「理想」を追求していろいろやってみる。
その結果「理想」に及ばない。
としても、それを認め、その現状に自分を「馴らし」ていく。
昔はそんな中途半端は許せなかった。
オマエは間違っちょる、とよく詰め寄ったもんだ・・・
今では「それも悪くない」と思える様になった。
「ああ、これぁ、こういうもんだ」という達観。
川面を眺めながら、ぼんやり休憩する。
川をずっと眺めていると不思議な感覚にとらわれる。
先日もこの川に来た。
川はその時と同じ様に見えるが、流れている水は一瞬一瞬どんどんと流れ去っていく。その水自体が川ではない。干上がれば底が見えるがそれを川とは呼ばない。川と言うものの実体はなんだろう?・・・
21世紀にもなって、ウロンな当方がぼんやり頭でめぐらすそんな事は何百年も昔の人がとうに考えていた、らしい。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
諦らめでもなく、悟りでもない。
二畳一間に寝起きして
「人の世とはそういうものなのだ」
という達観がそこにある。
ドカに乗ってて二畳一間もないもんだといわれそうだが・・・
ま、「もらいもん」ですんで。
行く川の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、
久しく止とゞまる事なし。
世の中にある人と住みかと、
またかくの如し。
と、他人の慣らしに付き合ってるのをすっかり忘れていた。