欲しいけどいらん。
欲望はあるが、必要はない。
それは物質文明に決別を告げる尊い言葉である、と書いた。
では、この反対はどうなるだろうと考えた。
「いらんのに買うた」となる。
必要はないのに、欲望のおもむくままに我が物にしてしまった。
物欲にまみれた亡者の弁である。
しかし、「でへへ、いらんのに買うてん」とは、なかなか認めにくいものだ。
富豪の親類が莫大な遺産を残してでもくれない限り、妻帯者は特に。
なので、
通貨が発明されて以来、我々人類は無駄な買い物とともに生きてきた。
アレコレと理屈をヒネり倒しては、その無駄遣いに必要性をこじつける。
実はこのケースは自分でもごくたまに、というかちょくちょく、というか、まあ枚挙にいとまがない。
例えば私は耳の穴は生まれつき2つしかないのにもかかわらず、
イヤホンをいくつも持っている。
高音質なイヤホン。
寝る時用の薄いイヤホン。
電車に乗る時のネックバンド型イヤホン。
スポーツジムでのワイヤレスイヤホン。
ファミレスで隣のオバハン連中が騒々しい時のノイズキャンセリングイヤホン。
病院の待合室で呼ばれた時に聞こえる程度の軽い遮蔽性能のイヤホン。
万が一、そのまま入院した時用の抗菌イヤホン(白)
万万が一、美人看護婦にあら私も聞きたいわ、と言われた時用のイヤホン(ピンク)
万万万が一、アンゴルモア大王が降臨した時用のイヤホン(金メッキ)
などなど、どれも必要にして、欠くべからざるイヤホンである。
このブログの「所蔵せるもの」タグ、特にカメラや時計などの項目を読めば大体お分かりになると思うが、私の所有物はほぼ「いらんもん」ばかりである。
まあ、コジツケに苦笑しながらでも読んでいただければ、幸いである。