sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

レインマンの逆襲

そもそも雨男(雨女)って何だ?

 

言うまでもなく雨男(雨女)にはなんの科学的根拠も無い

 

 

以前どこかでその「雨男」を人間関係論、相対論的な考察を読んだ記憶がある。

 

 

悪意の「晴れ男」が生け贄としての善良なる「雨男」を作る。

という説が面白い。

 

 

たまたまある集団で外出時に雨に遭う、その時、誰かが誰かをほんの

気まぐれでからかう。

 

ハレ夫「オマエはひょっとすると雨男じゃないか?」

アメ夫「うん、そういえばそうかもしれない、先週も雨だった」

 

次に出かける機会に雨が降るとその台詞は確実に以下の様なものに替わる。

 

ハレ夫「まったくオマエは雨男だな!」

アメ夫「まあ、どうもそうみたいだな」

 

 

「アメ夫」は悲観的でクソ真面目に自らを責めがちなタイプ。

対して

「ハレ夫」は楽観的で自分に都合の悪いことは忘れて人のせいにするタイプ。

 

とそのサイトでは分析する。

 

一旦「晴れ男」「雨男」の役割が決まるとこの関係はしばらく続き、

容易な事では逆転しない。なぜならば、一緒に行動する限り、

 

晴れれば「晴れ男のお陰」

降れば「雨男のせい」

になるからで、成る程これはいたって分が悪い配役だ。

 

そうはいっても「雨男」「晴れ男」が長期にわたっていつもいつも一緒に行動する訳ではない。

確率と言うものは最初は多少の偏差はあってもいずれは平均的な数値に落ち着いていく。

 

「晴れ男」がいたとしてもその時点でたまたま晴れ率の高かったというだけで、

やがては雨続きになるはずだ。

逆にたまたま雨率の高かった「雨男」は逆にどこにいっても好天に恵まれ出す。

 

数学的にはそうなる、はずだが・・・

 

「晴れ男」は「晴れ男」であり続けようとする。

自分の晴れ体験だけを周囲に主張し、雨男の雨体験だけを強調し、

事実を歪曲、ねつ造し続けて「雨男」を迫害し続ける。

「晴れ男」くんは次々と「雨男」のいけにえを探し求める。

 

 

「雨男」だって馬鹿ではない。

そんな人間性に問題のあるハレ夫くん」

といつまでも付き合っていられない。

 

そして、ハレ夫くんは

いつか年老い、ひとりぼっちで散歩しては、にわか雨にあう。

こう言って当たり散らすのだろう。

 

 

「まったくオマエは雨犬なんだから!」