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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

「イナズマンへ」1/48サエッタとフォルゴーレ その3

ちなみにサナギマン、イナズマンとは昔の変身ヒーローTV番組に出てくるキャラクター。主人公は蝶をモチーフとしており二段階変身といってまずサナギマンにならねばならない。このサナギマンはとっても弱く、敵の戦闘員たちにタコ殴りにされつつもじっと耐える。そしてエネルギーがたまるのをボコられながら待ち「チョーリキショーライ(超力招来)!」とイナズマンに変身するのである。

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サナギマンからイナズマン

 

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サエッタからフォルゴーレ

 

いやそっくりやん、マリオ・カストルディさんもこの番組のファンだったに違いない。。。いやいやそんなはずないやろ、、という考察のお話が今回。
アホなことゆーてんとはよ模型作らんかい!というお叱りはごもっとも。平にご容赦くだされ。

 

当時の空冷イタリア戦闘機にあってDB601エンジンを積んだのはマッキだけではない。このころ同じ「R計画」同期生であるRe2000G50サエッタカプロニF.4、はては同コンペレースの「岩石オープン」ことCR42ファルコにいたるまで、こぞってこの珠玉のダイムラーベンツエンジンを搭載してはヒャッホーウとイタリアの空を飛んだのである。

以下初飛行した順に。。。

 

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レジアーネRe2001 1940年7月初飛行。

見ての通りただDB601をポン付けしただけで何の工夫もあらしまへん。翼内タンクがあって仕方ないとはいえ、運動性を求められる戦闘機が重いラジエーターを外翼に搭載したらそらあかんやん。

最大速度は540km/hとRe2000から10km/hほど伸びただけだが、なぜか少数が生産される。ただし「アリエテ」=「雄羊」という戦闘機には珍しい名称をつけられ、最後はDBを回してもらえず仕方なく「イソッタ・フラスキーニ デルタ」という倒立V型12気筒「空冷」(?!) 700馬力(?!)の珍エンジンを積み、その後またまた空冷に戻されるという、今ならパワハラで訴えてもよさそうな目に遭っている。

 

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カプロニ・ヴィツオラF.4 1940年7月初飛行
「R計画」に参加したF.5のイソッタ・フラスキーニの液冷エンジン版がこのF.4「液冷はアカンゆうたし!」と空軍に叱られて棚上げになった機体にDBをポン付け。もともと液冷用の機体だから最もフィットしそうなものだが、最大速度は550km/hしか出ず、結局試作のみ。合板張りの翼に胴体鋼管フレーム構造は流石に古かったのか。

 

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MC202  1940年8月初飛行

最高速600km/h、上昇時間6000mまで6分未満、と見違えるような機体に生まれ変わった。加えてサエッタ譲りの運動性能は健在だから「チョーリキショーライ!」と叫びたくもなる。これは試作機で無塗装銀だからか異母兄弟の飛燕によく似ている。もっともフォルゴーレが1年半ほどお兄ちゃんだ。基本性能も近似しておりアメリカ軍が最初に飛燕に遭遇した際、フォルゴーレのコピーか何かと勘違いしたというのも頷ける。それでイタリア系ネームの「TONY」になった、というがどこまで本当かはわからない。

後方視界にも配慮した完全密閉のコクピットは又もイタリア空軍パイロットからNGが出た。「ケっ、どーせあいつら文句つけんだろ」とマリオが言ったかどうかは知らないが、それを見越してフェアリングを簡単にすげ替えられるようなデザインにも見える。

 

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フィアットCR42DB 1941年3月初飛行

速度520km/hで「世界最速の複葉固定脚戦闘機」となったが、、、さすがの物好きイタリア人でも今さら「岩石オープン」ならぬ複葉固定脚に貴重なDBエンジンを載せるのも勿体ないと思ったのか試作機1機のみ。このまま生産されてたら「空飛ぶ豚に真珠」というニックネームを頂戴したかもしれない。

 

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フィアットG50V 1941年8月初飛行

G50はDB搭載にあたって胴体と尾翼を再設計し直した(それでコレか?というお姿には涙するほかない)設計期間が長引きようやく初飛行した時には他社に1年ほど遅れ、MC202は既に量産に入っていていわば周回遅れ状態。性能の方も580km/hと待たせた割には味がイマイチな「蘭紅園」のラーメンなみである。誰もそんなん注文しいひんし。

結果、ただひとりMC202フォルゴーレのみが文字通り群を抜いた機体となった。地中海にもブンブン飛び始めていた「空飛ぶ鉄火女」スピットファイアに対抗すべく(、、実際はドイツ空軍におんぶにだっこだったが)早急な新鋭戦闘機の配備を迫られていたイタリア空軍にとってはまさに救世主に思えただろう。

ようやく模型が出てくる。

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やや偏執的とも思えるほど究極に絞り込んだMC200サエッタの基本設計もスリムな倒立液冷エンジンにマッチしたことがよくわかる。しかし胴体の再設計をしながらポン付け他社機と変わらぬ40年夏にMC202を完成させたのはカストルディ技師の手腕だろうか。それともレジアーネやフィアットの連中がよほどボンクラでパスタとワインに明け暮れていたのか。

ひょっとするとカストルディは早い時期からMC200を空力的に洗練させた機体の下準備をしていたのかもしれない。。。
そう考えるのはコイツの存在があるからだ。

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MC201 (試作機はMC200と同エンジン)

MC200の初期の失速トラブルの改良案として開発されたが、カストルディは過剰な空気抵抗も問題視し胴体にも手を入れ、ラクダの様に盛り上がっていたMC200の操縦席を低くした。(写真で見る限り主翼翼端に"ねじり下げ"(失速防止策)がついている様にも思えるが、これは確証がない) ところが搭載を予定していたフィアットの1000馬力エンジンが待てど暮らせど完成せず、そうこうするうちにドイツから素晴らしいプレゼントがやってきた、、、まあ案外そんなところでは、と思うのである。

 

三面図を並べてみる。

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MC200

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MC201     

 

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MC202

 

サナギマンからいきなりイナズマンになったのではなく、ノープリウスマンからゾエアマンを経てサクラエビマンになったということか、、、


むろん、この推察には何の根拠もない

70年も後になってアジアの片隅でイタリアには縁もゆかりもないエエ年こいたタダのおっさんがプラモをいじくりまわしながら妄想しているだけの話だ。ただまあ、三次元で比較して実機の用兵思想や開発コンセプト、設計者の個性、開発の状況などに思いを馳せることができるのもプラモデル作りの面白いところ、だと言いたいのです。

 

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