sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

チェア坪庭

 

さて、このたびの巣篭もりである。

自分も零細自営なので歓迎すべからざる状況ではあるが、、、仕事について書く場所ではないのでここでは差し控える。誰しもが目下の事態に不安や不満を感じているはずだ。
かといって、やみくもに指弾して浅学を露にしても始まらない。警句を振りかざせばその恐ろしさにかえって己の怯懦を思い知る。あえて放胆に振舞っても、蒙昧を上塗りするだけだ。

自分はこの状況下でも出来ればストレスフリーで自分らしくありたいと願う。しかし前提条件として社会に対して可能な限りローインパクトでなければならない。

嬉しい事に自分が有している模型だのクラフトだのという趣味はこういう時に好都合だ。他にも本を読む、音楽を聴く、などなど。これらは社会と隔絶されていても愉しめる。さらに費用もさほどかからないときているから、いささか懐が心許ない今般の状況にはうってつけだ。

しかしまあ、そればかりでは正直息がつまる。

自分には外に出かける類の趣味もある。最近ではバイクや自転車でのお散歩にアウトドア用の椅子を持ち出してチェアリングならぬ「チェアツー」「チェアポタ」と称して一人楽しんでいた。 

 

しかし自転車はまだしもバイクは一旦事あらばクリティカルとなるのは自ずと明らかだ。現下の逼迫する医療のことを思うと、自分は今そういう気にはなれない。

では、自分の家で「チェアリング」はどうだろうか、と考えた。どこにも出かけることなく外気を浴びてゆったり寛げば、軋みつつある人間性も少しは取り戻せるだろう。

世の中にはすでに「ガーデンキャンピング」というジャンルがある。残念なことに自分の家にそんな豪勢が展開できる"庭"はない。その代わりといってはなんだが小さな坪庭がある。

「京の町屋」は家の真ん中に中庭をしつらえている。狭く細長い敷地で薄暗くなるところを、明かりと風通しを得るためであるが、自然を生活の中に取り込んで住む人の心を和ませる、といった効果もある。まさに先人の工夫と知恵である。

f:id:sigdesig:20200418164145j:plain

実家が古くなって建替えとなった時に、狭く細長く薄暗かった家に中庭のアイデアを取り入れて設計した。そのくらいは商売柄だから気は回る。この坪庭に面した陽光豊かな和室で母親は茶道と華道を教えていた。

f:id:sigdesig:20200415232734j:plain

いまはその家を引き継いだ自分が住んでいる。茶道華道など典雅な趣味にはとんと縁がなく、さらにあいにく自分の手の色は緑ではなかったようだ。結果、坪庭はあまり手入れをされず、自然のままの姿でいる。

そこにやおら折り畳みのアウトドアチェアを持ち出した。

f:id:sigdesig:20200417211748j:plain

なんだか和洋折衷もいいところだ。

改めて見回すとここには庭としての美はない。伸び放題で散漫でいささか陰鬱でさえある。そこで荒れ放題の償いにまずは少々草むしりをした。放置されていた植木鉢も片付けた。飾り物好きだった父親があちこちに置いていた小さな壺や陶器の狛犬だの屋根瓦だのもこの際だから目立たぬ葉陰や片隅に押しやった。

 

f:id:sigdesig:20200417211821j:plain

灯籠やつくばいだけは今更どうしようもないが、それでも幾分かはさっぱりとした。

少し肌寒かったのでマウンテンパーカーとマフラーでアウトドア気分を出す。ドアから一歩も出ずにアウトドアとはこれいかに。紅茶のポットとマグカップをテーブルに置き、坪庭の片隅に陣取ってみる。 

どんなにしてもたった一坪半しかないので窮屈さは否めない。そのうち半坪を自分が占拠しているので目の前はまさに一坪きりである。まあ開放感が過ぎた望みだとはわかっていたことだ。これでも仰ぎ見れば空は見える、、、

 

f:id:sigdesig:20200413171536j:plain

。。。小せえ空だなあ、、、市街地に無理矢理押し込めた銭湯の露店風呂みたいだ。

空の方でも「狭い坪庭で何やらうごめいておるぞ。おお、人間だ人間だ。小さいのう」などと思っているに違いない。「井の中の蛙、大海を知らず」という句を思い出さずにはおれない。

 

f:id:sigdesig:20200413234744j:plain

「されど天の蒼さを知る」と続けるのを無二の楽しみとしている自分だ。

少しでも目を上げるとニセ物の竹垣やトタン板などが眼に入って興が醒める。垣根の向こうに隣の娘がのぞいているでもなし。。。本でも読む事にする。

f:id:sigdesig:20200418113921j:plain

部屋と違って物が少ないので気が散らなくてよい。喧騒な土地柄なので最初イヤホンで音楽を聞いていたがすぐやめた。開放感は目で見るだけのものではなく、耳で感じる大気圧のゆるやかさも大事なのだ、と塞いでしまって初めて気づいた次第。

そこで小さなスピーカーを持ち出した。

f:id:sigdesig:20200417212036j:plain

純和風の雰囲気をすこしでも中和したいと思ったが、モーツァルト室内楽では笑えてくる。ビル・エバンスだと和モダン気取りの料理屋みたいでわざとらしい。ラテン系はてんで駄目だ。色々悩んだ末にストイックな感じのギターソロを静かに流してみる。

。。。いろんなアンバランスをいい塩梅に取り持ってくれて悪くない。

風がそこはかとなく吹き込んでくる。吸っている空気は確かに外のものだ。
気づくと土の匂いもほのかにするし、耳をすませばどこやらにスズメたちの声も聞こえてくる。雅でも風流でもないけれど浮世の塵埃から遠ざかって幽玄の庭に遊ぶ、そんな心持ちが少しだけしてきた。

すかさず「チェア坪庭」命名する。

空の上でカラスがひとつカアと鳴いた。

。。。これは流行らんだろう。