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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

SEIKO 5_その2「掘りおこした地上の星」

SEIKO 5、いーよなぁ、欲しーなぁ・・・とぼんやり考えながらネットをウロついてたら・・・

オークションサイトなどで中古のSEIKO 5というものに行き当たった。棒に当たれば犬も歩く、のことわざ通りである。なんと千円代くらいから手に入る。そらまあ傷だらけのボロボロだが、これを磨いてやったらどうだろう。

以前、とある芸能人がそんなことをして楽しんでいる、とのネット記事を読んだことがある。外し的オシャレ狙いだろうけれども。オールドSEIKO 5は機械的耐久性に優れていて古くても結構実用になるらしい。時計のオーバーホールまでは出来ない自分にはおあつらえ向きだ。

おう、こいつぁ楽しそうだ。

古いものを掃除したり磨いたりするのは大の得意だ。車もバイクも新車より中古をそうして自分の手を掛けていく方が好きである。このへんはやはり基本的にモノヅクリ、モノイヂリが好きな性格なのだろう。

SEIKO5は現在でも海外で製造されており望めば新品が非常に安価で手に入る。国産の普及品なので中古も大量に出回っていて希少性もない。ヴィンテージ的価値もない。そんな中途半端に古いSEIKO 5を安くで手に入れ、手間ひま掛けて磨き、素知らぬ顔で実用的に使う。

これは面白い。

何歳で年収これこれなら腕時計はこの程度、なんて愚にもつかぬファッション誌的価値観からは真反対の極北に立つことが出来る。ステイタスシンボルなどとぬかす権威主義者の視線など屁のカッパだ。オーソドックスなデザインのを選んでおけばどこに出ても心理的ストレスは、少なくともブログ主は感じない。

無論、時計マニアなら瞬時にSEIKO 5と見抜くだろう。安物だビンボータレだと馬鹿にするかもしれん。それは一向に気にならない。マニアとは偏愛の余りその方面の価値観がクルッてしまった人のことを言う。狂人にバカにされるということは正常の証である。かえって嬉しいくらいだ。

さっそくネットを漁る。某中古品売買アプリで見つけたのがコレ。

稼働品との説明がある古いSEIKO 5アクタスファイブアクタスって懐かしい響きだ。カットグラスにグリーンの文字盤とか、中学の入学祝いで貰った気がする・・・アレどこにやってしまったのだろう?

シルバーのシンプルな文字盤。いたって地味でオーソドックス極まりない。ドレッシィでもビンテージでもないし昭和レトロテイストにも欠けるが、冠婚葬祭、それもほぼ葬儀仏事用なのでむしろこういうのがいい。外観ボロボロ、ベルトなし。本体は2000円くらい。ヨシこれでいってみよう。

我が家にやってきたSEIKO 5、実物はさらに傷だらけである。みんな写真撮るのが巧みだのう。文字盤6時付近にヤケが発生しているが、これの修復は難しそうだ。

背面のシリアルナンバーから1972年製の7S26キャリパーと判明した。実に今から50年前の製品である。

昭和で言えば47年、自分などはまだ小学生のチビっ子だ。

これを買った人はどんな人だったのか。こんなになるまで使った、というのもすごい。時計は1本きり、が当たり前の時代だ。仕事だけでなく魚釣りも温泉旅行も結婚式も子供の運動会も全部このSEIKO 5で通したのだろう。それでもこんな傷だらけになるまでに20年いやそれ以上か・・・あるいは工場勤務か農家の人なのかもしれない。

いずれにせよこの時計から漂ってくる持ち主のイメージは「実直」の一言だ。夕陽に染まる赤ら顔の男のイメージが浮かぶ。風の中のすばる、砂の中の銀河・・・