我が床の間オーディオのスピーカー「目玉オヤジ」
そのサイズから真の重低音は出ない。
以前は夜間小音量などはトーンコントロールでこれを補っていたが、
中華デジタルアンプはボリュームのみという潔さなので如何ともしがたい。
むろんフルオーケストラなど思いも寄らない。
また高音のエッジが立ちすぎて聴き疲れのする音なのも気になっていた。
いつも行く木曽のペンションのオーディオから流れる温かく柔らかなジャズを聴くたびに、
その違いに悶々としていた。。。
無論、システムの価格も大きさも部屋の造りも広さも雲泥の差だから、
逆立ちしたってかなわないのは承知の上だ。要は「音の方向性」である。
もっと温かく、柔らかで、それでいて濁りのない音が出ないものか。
これは最近の自分の嗜好の「風呂場で聴く昭和のラジオの音」の影響もある。
我が床の間オーディオはデジタルアンプにタイムドメインの豆スピーカー。
音の方向性は鮮烈な解像度志向である。
これではキリマンジャロを見たいのにそれは無理だからと香港の九龍城に旅行するようなものである。
スケールは違ってもせめて伊吹山くらいにならないか、という話だ。
温かみを出そうとすれば、少なくともちゃんとしたキャビネットを持つスピーカーは必要だ。
金額的にもスペース的にもコンパクトサイズとなる。
候補を調べてみると「タンノイ・マーキュリー」の文字に目が止まる。
これは懐かしい。
20年ほど前に持ってたスピーカーも「タンノイ・マーキュリー」だった。
ダイヤトーンの3wayの聴き疲れのする音から乗り換えたのである。。
トゥィーターが壊れて泣く泣く手放したが、
あれもまさに柔らかで温かく牧歌的なスピーカーだった。
不思議な縁を感じるというか歴史は繰り返すというか進歩がないというか、
やっぱりまたその「マーキュリー」を買ってしまったのである。
久しぶりのマーキュリーはえらくコンパクトになっていた。
セッティングとエージングに時間はかかったが、さすがに目玉親父よりは随分と低音に余裕がある。
これならオーケストラを鳴らせてみようかという気にもなる。奥行きと音場は広がった。
逆に前に出ていた音は引っ込んだ。
思った通りの「昼あんどん」さである。
目の前の身長30cmのミニチュアのドレス姿のサリナ・ジョーンズはフイと消えていなくなった。
代わりに、
やや大口の女性が隣の部屋で唄っているのを、幾重かのベール越しに聴いている、
といった感じだ。上品だが、生々しくはない。
好物のジャズトリオものはハイハットが遠くもどかしい。
その代わり、雰囲気は抜群である。いつまででも音楽を聴いていられる。
センターポジションで真正面からマナジリ釣り上げて対決的に聴くよりも、
少し斜に構えて部屋の隅にもたれかかって流れる音楽に身を委ねる方が雰囲気があっていい。
やっぱり牧歌的だ。方向性としては望んでいたものだ。
もうちょっと、その、サリナの口の大きさは引き締めたいなあ、、、とは思うものの。
目玉親父の方はコンパクトさを活かして事務所のBGM高音質化で第二の人生を歩んでいる。