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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

「CR42 ファルコ」実機の生い立ち

さて完成した CR42ファルコの展示を眺めては実機のウンチク話を同好の士と交わす。あるいは家に帰ってイタリアンワイン(ホントは水割りブラックニッカ)を舐めながらこの機の生い立ちについて思いを馳せてみる。こういうのが大戦機模型の醍醐味だったりする。

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展示会でのショット

フィアットCR42ファルコ、といえばWebで調べると概ね「ピザばっかり食べてるアホなイタリア人が作った時代錯誤の爆笑ヒコーキ」という評価が多いようだ。

確かに、初飛行が1938年5月だから同期生は日本の一式戦「隼」あたり。

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ファルコはイタリア語で「隼」の意味だから名前も同じなのだが、その差は歴然だ。最近では一式の方の隼君はなにやらアニメ美少女達の乗機になるという憂き目に遭ってしまって栄誉に浴している、とも聞く。

1930年代後半というと欧州列強国ではこの頃すでに密閉風防を持つ全金属製モノコック構造の低翼単葉引込み脚の最新鋭機が登場していた。

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メッサーシュミットBf109B (1936)

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スピットファイア(1936)

これらに比べると2年も後に出たファルコが金属羽布張り混合、鋼管フレーム構造の開放風防の複葉固定脚機とは旧態依然もいいところだ。やっぱりイタリア人はピザばっかり食べてるから戦闘機開発も遅れをとるのだな、、、などと思いそうだが実は彼らも伊達にピザばかり食べているわけではなかった。。。というお話。

 

時はファルコ初飛行の2年前の1936年、イタリア空軍はそれまでの主力戦闘機フィアットCR32を更新すべく「R計画」と呼ばれる全金属モノコック構造の低翼単葉引込み脚戦闘機の競争試作を開始した。おそらくは前述のBf109やスピットファイアの影響もある、列強に遅れてなるまじ!と食べていたピザをかなぐり捨てての大決断とみていいだろう。

これを受け、フィアット、マッキ、レジアーネ、アンブロシーニなどの各社もこぞってピザを投げ捨て競争試作に参加、1937年2月には早くもフィアットG50"フレッチア(矢)"がトップを切って初飛行している。

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フィアットG50"フレッチア"

 

1937年初頭というと同期生はバッファロー、日本の97戦あたり。

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バッファロー

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九七戦

 

こう比べて見るとイタリア機もそう捨てたもんでもない。二重星形エンジン、引込脚、恒速3枚ペラ、12.7mm2門、光像式照準器、密閉式風防装備である。少なくともコンセプトはヨーロッパ最新モードだ。空飛ぶビヤ樽だの固定脚ブラ下げた田舎もんだのに笑われるスジアイはない。

ところが、このイタリア初の全金属引込み脚低翼単葉機フィアットG50"フレッチア"が初飛行後、1年と少したってからフィアット社は複葉固定脚のCR42"ファルコ"を初飛行させているのだ。ちなみにこの両者は同じエンジンである。

つまりすでに最新鋭の低翼単葉のG50がありながら、それよりも古くさい複葉機のCR42を後からわざわざ送り出したしたという事になる。ピザばかり食べていて戦闘機開発競争に乗り遅れたのではなく、あえて逆方向の列車に乗り直したのだ。そのほうがどうかしている、という意見は多々あろうが。

 

もう一度、時系列で並べてみよう。

 

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1933 CR32 イタリア

 

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1934  CR40 イタリア

 

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1934 グラディエーター 英国

 

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1935 5月 Bf109 ドイツ(B型は1936)

 

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1936 3月 スピットファイア 英国

 

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1937 2月 G50 フレッチア

 

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1937 12月 バッファロー アメリ

 

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1937 12月 97戦 日本

 

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1937  12月 MC200 サエッタ イタリア

 

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1938 5月 CR42 ファルコ イタリア

 

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1938 12月 隼 日本

 

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1939 4月 零戦 日本

 

こうして並べるとやはりCR42ファルコだけが時代に逆行していることがよくわかる。
(逆にメッサーとスピットが傑出しているのもよくわかるが)

しかしこれは何もピザばかり食べていたイタリア軍に限ったことでもない。

R計画と同年の1936年、アメリカ海軍の艦上戦闘機競争試作でグラマンが提出したF4Fは当初複葉機案だった。グラマンの連中もハンバーガーばかり食べてたと思われる。周りには複葉など一機も居なかったのに気付いて慌てて単葉化させたがバッファローに敗退(その後温情で復活採用)

日本でも川崎は複葉固定脚の九五戦をリファインしたものを1937年に試作している。土井技師は栗きんとんでも食べてたのだろうか。

ソビエトでは既に低翼単葉のI-16がありながら複葉のI-15を引き込み脚化したI-153を開発し多用した。ロシア人は、、全員ウオッカで酔い潰れていた。

 

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1938  I-153

 

世界はまだ、この後の戦争でどういった空中戦が展開されるかをハッキリとわかっていなかったのだろう。ドイツにしても双発のBf110があれほど役立たずのお荷物になるとは思ってなかったし、英国も旋回機銃のみのデファイアントホットスパー、ロックなどのお笑い草をせっせと開発していたのだ。

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Bf110 「空飛ぶレンガ」


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デファイアント「うすのろ」

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ホットスパー

 

さてイタリア軍がこの時期に旧弊な複葉固定脚機をわざわざ開発指示したのは何故か。もともと風を感じながらの空中戦が大好きのイタリアのパイロット達がおそらく新奇な低翼単葉コンセプトに不安を抱いて掛けた保険機なのだろう。(F4Uコルセアに対するF6Fヘルキャットみたいなものか)

フィアット社としては新鋭G50の開発に設計技師のガブリエッリを専念させたかったのではないか(この辺は勝手な想像) ところが軍部が今更ながら複葉固定脚の機体も保険で用意しろと無理難題をいう。スマホ全盛の世の中なのにガラケー開発を命じられるようなものだろう。

フィアット社がマンパワー分散のため別の設計者にこの開発を命じたとしても不思議はない。複葉の名機CR32を設計したロザテッリ技師に、複葉機ならオマエ得意だろ、とお鉢が回ってきたのが実のところではないだろうか。。

イタリアでは機体番号の前のアルファベットは設計者のイニシャルを表す(例外もある)CRとはチェレスティーノ・ロザテッリ (Celestino Rosatelli)でありG50はジュゼッペ・ガブリエッリ (Giuseppe Gabrielli)である。ちなみに戦後のジェット戦闘機フィアットのG91もジュゼッペ・ガブリエッリの作品だ。

保険機なので実績のない最新技術は使えないし時間もない。そこでCR32の後継機として1934年に完成していたCR40のさらなる改良型のCR41が棚ざらしになっていたのを引っ張り出し(これまた推測)、R計画機と同じ840馬力エンジンを搭載し各部を手直ししてチョチョイまとめた(んとちゃうかなあ)それがCR42ファルコの正体である。(よう知らんけど)

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つまりCR42ファルコは初飛行は1939年でもイチから設計された機体ではない。基本設計は1930年初頭に遡る。4、5年は古い機体だ。なんだかフケた同級生がおるなあと思ってたら4浪だったということだ。半分羽布張りの複葉固定脚機のくせに妙に部分的に空力的に洗練されているのはおそらくはそういった間に合わせ的な生い立ちによるのだろう。

自分は今回ファルコのプラモデルでオイルクーラー排出口周りなどをディティルアップしたりした時にそれを実感した。(むろん資料などを集めればそんなことはどこかに書いてあるのかもしれないが)チマチマと作りながらもいろいろ考察し、この結論に至ったわけだ。これもまた大戦機のプラモデルを作る面白さだと思う。

 

しかしこの複葉の保険機がMC200やG50のサブに回ったのならともかく、イタリア敗戦まで生産されイタリア戦闘機中最大の生産量となる主力機となってしまったのは何故か?という疑問が残る。(前述の複葉F4Fも川崎のキー10改も試作止まり、I-153も運用は大戦初期までだ)

CR42ファルコにはまだまだ謎がある。

それはまた次回。

  

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