sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

全自動マシンの過去と未来

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当方、手間の掛かる機械というのはシトロエンだのドカだの初期のMacだのと慣れてはいるつもりだ。異音異臭水漏れオイル漏れ、立ち往生にフリーズ爆弾とトラブルに満ち満ちてきた。警告灯の一つや二つ、どこかで常に点いているのが当たり前な人生だった。

ただしそれらは皆、手間を掛けるに足る愛すべき魅力を有したマシンであった。手間暇掛けて整備のかいあって十全に性能を発揮するや、その苦労が一遍に吹き飛ぶかのような魅力で持ち主を歓喜させる素晴らしいマシンである。

一方このコーヒーメーカーはどうか?

全自動は生活の質を一新してくれる、、、とまでも言えないし、完全に作動した時に思わず微笑みがこぼれるような可愛い気、、も特に無い。そもそも全自動独力ノーミスで淹れおおせたことは全部で10回あるかないか、くらいだと思う。味は前述の通りイマイチ。ミルの裏側に古い粉が溜まるのだ。

見た目はまあ洒落ている。動きさえすれば捨てはしなかったろう。しかし修理して使いたい、とまで思えなかったのはこの機械、"コーヒーを愉しむ"という本質をちょっと踏み外している気がするからだ。

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販売する雑貨店の開発担当者もこのマシンがここまで脆弱な仕上がりになるとは思わなかったろう。自分は以前販売業界にいてコーヒー用品なぞも扱った経験から、そんな困ったちゃん商品がこの世には結構存在する事は承知しているつもりだ。

しかし今でもまだ同じ商品がその雑貨店で当初の半額程度で売られているのを見ると「おいおい」と思ってしまう。改良版であることを願うが、でなければ残念なことだ。

なぜかというと「有名ブランドではないけど良いお品を扱っていますよ」というのがその雑貨店の創業理念だったはずだからだ。「見た目を良くする工程を省いて手頃な値段にしました。品質は変わりません」というデメリット表示は当時の流通販売業界では斬新だった。それが「すぐダメになるけど安くしたからいいだろ」なんて考え方だとしたら、いかがなものか。他社より1円でもお安く!の○マ〜ダ電気、じゃないんだから。

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このマシンを予約購入したのは自分の判断だ。ただしこれが製造メーカー名だけで全自動マシンとして家電量販店の棚に並んでいたら、正直言って購入を悩んだと思う。全国展開の品質重視を謳う”アノ”雑貨店がプロデュースしたものだから大丈夫だろう、と思ったのも事実だ。「ブランドが無い」のがブランド名だったのに、いつの間にかそのブランド名を盲信していたのだ。我ながら滑稽な話だと思う。

ナチュラル、サステイナブル、シンプル、そんなキーワードが思い浮かぶここの雑貨店は今やネットでも大好評だ。自分も長年愛好している。用もないのに店に行ってあれこれ買うのが好きだった。材質や使い勝手なども「ここのだったら間違いない」という安心感があった。過去形で書かねばならないことがなんとも残念だ。

このコーヒーメーカーに手を焼く様になってからはなんとなく足が遠のいてしまっている。廃棄を決めた今では

「"良品"だと思ってたら"不"を見落としていた」

なんてタチの悪い冗談まで思いつく。まあ逆の立場から見れば顧客の信頼というものはかくも簡単に崩れ落ちるものだという教訓だ。

未来について言えば、今後一切この店に行かない、なんてことは言わない。家電はともかく衣料などそこまで機能性能を問わないものはこの先また買うだろう。ただししばらくはカゴに入れる前に一つ一つシビアな目を向けざるをえない。

出来れば今回の経験を活かして新しいコーヒーマシンを開発し販売して欲しい。今度は見た目は素っ気なくていいから、味と使い勝手の抜群に良いものを期待する。それが失った顧客の信頼を取り戻す唯一の道ではないだろうか。次は予約はしない、発売されて3年くらい経ってから買うとしよう。

それまでにおいしい豆を売ってくれるカフェを探しておこうと思う。