようにブログ主はキットのラジエーター側板を透明プラに置き換えている。

 

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縦長の黒いパーツがラジエーター。半埋め込み式とよくわかる。

 

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飛燕のラジエーター実物。これはII型のもの。明石に復元飛燕を見に行った時の画像。

 

P-51Dムスタングラジエーターは、、、

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大戦機ファンなら誰でも知っている、境界層を吸い込まないように胴体から浮かせたインテイク。土井武夫技師も述解しているとおり「あちらの方が一歩進んでいた」


オイルクーラー

フォルゴーレは機首下にオイルクーラーがあってBf109Eと同じ配置。

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一方、飛燕のラジエーターの前には何もない。

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地上タキシング時でもタイヤカバーはラジエーター冷却の邪魔にならない位置。飛燕は主翼が長いので脚の間を広くとっていた。小さい円形の突起は燃料冷却器。

飛燕の直前作、"キー60"ではオイルクーラーはフォルゴーレやBf109E同様、機首下に位置していた。

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オイルクーラーの排出するホットエアがラジエーターの効率を下げていることがわかり、次作の"キー61"(=飛燕)でオイルクーラーをラジエーターと一体化した。これが速度性能向上の要因の一つでは、、、と土井技師の手記にある。なるほどそんなものなのか、とシロートは思うしかない。

長大な航続力と20m^2という大きな主翼を持ちながら、飛燕は最高速でも590km/hとMC202フォルゴーレ(600km/h)と遜色ない。エンジンは同一だから飛燕はフォルゴーレに比べよりクリーンな空力設計だった、と言ってもいいと思う。

クリーンと言えばP-51Dもそうだ。飛燕と同じ様にオイルクーラーをラジエーターと一体化していて機首下には何もない。こちらも同一エンジンのSpitfireMk.IXよりも高性能だったのは空力設計の差だろう。

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機首の小さなインテイクは過給器用。油圧ON時にはタイヤカバーは畳まれるスマートな構造。

 

一方、MC205ヴェルトロ

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マリオ・カストルディ技師はMC205ヴェルトロでオイルクーラーを左右に振り分けている。これが空気抵抗軽減なのかラジエーターへの空気の通り道をあけて冷却効率アップを狙ってのことか、はたまた単なる格好つけなのかどうかはわからない。(こんなにカッコ良いオイルクーラー拡大はまずないと思う)

むしろヴェルトロはオーバーヒートの傾向があったらしい。(外観上インテイクカバーは同一の様だがラジエーター容量を増やしたとの資料もある)いずれにせよマッキシリーズは最小限の改良で早期の戦力投入を企図していた節があるので大改造は避けたかっただろう。

オイルクーラーがエンジン直下にあれば配管を長々と引回す必要がない。そのぶんジョイントも減る。被弾性、信頼性、整備性でのメリットはある。

 

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中央部分がオイルクーラー 左右がラジエーターだ。

実際、飛燕はオイル漏れが激しくラジエーターと一体化されたオイルクーラーは冷却調整や整備上の大きな問題となっていたようだ。修理のたびにラジエーターごと下ろす必要があるから整備兵は泣いたろう。性能の為に信頼性、整備性をやや犠牲にしたことになる。カワサキだもの、くくく」と一部バイク乗りのむせび泣く声が聞こえるような。。。

P-51ムスタングの場合、A型(アリソンエンジン搭載)ではオイルクーラーはラジエーターと一体だったが、B/C型(マーリン搭載)以降からインテイク内部でオイルクーラーが前方に独立している。排出口も別々で冷却温度をそれぞれ調節出来た。

ラジエータ配置は同じでも、やはりエドガー・シュミードのムスタングは一枚も二枚も上手だったようだ。

 

 

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「DB601の眷属たち-3」

 

 

キャノピー

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フォルゴーレのキャノピーは横開き。後端が素通しの半密閉式が600km/hクラスとしてはやや残念。空気抵抗は大きかったろうがMC200の後期生産型で開放風防に後退したからこれでもまだ取り戻した方だ。

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飛燕は風防の前方下部の三角窓なども「Bf109からとった」土井武夫技師自らが語っているほどだから、日本機には珍しいファストバックスタイルも同様だろう。視界にうるさい日本人パイロットが何も言わなかったのが不思議だ。当代随一の欧州第一線機メッサーシュミットのご威光か。どうも舶来一流ブランドに弱いのだ我々は。

中央キャノピーは一般的なスライド式だが、これも当初はメッサー流の横開きだった。試験飛行中に強度不足でひしゃげてやむなく変更したというから彼我の技術レベル差を痛感する。

別に同じエンジンだからといってキャノピーの開き方まで統一しないといけないはずはないわけで、やはりこの辺は一族郎党、族長のメッサー様の影響力は強かったということか。。。


飛燕はII型改になって三角窓も廃し、後期型では水滴風防と、ようやくジャパンオリジナルになる。MC205ヴェルトロは最後まで密閉風防にすらしていない。イタリア流を通したと言えばそうなのだが、、、

ドイツ機以外でDB600系エンジン搭載機ばかり作る、というのも面白そうだ。

マウザー砲

軍部は飛燕にも20mm機関砲をゼヒ!と強力なゴリ押しをしてきた。そこでとりあえずドイツから輸入したMG151/20mmマウザー砲主翼に積んだのが丙型だ。マウザーというのはモーゼルのことで不二子ちゃんがガーターベルトにはさんでいる銃がモーゼルHSC。深夜プラスワンで主人公が振り回すのがどでかいモーゼルミリタリーモデル。。。

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飛燕 丙型

このマウザー砲は潜水艦で輸送されたと言われてきたが、機関砲800門、銃弾40万発といえば相当の積荷のはずだ。狭い潜水艦に押し込むにはどう考えても無理がある。何隻かあるいは何回かに分けたのか?と長年首をひねってきたが、どうやらフランスのサンナゼール港からの封鎖突破船による海上輸送というのが実話らしい。それにしても危険な計画には違いない。

一方マッキもMC205ヴェルトロでMG151を主翼搭載している。こちらは地続きなので輸入に関して日本の様な離れ業までは必要ない。

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飛燕の丙型はそれなりに戦果をあげたようだ。しかし銃弾を使い果たしてしまえばいかに高性能なマウザー砲といえどもただの鉄の棒と化してしまう。タマ作ったら?と簡単に言うが「薄殻榴弾といういかにもSF未来戦記モノの漫画家が好んで使いそうなネーミングのMG151専用銃弾は、工作精度が高過ぎて日本では生産出来なかったらしい。もちろんMG151本体も同様の超絶精度で、アメリカでさえコピー生産に失敗したというからジャーマンテクノロジーここに極まれりである。

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そこで日本陸軍はブローニングM2をベースとした"ホー103"12.7mmの大口径版、新開発の"ホ-5"20mm機関砲"ホ-5"を飛燕に搭載した。ところがMG151/20より機関部が少し大きく飛燕の主翼には収まらず、機首に搭載することに。幸い倒立V型はエンジン上部スペースに余裕がある。同じく"ホ-5"を機首に積もうとして断念した隼とは違うのだよ。隼とは。

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とはいえ20mm位の口径になると機首搭載は問題が多く、発射時の信管暴発対策には銃口カバーの鉄板を分厚くする、という力技で乗り切ったという。この話をすると「カワサキだなあ」となぜか嬉しそうな顔をする人が一部のバイク乗りの中にいる。

作例はその武装が強化された1型丁。機首が延長され全備で340kg増加し、その分、飛行性能は落ちている(最高速590km/h→560km/h 5,000mまで5'30→7'00) 


  

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「DB601の眷属たち-2」飛燕

胴体タンク2

ちょうど2年前に作ったこのタミヤの飛燕のキットにはスケルトンの胴体パーツが付いている。片側スケスケキカイダー状態で作ることが出来るのだ。スケスケがキカイダーが大好きなブログ主は当然、、、

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タミヤwebサイトより

あれ、操縦席の後ろには何にもない?

そう、このキットは胴体タンクのパーツは付属していない。エンジンやコクピットは充分以上に再現されているのだが、タンクはアリマセン。タンクどころか胴体後半はスッカラカンタミヤさんは後ろ半分は見事にスルーしてくれているのだ。人体模型で脳と心臓があって下半身だけ中身が省略されてるのと同じだ。いくらスケスケ人体が好きでもそれではお楽しみというものがないだろう。

ここはなんとしてでも丁型の一大特徴である95リットル胴体内タンクをチラッとでもいいからお見せしたい。スケスケ飛燕大好き人間であればそう願わずにはおられないだろう。

そこで調べてみたのだが甲型、II型改、などはタンクの図面があるが、、、

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これは甲型200ltreタンク 

 

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こちらはII型改、五式戦 95リットル(+水メタ95リットル)


丁型が見当たらず。まあ、そこで例によって例のごとくそれらしい形に「デッチアゲ」。200リットルタンクの後ろ半分をぶった切った形だ。”立体の容積の計算のしかた”は「学研 五年の学習6月号」を思い出しつつ確認はした。形状についての根拠は何にもないが恥知らずにもupしてしまおう。

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It is uncertain about the shape of fuel tank on this type.

エンジンや弾倉なども手を入れている。酸素ボンベや無線機、配管や操縦索などは資料を参考に自作して追加してやった。

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ボンベの縦横位置を正しく作り直し、ラジエーター配管なども追加。95リットルでこの位置にこの大きさだから200リットル満タンだとそれは重心は狂ったことだろう。ラジエーターがあるためBf109Eのように操縦席シート下部まで回り込んだL字型タンクにも出来ないこともよくわかる。というかBf109はC型で機首下にあったラジエーターをDB601に換装したE型で両翼下面に移設したのはタンクがあったから?

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当初は何も考えずにタンクはアルミシルバーに塗って完成させた。

。。。ところが完成後になって「時期的にも丁型"ゴム被覆タンク"だろう」という疑念がムクムクと湧いてくる。そうなるともう寝られない。せっかくの完成品の胴体を引っぺがしてタンクを赤っぽい黒に塗り直したのである。。。やれやれ。

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ついでに展示会で突っ込まれたコクピット上部色も塗り直し。さらに胴体内部色も新資料に従ってフレームのみ川崎機内色、外板内部銀色へ。。。やれやれ。

タンクはなぜ"赤っぽい黒"にしたのかというと紫電改の防弾タンクの現存写真から。しかし海軍と陸軍では燃料タンクに関する開発経緯は全く別物、という資料もあって「真っ黒か?いややっぱり銀で良かったか?」という疑念がムクムクと、、、

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古い丸メカの表紙にもこの通り銀色。しかしこれは丙型、、、え?丙型に胴体タンク?

控えおろう!たかがサンデーモデラーの分際で、手持ち資料本4~5冊ほど見てディティールアップを試みるとは、身の程知らずにもほどがあるわ!、、、と斬って捨てられそうだ。

。。。おお怖わ。

 

 

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