sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

「DB601の眷属たち-5」

イタリアの二周遅れ

これまでMC202フォルゴーレと飛燕を技術的に比較してきた。各国で基準が違うカタログデータで云々するのも気が引けるが、飛燕が全備でやや重い他はほぼ互角。燃料搭載量を考えれば全般的には飛燕の方がやや優勢という印象である。

ただしこの両者、戦場への登場時期がまったく違う。MC202フォルゴーレの実戦参加は1941年夏。太平洋戦争はまだ始まっていないから飛燕どころか日本陸軍の最新鋭は2枚プロペラの隼1型だ。

飛燕の実戦部隊配備は昭和18年6月。日本の戦史や資料は大抵「昭和」で書かれているからピンと来ないが、私の計算が正しければ昭和18年といえば1943年になる。デビューはフォルゴーレに遅れること丸2年。いわば松田聖子中森明菜の関係である。

 

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ちなみに1943年6月はMC205ヴェルトロが実戦参加している。ということは時期的には飛燕1型甲の比較対象はMC205ヴェルトロとなる。

ヴェルトロはエンジンがDB605のライセンス生産。1475馬力で640km/h 武装20mmx2 12.7mmx2 と技術的には飛燕で言えば1500馬力のハー140を搭載したII型改に相当する機体だ。

 

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このII型改が部隊配備されたのは1945年春。これまたほぼ2年遅れである。この時期の戦闘機の開発競争は熾烈で2年もあれば新鋭機が二線級となる例は珍しくない。

ライセンス生産の壁

エンジン待ちの胴体だけ出来上がった機体が工場に並んだとは日本史上名高い「首なし飛燕」の逸話である。これは坊主が首にお経を書き忘れたため、、、ではなくハ-140エンジンが一向に生産数が上がらなかったのが要因。そこで試しに空冷の金星エンジンに換装したら意外にまともな戦闘機が生まれ、、、とこれもまた日本史上あまりにも有名な五式戦譚となる。

DB601相当のハ-40 だけでも国産化に苦労していた所に持ってきて、さらに自力開発のパワーアップ版ハ-140はさすがに手に余ったのだろう。カワサキだからなあ」。。。とお嘆きの一部バイク乗りの皆さん。ご安心ください。彗星用のDB601性能向上型アツタ32型を生産していた愛知航空機社でも大同小異で、彗星も結局金星エンジンを積んだのでした。重要部分の金属材や加工精度がDBの要求基準を満たすものではなかったという。これはもう当時の「日本の工業力」の問題。

 

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ハ-140

ほぼ見放されたハー140とII型改だったが、実は細々とではあるが作り続けられていた。しかし100機に届かないトータル生産数ではいかんせん戦力たりえない。合コンに遅れてきたひ弱なメガネ君がやっぱりいまいちイケてなかった、という感じである。

 

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実はそんなイケてない虚弱体質なメガネ君なところが自分の大のお気に入りだったりして、
学生時代にオータキの五式戦と飛燕をくっつけて飛燕II型改の水滴風防を製作した。40年近く前の話だ。

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仲間内では絶対完成不可能な企て、押入れの肥やし必須、などといわれていたが気合いでここまでこぎつけた。
今でもこれが自分の最高傑作だと思っている。

一方、RA1050"ティフォーネ"エンジン(=DB605相当)を積んだMC205、G55などの"セリエ5"は生産数合わせて600機前後。少なくともそれだけの数のDB605相当のエンジンを1943〜44年にフィアット社は生産出来ていたことになる。(陸続きで生産治具などをドイツから導入できたメリットはあるし、自力で性能向上版を開発した川崎・愛知両社には敬意を表するが)

イタリアはヘタレヤ、と言う前にこれらの事実を押さえておいてもいいだろう。連合軍から見ればチリメンジャコとサクラエビの背比べみたいなものだろうが、、、

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。。。オマエ、風防ずれとんで。
。。。オマエも脚カバーはずれかけやないけ。

 

 

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