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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

SEIKO 5_その7「狂乱の星」

とても綺麗になったSEIKO 5を見てご満悦のブログ主である。

さっそく腕に巻いてみたい。

そういやあ手元に牛革のクロコの型押しベルトがあったな・・・

ハミルトンカーキ用に買ったものだが雰囲気が合わないと感じてお蔵入りしていた。ブログ主の引き出しにはこんなのが山ほどある。

これも断捨離の一貫、とばかりにとりあえずコイツを流用することにした。ただし、これは20mm用。あいにくとSEIKO5のラグ幅は18mmだからそのままでは合わない。ええいと両サイドを1mmずつカットしてやった。

ちょっと手作り感満載だがそれも本体のヤレ具合に似合っていい感じだ。この辺り”冠婚葬祭用の無難な腕時計”というコンセプトから逸脱し始めている。そんなこたあ、もうどうでも良くなってきているブログ主である。

早速実際に腕に巻いて一日使ってみよう。

朝に時刻を合わせて手で降ってたっぷりゼンマイを巻いた。

だがしかし、しかし、しかーし!

好事魔多し。

午前中でもう5分遅れている。さらに14時あたりであえなく止まってしまった。エエ〜本当かい〜?とマスオざるを得ない。
何度もテストしたが大差なし。さすがにこれでは時計として使い物にならない。どうすんのサ!磯野クン!

う〜ん、、、買った直後の平置きテストでは問題なかったんだけどなぁ〜、、、

自動巻の機構がなにか悪さをしているのだろうか?と思って再度キャリパーを外し、歩度調整をいじったり針を取って調整してみたりといろいろやってみたが、結果は変わらず。文字盤が固着して外れないからこれ以上は難しい。外れたとしても腕時計のオーバーホールなどしたことは無い。右目の不自由な今の自分の手に負えるものではない。

残念ながらこのキャリパーは使用不能と判定した。

外観が傷だらけということは中身もまた長期間作動しているということだ。サビの状況を見ればキャリパーにも湿気が回っているのでは?という危惧は確かにあった。

「やーっぱりナ、そんなもん最初にベルト巻いて実用テストせんかいや。アカン思てたわ」

そう言われればその通りである。しかし、こういう人は決まって失敗した後から文句をつけるものだ。アカンと思った時点でアドバイスをくれた試しがない。つまりは小学生レベルの後知恵の後出しなのだ。でなければ他人の失敗を見るのが何より好きな下劣漢である。

ともかくケースやガラスはさんざん磨いてしまった後だからいまさら返品するわけにもいかない。売る側は平置きのテストしかしないのは普通だろうし、まあ50年前のものだからいた仕方あるまい。

やれやれ、、、SEIKO 5の困ったちゃんキャリパーを前に自分は腕組みをした。

 

SEIKO 5_その6「星にガラセリウムを 」

ここで硝酸セリウム、というものの存在を知る。

この薬品はなんとガラスの表面を溶解させるという。車のガラスの飛石の傷などに使われるそうだ。ミネラルガラスなら時計の風防にも使えるらしい。商品名「ガラセリウム」と言う。こんなものがあったとは〜!自分は大喜びでポチったのは言うまでもない。

研磨剤と練り合わせてあるものを買ったらかなりドでかい瓶が来た。「おじいさんの古時計」を10個は磨けそうである。よく混ぜろ、とあるから小瓶に取ってこれでもかというほどかき混ぜる。なんだかネバネバして糸を引くものを恐る恐るガラスの盤面に付けてみる。シュウっと煙が上がって見る見るガラスが溶け出し・・・

・・・というような事は全然なく、何の変化も見られない。

「当たり前だ。これはメカノケミカル反応といって、機械的エネルギーを加えることで対象物と化学反応するのだ」

本当ですか真田さん!?と言うほかない。

ともかく全体に塗り広げてからペンサンダーにスポンジをつけていわゆる機械的エネルギーを加える。

これを何度も繰り返す。30分ほど磨いたあと、半信半疑でガラス風防を拭うと・・・

そこにはなんとも滑らかな面が現れていた。

この時の安堵感たるや、である。

さらに二時間ほど掛けて磨きつづける。

ガラセリウム!素晴らしい!ひょっとすると最初からこいつを使えばもっと時間を短縮できたかもしれない。

そう、ここまでガラス磨きだけで30時間以上掛かっている。

SEIKO 5の新品風防ガラスは3000円。新品同様になったとしても自分の仕事を時給換算すると一時間100円以下だ。世界ではエチオピアが時給170円/hくらいというから、それ以下である。ブログ主の労働価格はアジスアベバニャンコ先生あたりと同等か。ちなみに時給世界第一位はスイスで2800円/hらしい。スイス人のバイトにこのガラス風防磨きをやらせると10万円ほど支払うことになる・・・スイス製腕時計が高価な理由がなんとなくわかる気がする。

今度はガラス面をマスキングし、金属ケースをピカールでバフ掛けして最終仕上げ。

エエではないのエエではないの〜。

古いパッキンは変形、変成していてもう使えない。

新しいパッキン(左)にシリコングリスを塗り込んで・・・

裏蓋を閉めて出来上がり。(蓋の向きが間違っていて後でやり直した)

仕上がりがこちら。

どうだろう、新品同様とまではいかないが、実に美麗に仕上がった。

購入時のうらびれた様子。

シルバーの盤面は少し地味で、求めていた「地上の星」感はバッチリ出ている。

1万円で新品のSEIKO 5を買っていればこんな気分は味わえない。

 

SEIKO 5_その5「星のガラスに涙」

次はガラスだ。

傷だらけではあるがヒビ割れは無し。フチのカケはどうしようもあるまい。ガラスを磨くのは初めてなのでどうなることか、不安もあるが、未知の世界にチャレンジするワクワク感もまたある。とりあえず荒めの240番のペーパーからスタートする。

か、硬ってえ〜。

磨き傷は付くが削れている感触がなく、傷が取れない。ガラスという奴はなかなか骨がある。真っ白になったガラスを見て、今更引き返せないな、と思う。

石鹸水をつけながらガーシガシガーシガシをひたすら繰り返す。食いしばった顎が引きつって口が開かなくなるほど削る。プラとは違う。そらもうカァったい硬い。ミネラルガラス磨きに比べればプラモ磨きなど赤子のハイハイだ。一般的なガラスの硬度は5Hくらい。ステンレスは4H、プラスティックは2Hとされている。ちなみに1Hが木材、10Hはご想像通り、瞳はダイヤモンド。

これは手作業では無理と悟って当工房の機械化部隊を投入することにした。

PROXON社のRX-78リューターである。

及びHe162ペンサンダーである。

ミュイーンとかビジジジーとかの音なのでまあ夜でも何とか出来る。といっても磨ける面積が小さいので均一に削るのが難しく、思ったほどは進まない。毎晩1、2時間削ってかれこれ3週間。こんな感じ・・・

多少スベスベにはなってはいるが、この先透明にするまでの道のりを考えるとちょっと気が遠くなる。

ガラスを磨くなんて全くワリに合わない。

SEIKO 5のミネラルガラス風防は3,000円ほどで手に入る。いやそもそも何度も言うがSEIKO 5の新品を買えば1万円だ。もとより自分の行為に経済的時間的合理性は全くないのだ。モノズキの道楽なのだ。

とはいえ好きでやってる趣味であっても、苦痛を伴うばかりでなんらの進捗もなければ投げ出したくもなる。何バカなことやってんだろ、俺、と嫌になってしばらく投げ出す。

数週間後、気を取り直して休日の昼間にさらに強力な重機械化部隊の投入を決断した。MS-07木工用電動サンダーである。

SK11 コード式オービタルサンダー SWS-200AC 集塵機能付き マジックテープ・クランプ兼用タイプ

コイツに1000番のペーパーを付けて磨く。軍手、耳栓、ゴーグル、エプロン姿。ガーシガシなんて可愛いもんじゃない、ヴォォーンヴォーンという轟音と手に伝わるすさまじい振動、飛び散る飛沫。小さな腕時計相手に「何バカやってんだろ、俺」感は最高潮に達するが、「毒を食らわば皿までじゃ」的高揚がさらにそれを上回っている。俗に「ヤケノ・ヤンパーチ効果」として知られる心理状態である。

やはりパワーが違う。面で削れることもあって早い。初めからコイツで行けばよかったのだ。ようやく向こう側が透けてきた。ヨォっしゃあああ!とカサにかかって2000番も電動サンダーで仕上げる。薄ぼんやりだが透明感が戻っている。

これで何とかなりそうとメドがついた。

 

SEIKO 5_その4「地上の星を磨く」

50年前のSEIKO 5から機械部分を取り出した。

次は外装の金属ケースを磨くことにする。

まずは平面でやりやすそうな裏蓋で小手調べ。

小傷だけなので軽くサンディングスポンジをあて、リューターで青棒、ピカールなどをつけてバフがけ。そこそこ綺麗にはなった。

お次は本体ケース。

やはり傷は多く深い打痕も見られる。

これらの傷あとは前の持ち主との暮らしで付いた、いわば過去の記憶である。自分の所で再スタートを切るのだから、過去を全て引きずるのではなく、ある程度は自分の手できれいにしてやりたい。

しかし深い傷まで消そうとすると番手の荒い金属ヤスリが必要となる。あまりゴリゴリやるとエッジの稜線がナマクラになったり、形状が崩れたりする恐れがある。

何も新品同様にしたい訳ではない。それならケースを部品交換すれば話は早い。SEIKO 5の新品が欲しいなら1万円ほどで手に入る。

それぞれの傷はこの腕時計が生き抜いてきた半世紀の歩みである。取りきれない傷があるならそれも含めてこのSEIKO5の歴史だ。

400番のペーパーに当て木をして面に水平に当て、地道に削る。ムクのステンレスと調べがついているからできる事で、真鍮にクロムメッキだと一発で剥がれてアウトだ。

ガラス回りのリングの傷がどうしても上手く削れない。ガラス面が邪魔で半円状の曲面にペーパーが当てられないのだ。本来ならガラスを外すべきだろうが、それには特殊工具が必要となる。

400番800番1200番と段階的に進めていく。磨き傷が残っていれば前の番手に戻ってまたやり直し。これを繰り返す。削るうちにやはりどうしても稜線のシャープさは失われてしまう。金属は硬い。それもステンレスだからなおさらだ。プラとは違う。ステンレスに比べればプラモ磨きなど子供のお遊びだ。

かなりヘコタレてきた。趣味でやってる事だから、あまりに苦痛が過ぎると手が止まる。ヘアラインにして逃げる事も考えたが、元々がきれいなポリッシュなのでそれを尊重する。

2000番あたりで青棒+綿棒+リューター掛けにスイッチ。

大きな面には青棒バフがけ。

テロっとした輝きが出た所で一旦終了。

最終仕上げはこの後ガラスを磨いた後に回そう。

金属研磨は回転数と研磨剤の組み合わせなど、奥が深い。本来は自分のような素人がDIYレベルで手を出せるものではなく、自分で買った中古のSEIKO 5だからこそ気軽に出来る事だ。

高級時計ではおススメしない。一応、念の為

 

SEIKO 5_その3「機械仕掛けの星」

50年前のSEIKO 5を手に入れた。

まずは機械が正常に稼働するかテストだ。
手に持って2分ほどゆっくり振ってやる。

そう、このSEIKO 5、リュウズでの手巻きに対応していない。自動巻の手巻き機構は複雑でキャリパーにも負担が大きいらしい。コスト、信頼性の観点から採用されなかったという。

更にはリュウズを引いて秒針を停める、いわゆるハックもない。

ハックとはミリタリーウォッチが元祖の機能である。その名称は分隊全員が"ハック!"の掛け声と同時に時計を合わせる所からきている。「12時15分に橋を爆破するからそれまでに撤退せよ」的な作戦では必須な機能なのだろう。いかにもミリオタが嬉しがって垂れそうなウンチクである。もちろん、自分のハミルトンカーキにも備わっている、と嬉しそうに言ってみる。

そもそも、SEIKO 5はカタログデータで日差-35〜+45秒。月曜朝に時刻を合わせたとしても火曜の昼すぎには1分ほど狂っている可能性はある。つまり、もともとこの時計、秒単位で合わせる意味があまりない。

そんなのダメじゃん!と言われそうだが、実際に一般的な仕事や生活で秒単位の正確な時刻が求められるケースはそうはないものだ。いや私にはある、と言うなら今の時代クォーツでもデジタルでもすればいいのだ。あと45秒でタイムカード押さねば遅刻!なんてギリギリの状況に陥る生活態度の方が問題だと思うのだが。

いたずらに性能を求めず、必要不可欠な機能以外は省く。そうやって機械をシンプルに保ち、丈夫な時計を安価で提供する。実用時計としてのSEIKO 5のスタンスがわかる。

さてそれはともかく平置きテストの結果は、20時間ほど稼働して日差はおよそ1分弱・・・

まあ50年前の機械と思えばこんなものか。冠婚葬祭1日限定なら許容範囲内だ。ベルトがないので腕に巻いた実用時にどうなるかは未知数だが自動巻なんだから稼働時間は増えるだろう・・・との見通しが楽観的過ぎたとは、この時はまだ何も知らぬノンキなブログ主であった・・・

自動巻時計を磨くにあたって電動リューターなどの振動を加えるのはどうも心配だ。裏蓋を開けてキャリパーを取り出しておこう。

最近のSEIKO 5はスクリューバックだがこの時代の裏蓋はハメるだけのようだ。

サビで固着していて裏蓋を剥がすのに一苦労。

クォーツはつまらないが機械時計の内部は見るといつも心躍る。パッキンはボロボロだけど。

オシドリというボタンを押してリュウズを抜く。

↑スペーサーを取り、

↑ここにもサビが及んでいる・・・

↑キャリパー自体にサビは見られないが・・・

↑機械部を取り出す。文字盤ステーは固着しているようだ。ハックがないので矢庭に秒針が動き出すから怖い。すぐに密閉ケースにしまっておく。

↑嵌合部分のサビが酷い。

↑どっかの知らないオッさんの汗が染み込んだ結果、と思うと気分的によろしくない。

↑なのでリューターで掃除しておく。

↑錆は落ちたがステンレスが虫食い状に腐食している。

↑スペーサーのサビも綺麗に落ちたが・・・

↑今まではサビで固着していて密閉性が保たれていたのだろうか。
これだけ穴だらけだと今後も水濡れ厳禁、夏場の汗でも心配だ。
パッキン(Oリング)を新品にして冠婚葬祭専用ならなんとか・・・

SEIKO 5_その2「掘りおこした地上の星」

SEIKO 5、いーよなぁ、欲しーなぁ・・・とぼんやり考えながらネットをウロついてたら・・・

オークションサイトなどで中古のSEIKO 5というものに行き当たった。棒に当たれば犬も歩く、のことわざ通りである。なんと千円代くらいから手に入る。そらまあ傷だらけのボロボロだが、これを磨いてやったらどうだろう。

以前、とある芸能人がそんなことをして楽しんでいる、とのネット記事を読んだことがある。外し的オシャレ狙いだろうけれども。オールドSEIKO 5は機械的耐久性に優れていて古くても結構実用になるらしい。時計のオーバーホールまでは出来ない自分にはおあつらえ向きだ。

おう、こいつぁ楽しそうだ。

古いものを掃除したり磨いたりするのは大の得意だ。車もバイクも新車より中古をそうして自分の手を掛けていく方が好きである。このへんはやはり基本的にモノヅクリ、モノイヂリが好きな性格なのだろう。

SEIKO5は現在でも海外で製造されており望めば新品が非常に安価で手に入る。国産の普及品なので中古も大量に出回っていて希少性もない。ヴィンテージ的価値もない。そんな中途半端に古いSEIKO 5を安くで手に入れ、手間ひま掛けて磨き、素知らぬ顔で実用的に使う。

これは面白い。

何歳で年収これこれなら腕時計はこの程度、なんて愚にもつかぬファッション誌的価値観からは真反対の極北に立つことが出来る。ステイタスシンボルなどとぬかす権威主義者の視線など屁のカッパだ。オーソドックスなデザインのを選んでおけばどこに出ても心理的ストレスは、少なくともブログ主は感じない。

無論、時計マニアなら瞬時にSEIKO 5と見抜くだろう。安物だビンボータレだと馬鹿にするかもしれん。それは一向に気にならない。マニアとは偏愛の余りその方面の価値観がクルッてしまった人のことを言う。狂人にバカにされるということは正常の証である。かえって嬉しいくらいだ。

さっそくネットを漁る。某中古品売買アプリで見つけたのがコレ。

稼働品との説明がある古いSEIKO 5アクタスファイブアクタスって懐かしい響きだ。カットグラスにグリーンの文字盤とか、中学の入学祝いで貰った気がする・・・アレどこにやってしまったのだろう?

シルバーのシンプルな文字盤。いたって地味でオーソドックス極まりない。ドレッシィでもビンテージでもないし昭和レトロテイストにも欠けるが、冠婚葬祭、それもほぼ葬儀仏事用なのでむしろこういうのがいい。外観ボロボロ、ベルトなし。本体は2000円くらい。ヨシこれでいってみよう。

我が家にやってきたSEIKO 5、実物はさらに傷だらけである。みんな写真撮るのが巧みだのう。文字盤6時付近にヤケが発生しているが、これの修復は難しそうだ。

背面のシリアルナンバーから1972年製の7S26キャリパーと判明した。実に今から50年前の製品である。

昭和で言えば47年、自分などはまだ小学生のチビっ子だ。

これを買った人はどんな人だったのか。こんなになるまで使った、というのもすごい。時計は1本きり、が当たり前の時代だ。仕事だけでなく魚釣りも温泉旅行も結婚式も子供の運動会も全部このSEIKO 5で通したのだろう。それでもこんな傷だらけになるまでに20年いやそれ以上か・・・あるいは工場勤務か農家の人なのかもしれない。

いずれにせよこの時計から漂ってくる持ち主のイメージは「実直」の一言だ。夕陽に染まる赤ら顔の男のイメージが浮かぶ。風の中のすばる、砂の中の銀河・・・

 

SEIKO 5_その1「地上の星を求めて」

さて、話題をSEIKO 5に戻す。

この先、自分も相方同様、喪主になりそうな案件が控えている、とは以前にも書いた通り。

現在の冠婚葬祭用時計はスイス製の有名ブランド時計である。フォーマルスーツに合う時計は今では自分はこれくらいしか持っていない。(ハミルトンカーキはブラック文字盤なので金属ベルトにすればギリいける、かな?)

むろんそんな高級ブランド品を自分で買うわけもない。ずいぶん昔、80年代にお祝いで貰ったものだ。ブログ主のような仕事生活範囲では使う機会はほぼ皆無だ。貰ったのはゴールドのコンビである。自分の趣味とは180度真逆である。

かと言って人から譲り受けたものをイケシャーシャーと売り払える"お水"感覚もない。シンプルなシルバー単色の中古の不動品を買ってきて中身をいれかえ冠婚葬祭用に特化して使ってきた。

古いものだし例の王冠印の方ではないから脂切った成金的イヤらしさは抜けていると思っている。

しかし「最終、究極」を意味するとかいうそのブランドマークがなんだか疎ましく感じてしまう今日この頃である。

一般論としてもいまや高級車や高級腕時計などはアナクロニストの象徴と思っている。これは前回書いた通り。権威主義スノビズムによる過剰に重厚長大な豪華さや華美さは自分の最も好まぬところである。ブログ主の生活態度、趣味嗜好で重視するのは実用性、機能性、デザイン性だ。

そういう目で見ればこの瑞西製究極印腕時計、今一つなのである。

実用性は電池切れの恐れが急を要する葬儀専用としてはマイナス点とは何度も書いた通り。機能はクォーツだから問題ないが、中身は汎用ムーブメントで数千円のはずだ。

デザインは悪くはないがその美しさにホレボレする、というわけでもない。たしかに金属ベルトの手触りなどはとても滑らかで艶かしいほどだ。付け心地もきわめて良い。この点は手間がかかった「高品質」な製品だとは思う。しかし、じゃあその手触りだけに何十万も出すのか?と言われたら全速力でかぶりを振るだろう。

いくら仕上げが良くても、やっぱりその価格の大半はブランド代だと思う。

しかしその一方で、高いブランド物を身につけ、世間に対し少しでも自らを大きく見せよう、一目置かれよう、とする自分がいることもまた否定し切れない。そうして自らの身中にそんな醜悪な心がうごめくことがなにより嫌になる。

華やかな結婚式や発表会ならまだしも、葬儀などがお世話になった年かさの人のものであったりすると、自分の虚栄心を雲の上から見透かされている様でなんだか心の平静を欠く。

名だたるものを追って、輝くものを追って、人は氷ばかりつかむ。

このフレーズが今は頭に渦巻いている。

オラァもっとフツーの時計がエエ!

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チプカシまでいくとさすがにアレだし、クォーツは急な葬儀の時に電池切れを経験したのは前述の通り。そう、やはり機械式だ。SEIKO 5だ。地上の星はその点でも自分の心をとらえる。

しかしながら、「SEIKO 5なんぞ1本1万やンけ、安っすいもんやぁ、なもんハシからみな買うたンデぇ」などといってぼんぼん買う様な土建屋の地上げ的思考に陥りたくはない。「地上の星」を単に安価だからと十把一絡げに扱うとすれば、自分の最も忌み嫌う権威主義、成金趣味とまったく同じ穴に落ちてしまう。

なにより断捨離、ミニマル化、チープシック中の身である。これ以上むやみやたらと無駄使いするのはいかがなものか・・・