1年、
世の中では何事によらず「節目」と捉えられている。
元旦、X'mas、
世の中はどんちゃん騒ぎだ。
一周年はそんなにも、おおごとだ・・・
といっても、丁度1年でどこかの何かが急激に変化する、というわけではない。
モミの木だとかアゲハチョウだとかであれば別として、誕生日がきたら途端に目尻のシワが一本増えたりしない。昨日までジャガー横田みたいだったのがいきなり中島美嘉になったりはまずしない。
365日=52週間(日曜は52回もある。又は52回しかない)
さらに計算すると
=8760時間(半分寝てたとしても2時間の映画を2000本は観れる)
=52万5600分(ツェッペリンの「天国への階段」昼夜通して6万5千回)
これが1年。
その時を経ると、丁度我々の住む天体が1公転し、太陽に対して同じ位置に来る。
・・・こんなことを以前にも書いたことがあるな、と今思い出した。
だから1年たつと、同じ時間に日が昇り、同じ時間に暮れてゆく。
同じ季節、似た様な気候になり、あたりの景色もまた、見覚えのあるものになってゆく。
当然と言えば当然。自然と言えば文字通り自然な現象。
そこで、あの日も今日と同じ様にこんな寒い日だったとか、
なかったとか、考える。
あの日の自分と今日の自分を引き合わせて考える。
1年間。
ほとんどの人間は6万回も「天国への階段」を聞いたりしないから、一刻一刻、色々な事を積み重ね、経験を深め、学び、そして成長する・・・と同時に老いていく。これは誰であっても確実に。
何も変わっていない様でいてどこかが変わっている。
年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず
*以前にも書いた事
日付は20世紀最後の年。
あれを書いてから10年の年月が経っている。
変わっている様で根っこのところは何一つ変わっていない、そんな自分に気付かされる。青二才だったがいまだに青三才になる途上の様だ。
・・・コレも以前書いた、、かな