長文は読みにくいからヤメロ、と言われていたのについうっかり長々と書き過ぎたので二分割いたします。
たいへん美しい下面…零戦もそうだがここら辺のラインのこだわりはいかにも堀越技師。
しかし…これは生産性はあまりよろしくないかも…
機首まわりもかなりの段差が…後先考えずゴリゴリ削る。
単排気管からの排気を逃す窪みをリューターで掘って再現しなおす。
この窪みも堀越技師の美学というか完璧主義の発現というか…実際に量産に移されていたら工員は泣いたろう。艦上戦闘機だから大量生産はあまり考えていなかったのか。堀越技師の手記にある通り「日本は資源に乏しい国だから、贅沢な材料を大量に使うよりも手間暇掛けて性能を上げよう」ということならば、それはそれで一つの見識だろう。
堀越技師が烈風の設計図に向かったのは1942年秋くらいではなかったか。それはまだ零戦32型が実戦投入された頃だ。このあと初飛行まで丸二年を費やすことになる。。。
一方こちらはアッと言うまに士の字になった我がsig工房の烈風。当sig工房では記録的な、わずか1日という猛烈スピードだった…
オー!!モー烈!
…はいはいコレがやりたかったんですね、わかりますわかります。