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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

「CR42ファルコ」主力機となった謎に迫る

パスタ食べてワインばっかり呑んでる呑気なイタリア人が古い複葉戦闘機CR42ファルコの巴戦能力が気に入って、骨董趣味の英国人のグラジエーターやソードフィッシュなどと地中海のマルタ島の田舎でどっちもどっちの複葉芋洗い決戦をした、というのは酒場のネタとしては確かに面白い。

しかし、本当にそうなのだろうか?というお話を今回はするのでございます。

 

さて 「R計画」コンペ自体はマッキ社のMC200"サエッタ"(稲妻)が最優秀となり採用された。
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MC200 サエッタ
同じエンジンの似たような構成の機体のフィアットG50フレッチアに比べて30kmも優速で、なおかつ視界も運動性も良好だったというから順当な選定だろう。シュナイダーカップで勇名を馳せた名設計士マリオ・カストルディが徹底した空力処理を施した結果と思われる。

ちなみに一回り大きいエンジンを積んだレジアーネ社のRe2000はさらに高性能だったが翼内に燃料タンクを装備していた事を危ぶんだイタリア空軍が落選させた。レジアーネ社は仕方なくこれを朴訥な北欧人などに言葉巧みに売りさばいたのだが、航続距離もそこそこあったからかイタリア海軍も少数導入した。もし、日本海軍にも商談を持ってきていたらイ式艦戦とかで採用されたかもしれない。結果、一式陸攻と"ワンショットライターズ"というやや剣呑なコンビを結成していたことに・・・え?翼にタンクがあるのって零戦も一緒?そーりゃスイマセーン・・・

R計画で全金属低翼単葉戦闘機に向かおうとするイタリア空軍に水を差したのは「新兵器の実験場」と呼ばれたスペイン内戦だ。イタリア軍が派遣した戦闘機のうち人民軍の低翼単葉のI-16相手に大戦果を挙げたのは先行生産配備されていた最新鋭のG50ではなく、なんと旧式の複葉固定脚機のフィアットCR32の方だった。

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I-16

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CR32

CR32が優秀だったからというよりは相性や戦法の問題もあったろうと思う。スペイン内戦ではドイツの最新鋭、全金属低翼単葉機のBf109もI-16を圧倒しているはずだが、そっちの方はあいにくイタリア人の目に入らなかったらしい。連中、美人以外は目に入らないのだ。そういう経緯もあってここに複葉固定脚機ブームがイタリア空軍内にリバイバルしたのではないか。

しかし個人的にここにもう一点、ファルコが開戦時の主力機となってしまった要因があるのでは、と考えてみた。

もちろん何らの史料的正当性もない。極東の片隅で阿呆なオッサンがプラモ片手にウロンな考えをひねくりまわして思っただけのことだ。ま、どっちにしたって秋の夜長のワイン片手のヨタ話には変わりない。

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R計画の勝者であるマッキ MC200サエッタには実は機体に空力的な問題を抱えていたことは(イタリア機マニアには)良く知られている事実だ。

急旋回時などに回復不能な錐揉み(フラットスピン)に入ってしまう、という欠陥だ。おそらくは気流の剥がれや翼端失速などからくる不意自転で、これにより二件の死亡事故を起こして全機飛行停止処分を食らってしまったのである。

そしてこの処分の裏にはR計画に落選したフィアット社が暗躍したとの陰謀説もある。しかし、翼端失速はMC200サエッタだけでなくR計画に参加した全てのイタリア製低翼単葉戦闘機は大なり小なり同様の傾向があった(補欠的に採用されたG50も同じだが、こっちは飛行停止まではいってない)これはすでにR計画コンペの時点で大きな問題になっていた、というからイタリア空軍首脳は頭を抱えたろう、いや頭を抱えつつワインを飲んだろう。

「翼が一枚の戦闘機で空戦するなんて危なっかしい!」という当時のイタリア人パイロットの不安は不幸にも的中したわけだ。このMC200サエッタの空力問題がようやく解消されたのは1940年、イタリアの参戦はもう目の前に迫っていた。

この時点でまともに空中戦機動ができる戦闘機をイタリア空軍は持っていなかったことになる。レジア・エアロノウティカ(=王立空中艦隊)なんて大仰な名前でありながらそんな体たらくではムッソリーニの親方でなくとも血相変えたろう。

これが保険機の積りだったコンベンショナルなフィアットCR42ファルコが急遽採用、大量生産され、MC200に代わって主力機になった最大要因ではないだろうか。デートの前に最新モードの勝負パンツ履こうとしたら穴があいてたので慌てて毛糸のパンツ引っ張り出してくるようなものだ。

ところがいざマタを開いて、じゃなかったフタを開いてみるとこのファルマタ、じゃなかったファルコがイタリア戦闘機中最大の生産量を達成する主力機となった(でも2000機に満たない)

同じフィアットの低翼単葉全金属機のG50に比べ最高速で40km/hほど劣っていたが、武装は同等、航続力や運動性、使い勝手に優れ、何より変な失速グセもないのでパイロットに好まれたのであろう。当初の相手が旧式のグラジエーターやI-16だった事もあったし、スピットやハリケーンが出てくると新型のG50やMC200でも対抗出来なかったから結局はDBエンジンを積んだMC202待ちだったのは同じである。

さらに生産性も考慮に入れる必要もある。MC200などは生産性が良くなく、手慣れた鋼管フレーム+羽布張りのCR42が開戦時に数が揃っていただけ、という推測も成り立つ。

その後もなんだかんだと造り続けられ、イタリア敗戦後もあの頭の硬い一撃離脱主義者のドイツ人が生産を継続し、鉄十字をつけて使用されたのだから当のファルコも驚いただろう。

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もっとも当然戦闘機としてではなく、以前も書いたが小さな島や砂漠地帯の荒れた小さな飛行場での運用や、夜間騒乱(敵の睡眠妨害の嫌がらせ)の爆撃など、ヘンシェルHS-123と同様複葉固定脚機ならではの活躍の場があってのことだろう。


実戦配備の軍用機に求められるものは性能の良さだけではなく、信頼性や安定性、戦場での使い勝手の良さも重要なことだという証左でもあるだろう。永遠の二線級であるハリケーン、P-40、隼などもそのよい例なのかもしれない。

 

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