表題は佐貫亦男氏の往年の名著「続・ヒコーキの心」の一章より拝借させていただいた。
このキットはおそらく工房主が20歳過ぎた頃に買い求めたものと思われる。フランスから海を渡ってやってきて実に40年近くも我が家の押入れ地獄池で過ごしてきたことになる、自分はその間に三回は引っ越しており、つどつどに不要と思われる在庫キットは心を鬼にして処分した。特段貴重という訳でもなければ出来が良いキットでもないこのD510が、よくもまあ残っていたものだと思う。単簡と捨て切れない何かしらの想いが自分の中にあったのだろう。
…とまあ、このあたりはレベルのファルコと同様の経緯である。
ただしD510は手をつけてそのまま放置されていた、という点が少し違う。ふたたび佐貫氏の表現をお借りすると「"いなせ"なデボワチーヌが捨てられうらぶれ、流浪の果てにようやく」工房主との再会を果たすことになったわけだ。
箱を開けるとデボワチーヌはほとんど形になって"けなげ"に自分を待っていた。オー、モナムー。ここまで作っておいて何故に投げ出したのか、自分に記憶はない。「昔から飽きっぽく、気まぐれな男だったのよ、貴方は…」なぞと詰め寄られればまだ謝り様もあるが、プラモデルだから何にも言わない。かえってそれが不憫を誘う。
箱の中身を見ると…車のタイヤとシャーシのパーツ、それに男性フィギュアの上半身、艦船模型用とおぼしき日章旗のデカールとひからびたコンパウンド。いずれもデボワチーヌD510となんらの接点もないものが入っていた。いったい何を考えていたのだ?…40年前の若いオレのやることはさっぱりワカラン。
機首の排気管にピンバイスで穴が開けられている。このネクラ男はたぶん真鍮パイプでも仕込むつもりだったのだろう。後先を考えない、若さ特有の向こう見ずが垣間見える。垂直尾翼のトリコロールのなぜか青色だけが塗られているが、こちら方の意図はまったくもって不明である。アチコチ手を出してそのまんま、のとっ散らかった人格ということは察せられる。
ラジエーター後側には真鍮メッシュが入っている。網目がちょっとスケールオーバーだが。
機首側面の小さなインテイクはピンバイスで開口し掘り広げられているが、それも片側だけ…どうもこの辺りでヤル気を失いはじめたようだな俺という奴は…
下面のラジエーターと胴体部分にはパテ代わりの瞬間接着剤が塗りたくられたまま…ここでモチベーションが切れ、工作がストップしたに違いない。下面に対しての愛情は昔から薄かったようだ。
デカールは余白のニス部分をカットした痕跡がある。あれこれ手を出して結局アブハチ取らずに陥ってしまう傾向は今も変わらない。やはりお前は俺だったのだ…となんだかよくわからない納得をした。
40年の歳月を経たこのデカールはおそらくもう使い物になるまい。今年はお気楽能天気でデカール解禁といったが、やはりハナっから手描きでいかねばならんようだ。ガイコツはともかく…ラウンデルかあ、さてどうしたものか…
*佐貫亦男氏の往年の名著「続・ヒコーキの心」は工房主の昔よりの愛読の書である。日本における戦前戦中の航空機製造の当事者であった氏の、渡欧経験からくる見聞と博識が洒落っ気たっぷりの短文で語られる。現在の目では齟齬や身びいきなども気がつくが、なんにせよヒコーキに対する愛情が溢れている。
さらに軽妙な”おおば比呂司”氏の挿絵がここに洒脱な味わいを加えて絶品だ。ヘタウマと自称する素人ヘタヘタ画の我々は、氏の著名作のひとつである”ほてい”の焼き鳥の缶詰の挿絵でも眺めて首を垂れてみたい。