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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

「スジボリーノ・リベット・ウッチーナ」1/48サエッタとフォルゴーレ-5

細部の表現だけでなく、モールドやリベット、筋彫りにもハセガワとイタレリの差が現れている。

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向こう側:MC202フォルゴーレ 手前:MC200サエッタ

サエッタのフラップ横の出っ張った丸型点検ハッチを見よ!戦車かと思うたわ。筋彫りは主要部のみで太くて豪胆ないわゆる運河彫り。リベットはフランケンシュタインの縫い目のごとく、表面はざらりと梨地仕上げ。欧州メーカーによくある筆塗り前提なのだろうか。一方ハセガワ製フォルゴーレは平滑な表面に精密かつ繊細な毛細血管彫りのエアブラシ 向け。

 

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上:MC202フォルゴーレ 下:MC200サエッタ

サエッタのがっぽり凹んだ手掛けを見よ!雪に残った馬の足跡かと思うたわ。かくも表面仕上げにかなり差がある両機。単独で作るならあまり気にしないが、事実上同一の機体、今回は並べて展示するのが前提だからある程度は統一感があった方が好ましい。そこでハセガワの筋彫りの主要部をPカッターでなぞって太くしてメリハリをつけてやる。

「そこはイタレリ運河の方を埋めて繊細方向で統一せんかーい!」と叱られそうだ。(むろんサエッタには多少は筋彫りを追加で施した)確かにこんな模型作りでは昨今の精密超絶技巧重視の模型界では一塁にも出られまい。しかしそもそも軍用機というものは陰惨な戦争の道具である。殺戮兵器としての禍々しさ、荒々しさも含めての佇まいを自分は表現してきたつもりだ。汚らしいと言われても世間から評価が得られなくてもその方向性は変わらない。

 

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屁理屈コネるのは大概にして模型に戻ろう。サエッタの「戦車リベット」翼上面だけはちょっと目立つので瞬間パテで埋めることにした。

 

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手前:キットのまま。まさか沈頭鋲じゃなかったのかな?と不安になる。
向こう側:瞬間パテで埋め整形した後。
ただし胴体と下面はそのまま。

 

続いてリベット打ち。

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図面等を見ながらリベットラインを鉛筆で下書きし、パーツの状態で合わせ目の周りを避けて打つ。ガイドテープを貼ってリベットローラーでコロコローっとすればあら簡単!残した部分は部品を貼り合わせて合わせ目を消した後に、今度は回転刃を指で固定し、押し付けるように打つ。あちこちツジツマが合っていないところは、、、そこはご愛嬌ということで。本来はサフを吹いた後に手打ちするのがベスト。ちなみにサエッタの陥没した手掛けのモールドはさすがに埋めた。

 

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MC202フォルゴーレ 主翼

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MC202フォルゴーレ 胴体 

 

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MC200サエッタ 翼

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MC200サエッタ 妙に魚っぽい胴体 

リベット打ちはサエッタには精密感が、フォルゴーレには迫力が出て両者足りないところを補う形でちょうどいい感じ。ただやりすぎるとクドくなるのが嫌で極力控え目にした。沈頭鋲というくらいなのだから実機ではよほどの至近距離、あるいは無塗装銀以外では目立たない。実は面倒なので必要最低限にしたいのが本音。

 

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MC200サエッタ 操縦席前。

合わせ目のアクセスパネルの筋彫りを復元。リベットはキットのまま。こういうところはファスナーなので実機でも大きいし、少々オーバーな方がむしろ迫力があって良い。("むしろ迫力があって良い"というのは大方が技術的に洗練されていない場合の言い訳として多用される。ex「ドカティのエンジンは振動が多いが"むしろ迫力があって良い"」)よかよか、精密感よりも迫力、味を重んじるのが我が模型道。

 

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MC202 フォルゴーレ 脚収納庫 かなり複雑。。。

 

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MC200サエッタ 脚収納庫 さらに細かい。さすがイタレリ。

桁の部分は実機でも抜けていないのでブラックアウトしたりする必要はない。


手の込んだトラス構造は翼の小骨までにも及び生産性は悪かったことが察せられる。実際MC200サエッタの生産工数はなんと22,000時間。
 (ただしイタリアなので食事と昼寝あわせて3時間の昼休みを除くとどうなるかのデータはない)
同様に凝った設計で有名な日本の零戦工数は15,000時間。
 (ただし朝夕のNinja修行時間を除くとどうなるかのデータはない)
対照的に高い生産性を誇るドイツのBf109で工数5,000時間。
 (ただし工場の壁の「ノルマ未達成者は収容所送り」の看板を外したらどうなるか、、、)

 

 MC202フォルゴーレの翼内機銃のモールド、、、

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サエッタの12.7mmx2門のみから強化された翼内武装の7.7mm機銃。。。なんで今さら7.7mmなのよシニョール、、、と思ったのはイタリアンパイロットも同じらしく、重量軽減のため降ろした機体もあったらしい。。。

 

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ええいとばかりに削り落として整形、、、あう、リベット消えた、、、
そんなんリベット打つ前にやっとかんとあかんしぃ。

 

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穴あけ。

 

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最後に真鍮パイプで立派な機銃を仕込んでやるばってん待っちょれよ。
(、、、といいながら忘れていた)

 

 

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「飛行士の仕事場」1/48サエッタとフォルゴーレ-4

ようやく模型に手をつける。まず最初はコクピットから。

サエッタのキットはイタレリ製の例に漏れず細密だ。エッチングパーツが付属するコクピットや脚収納庫なども細かく再現されているのはいいのだが、小さなパーツに金型のズレやパーティングラインなどが多く、部品同士の合いも良くなさそうだ。

残念なことにタミヤセガワあたりと違って肝心の金型成形技術の方が追いついていないようだ。「ディティールを究極まで再現する!」というその心意気は、ま、3000円くらいで買うのだが、、、こういうケレン味あふれたキットはいざ作るとなると非常に手がかかる。

「しっかしオレってすごいよな〜、こんな細かいところまで作れるんだから」なんて言う”己の実力を過大評価して悦に入る勘違い君”に付き合うのが苦手な当方としてはなかなか箸が進まないというかニッパーが進まないというか。。。

完成後はほとんど見えない部分も多いが、まあせっかくだから丁寧に処理して塗り分けてやりまひょかいな。メンドックサ、、、などと言わずに。

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う〜ナンヤネンこのこちゃこちゃ細かい配管モールドはメンドい〜・・・

 

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この時点でウエザリングまで済ませておく必要がある。メンドクサいけど。

 

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MC200の操縦席

エッチングのシートベルト金具は質感に乏しいのでガッシュをコテコテに塗りつけてみた。下側のシートベルトはチェーンだったのだろうか?こんなもので下半身を縛りつけるとは、イタリアのパイロットはみな"そっち方面"マニアか。

 

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計器盤はプラのパーツにデカールを貼ってエッチングを二枚重ね。
実にメンド、、、素晴らしい。

 

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むう、やっぱりズレたか。。。
わざと軽くサンディングしてエッジの金属地を出してみた。実機は真鍮じゃないのだろうけれど、まあほとんど見えないから、遊び心だ。

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操縦桿がやたら太くて灯台みたいだ。まあ修正するほどのことでもなかろう。何度も言うが、完成すればほとんど見えない。

 

こちらはハセガワMC202フォルゴーレの計器盤。

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もともとのレイアウトがサエッタとは随分と違う。ダークグレー+ガンメタで塗ってライトグレーでドライブラシしただけだがこれでも十分リアルだと思うのだが。。。ハセガワはモールド技術で精密さを出す正統派。なんでもかんでもエッチングパーツつけて定価も上げる、という最近の風潮はビンボーモデラーには厳しい。

 

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ちょっとフィクションだけれど色目を加えてやる。

 

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計器のガラス部分には紫外線硬化タイプのクリア樹脂(UVレジン)を流し込む。完成後、風防の奥で計器盤がキラっと光るのが「も〜タマランわ〜」という大人のチラリズムなのである。(変態ジジイなだけやん)

このUVレジンは最初歯医者で使われた時に「これは模型に使えへんかな」と大口開けながら考え、どんなものか良く見ようとして必死に横目で追ってたのを覚えている。決して若い歯科助手のオネエチャンのお尻を見ていたわけではアリマセン。

接着剤にもパテにもなるし小さなパーツなら「お湯丸くん」を使って複製もできるので面白い。ちなみにタミヤの1/48飛燕の側面エアインテークもその手で作った。(作った人は分かると思うが、この部分だけクリアパーツではないんですヨ)

 

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 拙作タミヤ1/48 飛燕 (脚カバーやラジエーター側面などもコソっとクリア化してる)

 

こちらはMC202フォルゴーレの操縦座席周り。シートベルトは「釣り具のブンブン」で買った「板おもり」

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機体内部色はMC200と同じだと思ってこの色を塗った。ウシシ作業効率化が計れたわいと喜んでいたのだが、後になってMC202の中期以降あたりから機内色は機体下面色のライトブルーグレーに統一された、という資料をみつけてしまう。こういう資料はなぜか塗った後に遭遇するものなのだモデラーあるある)あわてて塗り直したがコクピットはグリーン系のままという説もあったりして。。。(写真は撮り忘れマシタ)

 

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「イナズマンへ」1/48サエッタとフォルゴーレ その3

ちなみにサナギマン、イナズマンとは昔の変身ヒーローTV番組に出てくるキャラクター。主人公は蝶をモチーフとしており二段階変身といってまずサナギマンにならねばならない。このサナギマンはとっても弱く、敵の戦闘員たちにタコ殴りにされつつもじっと耐える。そしてエネルギーがたまるのをボコられながら待ち「チョーリキショーライ(超力招来)!」とイナズマンに変身するのである。

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サナギマンからイナズマン

 

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サエッタからフォルゴーレ

 

いやそっくりやん、マリオ・カストルディさんもこの番組のファンだったに違いない。。。いやいやそんなはずないやろ、、という考察のお話が今回。
アホなことゆーてんとはよ模型作らんかい!というお叱りはごもっとも。平にご容赦くだされ。

 

当時の空冷イタリア戦闘機にあってDB601エンジンを積んだのはマッキだけではない。このころ同じ「R計画」同期生であるRe2000G50サエッタカプロニF.4、はては同コンペレースの「岩石オープン」ことCR42ファルコにいたるまで、こぞってこの珠玉のダイムラーベンツエンジンを搭載してはヒャッホーウとイタリアの空を飛んだのである。

以下初飛行した順に。。。

 

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レジアーネRe2001 1940年7月初飛行。

見ての通りただDB601をポン付けしただけで何の工夫もあらしまへん。翼内タンクがあって仕方ないとはいえ、運動性を求められる戦闘機が重いラジエーターを外翼に搭載したらそらあかんやん。

最大速度は540km/hとRe2000から10km/hほど伸びただけだが、なぜか少数が生産される。ただし「アリエテ」=「雄羊」という戦闘機には珍しい名称をつけられ、最後はDBを回してもらえず仕方なく「イソッタ・フラスキーニ デルタ」という倒立V型12気筒「空冷」(?!) 700馬力(?!)の珍エンジンを積み、その後またまた空冷に戻されるという、今ならパワハラで訴えてもよさそうな目に遭っている。

 

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カプロニ・ヴィツオラF.4 1940年7月初飛行
「R計画」に参加したF.5のイソッタ・フラスキーニの液冷エンジン版がこのF.4「液冷はアカンゆうたし!」と空軍に叱られて棚上げになった機体にDBをポン付け。もともと液冷用の機体だから最もフィットしそうなものだが、最大速度は550km/hしか出ず、結局試作のみ。合板張りの翼に胴体鋼管フレーム構造は流石に古かったのか。

 

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MC202  1940年8月初飛行

最高速600km/h、上昇時間6000mまで6分未満、と見違えるような機体に生まれ変わった。加えてサエッタ譲りの運動性能は健在だから「チョーリキショーライ!」と叫びたくもなる。これは試作機で無塗装銀だからか異母兄弟の飛燕によく似ている。もっともフォルゴーレが1年半ほどお兄ちゃんだ。基本性能も近似しておりアメリカ軍が最初に飛燕に遭遇した際、フォルゴーレのコピーか何かと勘違いしたというのも頷ける。それでイタリア系ネームの「TONY」になった、というがどこまで本当かはわからない。

後方視界にも配慮した完全密閉のコクピットは又もイタリア空軍パイロットからNGが出た。「ケっ、どーせあいつら文句つけんだろ」とマリオが言ったかどうかは知らないが、それを見越してフェアリングを簡単にすげ替えられるようなデザインにも見える。

 

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フィアットCR42DB 1941年3月初飛行

速度520km/hで「世界最速の複葉固定脚戦闘機」となったが、、、さすがの物好きイタリア人でも今さら「岩石オープン」ならぬ複葉固定脚に貴重なDBエンジンを載せるのも勿体ないと思ったのか試作機1機のみ。このまま生産されてたら「空飛ぶ豚に真珠」というニックネームを頂戴したかもしれない。

 

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フィアットG50V 1941年8月初飛行

G50はDB搭載にあたって胴体と尾翼を再設計し直した(それでコレか?というお姿には涙するほかない)設計期間が長引きようやく初飛行した時には他社に1年ほど遅れ、MC202は既に量産に入っていていわば周回遅れ状態。性能の方も580km/hと待たせた割には味がイマイチな「蘭紅園」のラーメンなみである。誰もそんなん注文しいひんし。

結果、ただひとりMC202フォルゴーレのみが文字通り群を抜いた機体となった。地中海にもブンブン飛び始めていた「空飛ぶ鉄火女」スピットファイアに対抗すべく(、、実際はドイツ空軍におんぶにだっこだったが)早急な新鋭戦闘機の配備を迫られていたイタリア空軍にとってはまさに救世主に思えただろう。

ようやく模型が出てくる。

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やや偏執的とも思えるほど究極に絞り込んだMC200サエッタの基本設計もスリムな倒立液冷エンジンにマッチしたことがよくわかる。しかし胴体の再設計をしながらポン付け他社機と変わらぬ40年夏にMC202を完成させたのはカストルディ技師の手腕だろうか。それともレジアーネやフィアットの連中がよほどボンクラでパスタとワインに明け暮れていたのか。

ひょっとするとカストルディは早い時期からMC200を空力的に洗練させた機体の下準備をしていたのかもしれない。。。
そう考えるのはコイツの存在があるからだ。

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MC201 (試作機はMC200と同エンジン)

MC200の初期の失速トラブルの改良案として開発されたが、カストルディは過剰な空気抵抗も問題視し胴体にも手を入れ、ラクダの様に盛り上がっていたMC200の操縦席を低くした。(写真で見る限り主翼翼端に"ねじり下げ"(失速防止策)がついている様にも思えるが、これは確証がない) ところが搭載を予定していたフィアットの1000馬力エンジンが待てど暮らせど完成せず、そうこうするうちにドイツから素晴らしいプレゼントがやってきた、、、まあ案外そんなところでは、と思うのである。

 

三面図を並べてみる。

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MC200

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MC201     

 

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MC202

 

サナギマンからいきなりイナズマンになったのではなく、ノープリウスマンからゾエアマンを経てサクラエビマンになったということか、、、


むろん、この推察には何の根拠もない

70年も後になってアジアの片隅でイタリアには縁もゆかりもないエエ年こいたタダのおっさんがプラモをいじくりまわしながら妄想しているだけの話だ。ただまあ、三次元で比較して実機の用兵思想や開発コンセプト、設計者の個性、開発の状況などに思いを馳せることができるのもプラモデル作りの面白いところ、だと言いたいのです。

 

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「サナギマンから」1/48サエッタとフォルゴーレ その2

それでは「サエッタとフォルゴーレ製作記」のはじまりはじまり。

その前にまずは実機について軽く解説。。。

マッキMC200"サエッタ"(雷電)

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なんとなく零戦の福笑い」といった趣きだが試作から初期型まではこの水滴風防だった。パイロットの評判が悪く下の画像の開放風防へと改良(?)される。

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開放風防に逆戻りしたのはこの機体に限らずG50も。イタリア人は開放的なのがお好き、だとか、時代に逆行する麺馬鹿の好例だとか、よく揚げ足とりに使われる。実のところ、どうもプレキシガラスの製造技術の問題もあったようで視界が歪んだりしたらしい。日本では九六艦戦2号で、ソビエトではI-16で同様の例がある。

前2回のブログにもある通り1930年代末のイタリア空軍初の全金属低翼単葉戦闘機競争試作「R計画」の採用機である。ただし失速トラブルで足止めを食ったのも前述の通り。

sigdesig.hatenablog.com

sigdesig.hatenablog.com

実戦投入された当初は敵の機体もI-16やグラディエーターだったから何とかなったが、優速なハリケーンやP40B相手となるとかなり難儀しただろう。うまく旋回性能を活かすポジションにつければ対抗するのは不可能ではない、といったところか。たった840馬力で最高速500km/hは巧みな空力設計とは言えるが、その程度の速度と12.7mmx2門の武装では連合軍戦闘機相手ではいかんともしがたく、さらに俊足のスピットファイアなどが登場するとサエッタはもはや対戦闘機戦には用いることが出来なくなった。

 

マッキMC202"フォルゴーレ"(稲妻)

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簡単に言ってしまえばMC200サエッタにドイツのメッサーシュミットBf109のDB601液冷エンジンを積んだもので、胴体のリファインもあって優に100km/h近い速度向上を果たし、イタリア戦闘機を一気に世界レベルまで引き上げた。この新型の液冷イタリア戦闘機に遭遇したスピットファイアやハリケーンの英軍パイロット達は、すぐさまそれが高速と運動性能を兼ね備えた侮りがたい機体であることに気付いた。ただし強化されたとは言え12.7mmx2門 7.7mmx2門の武装は依然として不足気味だった。

写真で見ても鈍重なサエッタから流麗なフォルゴーレになる様子はさながら「サナギマン」から「イナズマンに変身したかのようである。

さてでは模型でこの2機を比べてみよう。

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上:MC202フォルゴーレ 下:MC200サエッタ

エンジンが空冷か液冷かという前に胴体の高さがまるで違うのがよくわかる。

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翼の高さを合わせて重ねてみるとこんな具合。

MC200は前方視界を確保するためにコクピット位置が異様に盛り上がっている。これまた前方視界にこだわったイタリア人の愚の骨頂とされることが多いが、この時期のハリケーンやF4Fなどでも採られた手法だ。

 

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F4F

 

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ハリケーン

 

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MC200  まチト盛り過ぎの感は否めない。

 

これらに比べるとスピットファイアやBf109は「前方視界なんかいらんわ!もっと速よしてんか!」とばかりにコクピットを低い位置に埋め込んだ。当然、空気抵抗は減少する。

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スピットファイア

 

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Bf109

この「速度>視界」となりつつあった世界の潮流をカストルディ技師はMC202フォルゴーレに取り入れてコクピット位置を下げている。

 

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左:MC200サエッタ 右:MC202フォルゴーレ

前から見ると前影投影面積、着座位置がこれだけ違う。視界も空気抵抗もトラックとスポーツカーの差ほどあるだろう。

 

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しかし、空冷でありながらMC200の方も意外とその胴体幅はスリムに仕上がっていると気づく。こうやって比較できるのが同スケールのプラモデルを作る楽しみだ。

どうも設計者のカストルディ技師は本心ではMC200サエッタに空気抵抗の少ない液冷エンジンを積みたかったらしい。シュナイダートロフィレースでM33,MC72と液冷で名機を生み出してその名を馳せてきた彼としては当然か。しかし「R計画」自体が「空冷エンジン縛り」であったので従う他はなかった。空軍省は当時のイタリアの液冷エンジンの信頼性に懐疑的だったようだ。

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ひょっとするとカストルディは将来の液冷エンジンへの換装も視野に入れていたのではないだろうか、と思えるほど機首が絞り込まれている。サエッタのまともなキットを作るのは初めてだからここまでとは知らなかった。ブリキの工具箱みたいなG50フレッチアとは随分違って30km/hの速度差も頷ける。

 

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エンジンをつけてみると、途端に旧態依然とする。P-26ピーシューターあたりのタウネンドリング時代を引きずっているようでもあり、尾部にいたるまで空気の流れを過剰に意識した曲線の多い造形なども合わせて、なんとなく零戦雷電に通じるものも感じられる気もする。

 

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この後、時代はNACAカウリングとスムースな胴体へと移行していく(ex.FW190)から、やはり空力コンセプト自体は古いのかな、という気もする。しかしノスタルジックにも思えるこのグラマラスなシェイプもなかなか趣があっていい、、、などと思いはじめたらもうあなたはサエッタの「とりこ」となっている、、、かも。

 

 

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「イタ公のイタ郎」1/48サエッタとフォルゴーレ その1

レベル社の1/72フィアットCR42ファルコを完成させていたって意気軒昂な「一畳半工房の主(あるじ)」であります。その余勢をかってイタリア機を量産することと相成ったのでその顛末を綴りましょう。

前回2回にもある通り「R計画」の経緯を色々調べているうちに改めてマッキMC200"サエッタ"の成り立ちに興味が湧いてきたのがまず最初のきっかけ。

ついでにマッキMC202フォルゴーレも並行し比較しながら作れば空冷から液冷に換装した設計などもよく分かって面白かろう。せっかくたくさん集めたイタリア機用カラーもあることだし、展示会のテーマにも則しているではないか。おおそれが良いそれが良い。

1/72でファルコと並べるのも一興、しかしさすがにもうレベルのファイターシリーズに手を出す気力はソレガシござりませぬ。イタレリから1/48のキットが出ているのでそちらの方が労力は少なかろうと。これ尼尊、ひとつ持って参れ。ポチッ。

 

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タミヤが販売しているから安価で入手しやすい。エッチングパーツもあってディテールに凝ったキットだが精度や組み立て易さにはやや不安が残る。

 

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マッキMC202フォルゴーレの方はかっちりしたハセガワスタンダード。10年以上前に同系のMC205の方を作ったから勝手は分かっている。

どちらも最新キットではないが、レベルのファイターシリーズに比べれば組みやすさは天(国)と地(獄)ほど違う

さてそんなキットでも1/48で二機並行という、生産能力に対してやや無謀な計画はまさにイタリア空軍ばりだ。プラモデルというのは意外と乾燥の待ち時間などが多いし、同じカラーを使う二機なら一機づつ製作するより効率が良かったりする。

むろん「二兎を追う者はアブハチ取らず」との喩え通り、どっちもコケてしまう危険性はある。まあ既にファルコが完成済みでテーマについてはノルマはクリアしている「気楽に行こうぜ、イタ公のイ〜タ郎〜♩」といつもながらに軽薄かつ楽観的に滑り出した。はてさて一体どうなるか、乞うご期待。

 

 

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「CR42ファルコ」主力機となった謎に迫る

パスタ食べてワインばっかり呑んでる呑気なイタリア人が古い複葉戦闘機CR42ファルコの巴戦能力が気に入って、骨董趣味の英国人のグラジエーターやソードフィッシュなどと地中海のマルタ島の田舎でどっちもどっちの複葉芋洗い決戦をした、というのは酒場のネタとしては確かに面白い。

しかし、本当にそうなのだろうか?というお話を今回はするのでございます。

 

さて 「R計画」コンペ自体はマッキ社のMC200"サエッタ"(稲妻)が最優秀となり採用された。
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MC200 サエッタ
同じエンジンの似たような構成の機体のフィアットG50フレッチアに比べて30kmも優速で、なおかつ視界も運動性も良好だったというから順当な選定だろう。シュナイダーカップで勇名を馳せた名設計士マリオ・カストルディが徹底した空力処理を施した結果と思われる。

ちなみに一回り大きいエンジンを積んだレジアーネ社のRe2000はさらに高性能だったが翼内に燃料タンクを装備していた事を危ぶんだイタリア空軍が落選させた。レジアーネ社は仕方なくこれを朴訥な北欧人などに言葉巧みに売りさばいたのだが、航続距離もそこそこあったからかイタリア海軍も少数導入した。もし、日本海軍にも商談を持ってきていたらイ式艦戦とかで採用されたかもしれない。結果、一式陸攻と"ワンショットライターズ"というやや剣呑なコンビを結成していたことに・・・え?翼にタンクがあるのって零戦も一緒?そーりゃスイマセーン・・・

R計画で全金属低翼単葉戦闘機に向かおうとするイタリア空軍に水を差したのは「新兵器の実験場」と呼ばれたスペイン内戦だ。イタリア軍が派遣した戦闘機のうち人民軍の低翼単葉のI-16相手に大戦果を挙げたのは先行生産配備されていた最新鋭のG50ではなく、なんと旧式の複葉固定脚機のフィアットCR32の方だった。

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I-16

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CR32

CR32が優秀だったからというよりは相性や戦法の問題もあったろうと思う。スペイン内戦ではドイツの最新鋭、全金属低翼単葉機のBf109もI-16を圧倒しているはずだが、そっちの方はあいにくイタリア人の目に入らなかったらしい。連中、美人以外は目に入らないのだ。そういう経緯もあってここに複葉固定脚機ブームがイタリア空軍内にリバイバルしたのではないか。

しかし個人的にここにもう一点、ファルコが開戦時の主力機となってしまった要因があるのでは、と考えてみた。

もちろん何らの史料的正当性もない。極東の片隅で阿呆なオッサンがプラモ片手にウロンな考えをひねくりまわして思っただけのことだ。ま、どっちにしたって秋の夜長のワイン片手のヨタ話には変わりない。

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R計画の勝者であるマッキ MC200サエッタには実は機体に空力的な問題を抱えていたことは(イタリア機マニアには)良く知られている事実だ。

急旋回時などに回復不能な錐揉み(フラットスピン)に入ってしまう、という欠陥だ。おそらくは気流の剥がれや翼端失速などからくる不意自転で、これにより二件の死亡事故を起こして全機飛行停止処分を食らってしまったのである。

そしてこの処分の裏にはR計画に落選したフィアット社が暗躍したとの陰謀説もある。しかし、翼端失速はMC200サエッタだけでなくR計画に参加した全てのイタリア製低翼単葉戦闘機は大なり小なり同様の傾向があった(補欠的に採用されたG50も同じだが、こっちは飛行停止まではいってない)これはすでにR計画コンペの時点で大きな問題になっていた、というからイタリア空軍首脳は頭を抱えたろう、いや頭を抱えつつワインを飲んだろう。

「翼が一枚の戦闘機で空戦するなんて危なっかしい!」という当時のイタリア人パイロットの不安は不幸にも的中したわけだ。このMC200サエッタの空力問題がようやく解消されたのは1940年、イタリアの参戦はもう目の前に迫っていた。

この時点でまともに空中戦機動ができる戦闘機をイタリア空軍は持っていなかったことになる。レジア・エアロノウティカ(=王立空中艦隊)なんて大仰な名前でありながらそんな体たらくではムッソリーニの親方でなくとも血相変えたろう。

これが保険機の積りだったコンベンショナルなフィアットCR42ファルコが急遽採用、大量生産され、MC200に代わって主力機になった最大要因ではないだろうか。デートの前に最新モードの勝負パンツ履こうとしたら穴があいてたので慌てて毛糸のパンツ引っ張り出してくるようなものだ。

ところがいざマタを開いて、じゃなかったフタを開いてみるとこのファルマタ、じゃなかったファルコがイタリア戦闘機中最大の生産量を達成する主力機となった(でも2000機に満たない)

同じフィアットの低翼単葉全金属機のG50に比べ最高速で40km/hほど劣っていたが、武装は同等、航続力や運動性、使い勝手に優れ、何より変な失速グセもないのでパイロットに好まれたのであろう。当初の相手が旧式のグラジエーターやI-16だった事もあったし、スピットやハリケーンが出てくると新型のG50やMC200でも対抗出来なかったから結局はDBエンジンを積んだMC202待ちだったのは同じである。

さらに生産性も考慮に入れる必要もある。MC200などは生産性が良くなく、手慣れた鋼管フレーム+羽布張りのCR42が開戦時に数が揃っていただけ、という推測も成り立つ。

その後もなんだかんだと造り続けられ、イタリア敗戦後もあの頭の硬い一撃離脱主義者のドイツ人が生産を継続し、鉄十字をつけて使用されたのだから当のファルコも驚いただろう。

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もっとも当然戦闘機としてではなく、以前も書いたが小さな島や砂漠地帯の荒れた小さな飛行場での運用や、夜間騒乱(敵の睡眠妨害の嫌がらせ)の爆撃など、ヘンシェルHS-123と同様複葉固定脚機ならではの活躍の場があってのことだろう。


実戦配備の軍用機に求められるものは性能の良さだけではなく、信頼性や安定性、戦場での使い勝手の良さも重要なことだという証左でもあるだろう。永遠の二線級であるハリケーン、P-40、隼などもそのよい例なのかもしれない。

 

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「CR42 ファルコ」実機の生い立ち

さて完成した CR42ファルコの展示を眺めては実機のウンチク話を同好の士と交わす。あるいは家に帰ってイタリアンワイン(ホントは水割りブラックニッカ)を舐めながらこの機の生い立ちについて思いを馳せてみる。こういうのが大戦機模型の醍醐味だったりする。

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展示会でのショット

フィアットCR42ファルコ、といえばWebで調べると概ね「ピザばっかり食べてるアホなイタリア人が作った時代錯誤の爆笑ヒコーキ」という評価が多いようだ。

確かに、初飛行が1938年5月だから同期生は日本の一式戦「隼」あたり。

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ファルコはイタリア語で「隼」の意味だから名前も同じなのだが、その差は歴然だ。最近では一式の方の隼君はなにやらアニメ美少女達の乗機になるという憂き目に遭ってしまって栄誉に浴している、とも聞く。

1930年代後半というと欧州列強国ではこの頃すでに密閉風防を持つ全金属製モノコック構造の低翼単葉引込み脚の最新鋭機が登場していた。

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メッサーシュミットBf109B (1936)

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スピットファイア(1936)

これらに比べると2年も後に出たファルコが金属羽布張り混合、鋼管フレーム構造の開放風防の複葉固定脚機とは旧態依然もいいところだ。やっぱりイタリア人はピザばっかり食べてるから戦闘機開発も遅れをとるのだな、、、などと思いそうだが実は彼らも伊達にピザばかり食べているわけではなかった。。。というのがこれからするお話であります。

さて、

時はファルコ初飛行の2年前の1936年、イタリア空軍はそれまでの主力戦闘機、複葉のフィアットCR32を更新すべく「R計画」と呼ばれる全金属モノコック構造の低翼単葉引込み脚戦闘機の競争試作を開始した。おそらくは前述のBf109の影響や開発中だったスピットファイアの情報もあったろう「列強に遅れてなるまじ!」と食べていたピザをかなぐり捨てての大決断(イタリア人としては)とみていいだろう。

これを受け、フィアット、マッキ、レジアーネ、アンブロシーニなどの各社もこぞってピザを投げ捨て競争試作に参加、1937年2月には早くもフィアットG50"フレッチア(矢)"がトップを切って初飛行している。

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フィアットG50"フレッチア" 

1937年初頭というと昭和12年、同期生はバッファロー、日本の97戦あたり。

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バッファロー

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九七戦 

いかがだろう?

こう比べて見るとイタリアの航空界もそう捨てたもんでもないことがわかる。

全金属モノコック構造、

二重星形エンジン、

恒速三翅プロペラ

引込脚、

12.7mm機銃2門、

光像式照準器、

密閉式風防装備

なのである。少なくともコンセプトはヨーロッパ最新モード、構造で言えばハリケーンやMS406などの鋼管羽布張り構造よりも先進的。空飛ぶビヤ樽だの固定脚ブラ下げた田舎侍だのに笑われるスジアイはない。

ところが、フィアット社はこのイタリア初の全金属引込み脚低翼単葉機G50"フレッチア"の初飛行後、1年と少したってから複葉固定脚のCR42"ファルコ"を開発し初飛行させているのだ。(ちなみにこの両者は同じエンジンでもある)

つまりすでに最新鋭のG50がありながら、それよりも古くさい複葉羽布張り機のCR42を後からわざわざ送り出したしたという事になる。ピザばかり食べていて戦闘機開発競争に乗り遅れたのではなく、あえて逆方向の列車に乗り直したのだ。そのほうがよほどどうかしている、という意見は多々あろうが。 

もう一度、時系列で並べてみよう。

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1933 CR32 イタリア

 

1934  CR40 イタリア

 

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1934 グラディエーター 英国

 

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1935 5月 Bf109 ドイツ(B型は1936)

 

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1936 3月 スピットファイア 英国

 

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1937 2月 G50 フレッチア

 

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1937 12月 バッファロー アメリ

 

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1937 12月 97戦 日本

 

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1937  12月 MC200 サエッタ イタリア

 

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1938 5月 CR42 ファルコ イタリア

 

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1938 12月 隼 日本

 

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1939 4月 零戦 日本

 

こうして並べるとやはりCR42ファルコだけがなぜか時代に逆行していることがよくわかる。(逆にメッサーとスピットが傑出して時代に先行しているのもよくわかるが)

しかしこれは何もピザばかり食べていたイタリア軍に限ったことでもない。

R計画と同年の1936年、アメリカ海軍の艦上戦闘機競争試作でグラマンが提出したF4Fは当初はナント複葉機案だった。グラマンの連中もハンバーガーばかり食べてたと思われる。周りには複葉など一機も居なかったのに気付いて慌てて単葉化させたがバッファローに敗退(その後海軍の温情で単葉化させてもらって復活採用)

日本でも川崎は複葉固定脚の九五戦をリファインしたものを1937年に試作している。土井技師は”栗きんとん”でも食べてたのだろうか(スグに思い直して低翼単葉キ28に取り替えたが)

ソビエトでは既に低翼単葉のI-16がありながら複葉のI-15を引き込み脚化したI-153を開発した。初飛行は1937年だからロシア人全員でウオッカで酔い潰れていたに違いない。(これもまあ、Yak1あたりが間に合わなかったかららしいが)

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1938  I-153

しかし、世界はまだ、この後の戦争でどういった空中戦が展開されるかをハッキリとはわかっていなかったのだろうナチスドイツにしても双発のBf110があれほど役立たずのお荷物になるとは贔屓筋のゲーリングだって思ってなかったし、英国も旋回機銃のみのデファイアントホットスパー、ロックなどのお笑い草をせっせと開発していた。アメリカにもエアラクーダなんて愉快な機体もある。

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Bf110 「空飛ぶレンガ」


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デファイアント「うすのろ」

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ホットスパー 「絶句」

 

エアラクーダ「お粗末」

さてイタリア軍がこの時期に旧弊な複葉固定脚機CR42をわざわざ開発指示したのは何故か。ブログ主は用兵側が新奇な低翼単葉コンセプトに不安を抱いて掛けた保険機なのではないかと推測する。(F4Uコルセアに対するF6Fヘルキャットみたいなもの)

フィアット社としては新鋭G50の開発改良に設計技師のジュゼッペ・ガブリエッリを専念させたかったのではないか(この辺は勝手な想像) ところが分からず屋の軍部が今更ながら「複葉固定脚の機体も保険で用意してちょーよ」と無理難題を言ってきたとしたらどうだろう。スマホ全盛の世の中なのにガラケー開発を命じられるようなものだ。

フィアット社がマンパワー分散のため別の設計者にこの開発を命じたとしても不思議はない。複葉の名機CR32を設計した老練チェレスティーノ・ロザテッリ技師に、「複葉機ならオマエ得意だろ」とお鉢が回ってきたのが実のところではないだろうか。

イタリアでは機体番号の前のアルファベットは設計者のイニシャルを表す(例外もある)CRとはチェレスティーノ・ロザテッリ (Celestino Rosatelli)でありG50はジュゼッペ・ガブリエッリ (Giuseppe Gabrielli)である。ちなみに戦後のジェット戦闘機フィアットのG91もジュゼッペ・ガブリエッリの作品だ。

保険機なので実績のない最新技術は使えないし時間もない(多分予算もない)そこで目をつけたのがCR32の後継機として1934年に完成していたCR40、、、だったかもしれない。

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コイツの改良型CR41が「R計画」の煽りを食って棚ざらしになっていたのを引っ張り出し(これまた推測)、G50と同じ840馬力エンジンを搭載、各部を手直ししてチョチョイまとめた(んとちゃうかなあ)それがCR42ファルコの正体である(よう知らんけど)

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つまりCR42ファルコは初飛行は1939年でもイチから設計された機体ではない。基本コンセプトは1934年に遡る。4、5年は古い機体でいわばグラディエーターと同期となる。なんだかフケた同級生がクラスにおるなあと思ってたら4浪だった、みたいなことだ。

しかしナンボなんでもそのままでは時代遅れなので最新の空力理論は導入されたようだ。NACAカウリングだったり、よく見ると中翼配置だったりする。半分羽布張りの複葉固定脚機のくせに、各部に妙に空力的に洗練されている部分があるのは、おそらくはそういった生い立ちによるものだろう。

自分は今回ファルコのプラモデルでオイルクーラー排出口周りなどをディティルアップしたりした時にそれを実感した。

東洋の片隅では「固定脚複葉機のクセに細かい部分の空力を洗練させたりして理解に苦しむ機体」などと言われてバカにされてはいるが、最新技術の低翼単葉全金属引込脚機が失敗したときの保険機だとしたら、コンサバティブな固定脚複葉羽布張りが大前提となる。そこに出来うる限りの空気抵抗軽減策を盛り込んで速度不足を補った、と見ればそこまでキッカイな代物でもなかろう。

チマチマと作りながらもいろいろ考察し、この結論に至ったわけだ。これもまた大戦機のプラモデルを作る面白さだと思う。

さてしかし…

この複葉の保険機がMC200やG50のサブに回ったのならともかく、イタリア敗戦後まで生産されイタリア戦闘機中最大の生産量となる主力機(1800機くらいだけど)となってしまったのは何故か?という疑問が残る。(前述の複葉F4Fも川崎のキー10改も試作止まり、I-153も運用は大戦初期までだ)

CR42ファルコにはまだまだ謎がある。

それはまた次回。

  

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