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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

完成品画像 N1K1-J "紫電" 1/72アオシマ

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"紫電"は日本海軍の陸上局地戦闘機。初飛行は1942年12月、大晦日のことでした。

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ライバルであるアメリカのF6Fヘルキャットの半年遅れ、同じ誉エンジンを搭載する陸軍四式戦闘機”疾風”よりは4ヶ月先んじています。試作開始からほぼ1年という短期間で初飛行できたのは"紫電"が水上戦闘機”強風”から改造されたという経緯からでした

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”強風”搭載の大きな”火星”エンジンを直径の小さな新型の"誉"に換装、出力は1400馬力から2000馬力にパワーアップします。さらにフロートを取り去ることで時速650km/hの性能が計画の段階で見込まれていました。

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ところが、実際の試験飛行での最大速度は570km/h程度に止まります。改造範囲を極力最小限にするため"強風"の大きなエンジンに合わせて設計された太い胴体がそのまま使われるなど、空力的な洗練度に欠けたことが原因とされています。性能が思ったほど向上しなかったのは実用化を急いだ代償だったのです。

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さらに新開発の”誉”エンジンは初期トラブルが多発し開発は難航します。中翼レイアウトゆえに長くなった主脚の二段伸縮機構も故障がち、ブレーキの効きが唐突過ぎる、など主脚は文字通り”紫電”のアキレス腱となります。

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それでも、当時翳りを見せ始めていた”零戦”よりも大馬力で一定の防弾性と強力な武装を持つ"紫電"に日本海軍は期待を寄せるようになります。開発が迷走していた”雷電”の穴を埋めるべく、”紫電”は諸々の問題を抱えたまま強引に量産にうつされたのでした。

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部隊配備が決まってからも”紫電”の生産は遅々として進みませんでした。製造元の川西飛行機にとって初の陸上機ということもあり、細々としたトラブルの解決に手間取ったためといわれています。

f:id:sigdesig:20201017181214j:plain結果的に戦力としてはマリアナ海戦には間に合わなかった”紫電”ですが、後に台湾、フィリピン航空戦などに投入され高速を利した強行偵察などの任務につきました。
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この画像からも"紫電"も着陸時の下方視界は良好とは言えなかったことがうかがわれます。これもやはり"強風"ゆずりの円形の太い胴体と、中翼レイアウトによるものでした。海軍特有の機首を大きくあげた三点姿勢着陸でほとんど下は見えなかったでしょう。

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広大な海面に水平に着水できる水上機と違って、狭く殆どが未舗装の当時の飛行場に着陸する陸上機に下方視界は重要でした。折れやすい長い主脚、過敏なブレーキがこれに加わります。"紫電"のパイロットは後に「薄氷を踏むような思いで」着陸したと語っています。

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戦時応急型として開発され、水上機の出自を色濃く見せた紫電。その総生産数は約1,000機と多くはありませんでした。1年後、”紫電”を低翼化し胴体を絞った”紫電改”が登場し、やがて日本海軍の主力戦闘機としてその高性能を開花させていくことになるのでした。

 

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