友人の山賊Kが復活した。
とても・・・
とても喜ばしい。
それでバイクで二人で出かける事にした。
Kのスティードは7回目だか8回目だかの車検を受けて準備万端。
ところが当方のモンスターは例のごとくグズったまま。
業をにやした私は新しいバイクを手配しようとした。
いつまでたっても治らない「ドカ」に正直いらついていた。
それだけKのスティードとの再会を大切にしたかった、とは言えるが・・・
「復活したら、きっと一緒に走ろう」
とこれは二人で交わした約束だった。
そんな私をKは静かに、いさめてくれた。
「Mに貰ったオマエのドカと、俺のスティードで行くから、
面白いのではないか・・・」と。
曰く因縁のあるモンスターと、古き懐かしの鉄馬、スティード。
2台であの縄文村を訪ねたのはほぼ3年前。
その間の出来事、まつわる時を越え、今ここに再びまみえるからこそ・・・
私は自らを恥じた。
意に染まぬ状況に、
子供の様に、スネて八つ当たりしていたのかもしれない。
時は移って、今年のはじめ、
久しぶりのKは待ち合わせの駅のコンコースの2階から私に手を振った。
下から見上げる私はその光景を見て不意に、
「山上の垂訓」
という言葉を唐突に想起した。
インドから帰ったばかりのKは、
どこかの民族衣装の様な外套をはおって、なぜか杖をついていた。
(後でそれは手製のベースのネックだとわかるのだが。
さすがに後でないとそれがベースのネックだとは誰にもわからないだろう)
近くで見ると成り風体だけでなく相貌も以前とは随分異なっていて
「山賊」というよりも
「行者」の雰囲気が出てきている。
「世俗」からかけ離れている事にはいずれにせよ違いはない。
特筆すべきは、Kの私を見る眼差しだ。
その双眸は、こちらの「まなこ」を突抜け、後頭部の後ろ30cm位なところで焦点を結んでいる。
「視線」というほど鋭くもなく、
「眼力」というほど強くもない、
もっと大きく、それでいて透んでいる。
風圧の様な、いわば「瞳力」(どうりょく)とでもいうべきか。
数十メートルを隔ていてもその力を感じたからこそ、
何かの道を究めようとする者、との印象をもったのだろうと思う
・・・「浮浪者」ではなくて。
(手袋は軍手でベースのネックというのはツルハシの柄だったから、
すれすれだ)
Kはいろいろなところで、してきたいろいろな経験を語ってくれた。
つい2~3日前に痛みでのたうち回った私に、
そのクリアな瞳で。
思わず手を合わせたくなった。
「山賊K」改め「瞳師K」
ここに謹んでその名称を呈する。
お布施はしないが・・・