sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

新幹線

自分の家から自転車で漕いで行って10分くらいの所に新幹線の橋がある。

小さい頃はよく遊びに行ってみんなで「ひかり号」が通るのを眺めた。

新幹線がやってくるのは、まず音でわかる。線路が鳴動するのだ。。。

 





 

何メートルも離れていても、

線路が小さく「シィンシィンシィン」と音を立てるのが聞こえる。

何キロも先から近づいてくる新幹線の振動が伝わってくるのだ。

 

その音が段々と大きくなり、前照灯の光が見えた

と思うとあっと言う間に近づいてきて、

轟音と共に突風を巻いて16両編成が目の前をすっ飛んでいく。

 

通り過ぎた後しばらくの間、線路は同じ様に

「シュワン、シュワン、シュワン、シュワン」と音を立てている。

 

昭和40年代当時、「超特急ひかり号」は少年の憧れだった。

線路脇から、あの弾丸列車の中で旅をしている人を想像するのが好きだった。

 

窓の中では会社員が棚にアタッシュケースを置いて、新聞を読んだり、車内販売で買ったお茶を窓際に置いたりしてるのだ。

冷凍みかんをむいたり、折りたたみ式のテーブルを引き出して四角いサンドイッチを食べたりもきっとするのだ。

 

実際には目にも留まらぬ速さだから車内の様子は見えない。

乗客の誰も小さな自転車で橋のたもとで見ている

田舎の鼻たれ小僧の事など気づきもしなかっただろう。

 

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自分は長じて仕事につき、年に数度、新幹線で東京出張へ行く様になった。

会社のお金で、あの憧れの新幹線に乗れることを喜んだ。

ただのしがない平社員でも、それなりに立派な「社会人」なんだ。

 

どこかの橋のたもとに憧憬の眼差しの少年が立っている、

そんな気がして少し得意にもなった。

次から次へと車窓に映る、見たことのない風景にも心を躍らせていた。

 

しかしそれも最初だけの事。

 

出張も年に数回となるとやがて飽きる。

窓の景色も見ずに雑誌を読んだり居眠りをしたりして過ごす様になる。

適当に仕事を片付けた帰路にはビールなどを呑む。

いつしか、ただの疲れた安サラリーマンに落ち着いていた。

真っ赤な顔を新幹線の暗い窓に押し付けてイビキをかくのも平気だ。

 

ガラス窓に伝わる夜の冷気にふと目がさめることがある。

窓の外はどこか知らない土地の知らない町だ。

酔った眼ではるか遠くの山裾の一軒家にともる灯りを見る。

 

あの中では家族が暖かい夕飯を囲んでいるのだろう。

味噌汁の具は玉ねぎだろうか。

子供はなすびの煮物を残して母親に叱られてるだろうか。

 

ぼんやりと家の灯りを眺め、そんなことを想像している自分はしかし、

何キロも離れた線路の上を時速250kmですっ飛んでく何百人かのうちの一人だ。

 

彼我に何の接点もない。

 

おそらくあの「家族」と「私」は一生出会う事はないだろう。

偶然どこかで会ってたとしてもそれと気づくはずもない。

つまり自分にとってあの家族は存在しないのと同じだ。

あの家族にとっても自分という存在は無意味だ。

 

なにがあの人達と自分とを隔てているのだろう。

 

そう考えるのもほんの数十秒のこと。

やがて灯りは見えなくなる。

 

そして自分は新大阪のガランとしたホームに降りる。

トボトボ歩いてコンクリートの壁に囲まれた狭い部屋に帰って一人で寝る。

翌朝にはスシ詰めの地下鉄に乗って会社に行き、

おはようと同僚に挨拶して久々に口を開いた自分に気づく。

 

窓もないコンクリートの地下の部屋でキーボードを叩いたり、

むやみやたらにペコペコ頭を下げたりしてようよう一日を終わらせ、

夜遅くに誰もいない暗い部屋に帰って、一人で黙ってコンビニの弁当を食う。

 

月末には自分の口座の数字がいくばくか増えている。

増えた途端に電気代だの家賃だのとむしりとられて数字はやせ細る。

うろ覚えのその数字の記憶をよすがに、もうひと月を食いつなぐ。

 

これを何年繰り返したろうか。

 

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しばらくして自分は職を辞した。

嫁を貰って子供が出来た。

そうして自分が生まれた町に戻ってきたのである。

 

親から引き継いだ零細の自営業。

夏暑く、冬寒い。切った木の香りをかぐ、湿気た土の匂いがする。

そんな仕事だ。

 

出張に出ることなど皆無になった。

おかず一つとごはんと味噌汁だけのつましい夕食を家族四人で囲んでいる。

母親はキュウリを嫌がる子供を叱っている。

味噌汁の具はほんの少しのワカメだ。

 

「こちら側」に来たんだな、と思った。

  

もう新幹線での出張にはほとんど憧れもなくなっていた。

250kmですっ飛んで行くエリートサラリーマンたちは今は別世界の住民だ。

 

家は新幹線の線路からは見えない場所だ。

それでも風呂につかっていると、かすかに、あの「シュワンシュワン」が、

夜の静けさの中を伝わってくることがある。

 

時折、あの橋のたもとまで自転車で漕いでいって、そこから新幹線を眺める。

 

新幹線の見た目は小さい頃とは随分と違っているが、

やっぱり別世界の住民を何百人も乗せて弾丸の様にすっ飛んでいく。

 

線路は同じ様にシンシンと響いている。