「欲しいけどいらん」
なにを訳のわからぬザレゴトを、、、と言われそうだが、
自己の物欲を冷徹に客観視した末に辿り着いた「金言」なのである。
「そのモノを手に入れたいという欲望はあるが、
自分の生活にそのモノ自体は特に必要ない」
と言う意味だ。
例えば、デザインが大変優れたボールペンがある。
いま、それが欲しくてたまらない。
しかし買ったとしても使い途がないのだ。
スーツの内ポケットから素敵なペンをすちゃっと取り出しサラサラと書類にサインする、
なんて機会に出くわすことは、そうそうはない。自分に限って言えばだが。
最近ではボールペンで字を書く事など殆ど皆無に近い。
スケジュールなどはスマホとパソコンを連携させて管理している。
メモをとる時は「消せるフリクションペン」だ。
各種書類は全てパソコン、役所の書類もデータで配布される様になった(これはようやく。しかし提出は紙ベースなのでIT化は未だ遠い)
だいたい自分のデスクの引き出しにボールペンはどっちゃりとある。
なので高価な油性ボールペンなどはもう必要はない。
つまり
「欲しいけど、要らない」のである。
ここで
「あれは高いだけで実は書き心地が悪いらしい」
などと、手に入らなかった欲望の対象そのものを批判しがちになるが、
「欲望」そのものを無理やり否定はしない。
そんなイソップレベルの誤魔化しが通用するほど、21世紀の我々の物欲はシンプルではないのである。
なので、
それを欲しがっている自分をまずは認める。
しかるのちに、正当な必要性があるかどうかを検討する。
安くなったとか、今しか手に入らない、などの周辺事情はこの際、判断材料から外す。
あくまで客観的かつ冷徹にその対象物が自分に何をもたらすかを見極める。
合理的な理由に乏しければ、主体的に「自分は手を出さない」ことを決める。
という自分の心の動きが表題の
「欲しいけど、いらん」
なのだ。
だからこれは自らの世俗の煩悩を認めつつも、断じて物欲に囚われぬ毅然とした態度を
表す言葉なのである。
ああ、LAMYの2000が欲しいけどいらん。
ああ、パナライカの25mmレンズが欲しいけどいらん。
ああ、Kind of Blueのハイレゾ音源が欲しいけどいらん。
ああ、血も滴る様なサーロインステーキが欲しいけどいらん。
結局ボールペンは買わなかったがナゼカ万年筆に転んだ。
その顛末はまた後日にでも。。。