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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

紫電-6「下面の謎」アオシマ1/72製作記

それにしても暑すぎる今日この頃、バイクはおろか自転車すら生命の危険を感じ(オオゲサ)、模型製作もブログ更新も滞りがちなブログ主である。

夏休みだというのにどこにもGo toせず、唯一出かけた本屋で目に飛び込んで来たのは「強風・紫電紫電改」というカワニシ三連星。なんというグッドタイミングの「世界の傑作機

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そういえば数号前のスケールアビエーションでも紫電改が巻頭特集だった。

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これはタミヤから1/32の強風でも発売されたのか?それともどこかのイケメンの知事が「某ウイルスには「薬用・紫電改」が効能あるんです!」と言ったのか?あるいは世間がようやくsig工房を認知し、紫電製作を全面的に支援してくれるようになったのか?こりゃ追い風か?といぶかっていたが当然どれもハズレであった。

どうも昨年兵庫県紫電改記念館が出来、実物大レプリカが作成されたとか…

www.city.kasai.hyogo.jp

記念館落成に伴ってだろうか、それに関する画像、特に姫路工場内での組み立て中の紫電など結構な秘蔵写真が他にも掲載されていた。

それとは別に今回の世傑の目玉はフィリピンで鹵獲された紫電のカラー写真二枚だろう。これはやはり今まさに紫電に色を塗ろうとしているモデラーにとっては”袋とじ級”のお宝写真に他ならぬ。「ぬおおお」と食い入るように見入ってしまわざるを得ない。

その上面色は言われているほど青黒くもないように見受けられた。しかしマア70年も前のカラー写真である。一機は廃棄されてから月日がたっているのか日の丸も色あせている。これを見て紫電の色調や色味を口角泡飛ばしてウンヌンしても仕方ない。モデラー各自がただそれを己の脳裏にしっかり焼き付け、自らの完成品に反映すればそれでよいと思う。

このセッケツただ一冊を読んだのみで、あちこちの展示会で川西特色で塗った紫電の完成品を「これはウソ、間違い!」などと指弾して回るようなことは無粋の極みだろう。

問題は下面。

紫電改はともかく紫電の下面は明灰白色だろう、と漫然と考えていた。ところがこのカラー写真を眺めているうちにその気持ちが揺らいでくる。同じフィリピンで米軍に鹵獲された紫電の写真を思い出した。米兵が胴体に落書きしたアレである。

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落書きでなくて「近寄るな」的注意書きで現地の民間人向けのものらしく、タガログ語もあるようだ。それはともかく翼下面の反射の具合とか…

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このリベットの様子…う〜む、やはり無塗装銀の様な…。エルロン部のみ塗装されているのかも。別の写真では増槽は明らかに塗装っぽい艶が見えるが…これは増槽が紙製や木製だったりするからだろう。

紫電改の方なら終戦直前の生産である。その頃であれば塗料不足から下面は無塗装銀という説は五式戦などもしかりで説得力がある。しかし紫電がフィリピンに展開したのは19年末、生産となるとそれより以前だろう。日本は(無論、国民生活では何かと欠乏し始めていたとは思うが)第一線の戦闘機の迷彩塗料に事欠くほどの状況だったのだろうか…

だとすれば同時期の雷電あたりもみな下面は銀、になるはずだが…やはり中島、三菱といった一流メーカーには塗料が優先的に回され、そうではない川西は割当てが少なかったのか…

…などとアレコレ推測しながら作るのが「大戦機モデラー」である。アレコレ考えを巡らすのが面白いのだ。面白い、などといっては必死の思いをしていた当時の人たちに失礼だが、面白い=興味深い、という意味である。

ライトなモデラーにとってはこの辺が「堅苦しい」「メンドクサイ」「オタクっぽい」と感じられるのだろう。ミリタリー模型が遠ざけられる結果となっている。

ライトな人はライトに作れば良いのだし、突き詰めたければ好きにすれば良い。自分などは散々悩んだあげく結局適当に作る事が多い。他人がどのように作るかに対してとやかく言わないのが社会人としての常識だと思う。無論、一般常識が通用しないから「オタク」などと蔑まれたりするのだ。

これからは「オタク」の時代だ、などと言われもするが、マイナーな分野の知識が豊富な人も活用していこう、という意味ならともかく、自らの知識をひけらかすだけで、他人の気持ちを一切推し量ることができない連中を世にはびこらせよう、という意味であってほしくないと願うばかり。

 

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