sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

三千院  2

目の前の三千院は、やっぱり何も見覚えていない。
 建物、
        靴脱ぎ場、
   廊下、
              便所。

頭の中を探っても探っても 何も出てきはしない。

 

 

あくせくしたあんな思いやこんな思いで私の頭はいっぱいだ。

その先にすすみ、客殿のやや右側奥の畳になんとなく腰を下ろした。

懐の深いひさしの縁の先に広がる。
どことなく無造作な庭をぼんやり眺める。

「ああ、ここだここだ」

 大切にしてきた記憶通りの風景が、しかしそこにきちんと再現されていた。

今見ている景色と記憶の景色が二重の像が重なり合う様にぴたりと合わさった。

懐かしげに柱や梁や天井を見回す。
 あの時と何も変わりないはずだ。
自分はといえば10何年も経っている。
それ相応に衰えている。

     変わった自分が変わらぬ天井や梁や柱に見られている。

                「・・・おい、あいつまた来たぞ」
 「どれ、ほう今度は一人か」
           「少々老けおったの」
    「前に来た時はもっとトゲトゲしかったな」
                        「ほんに」

手元の資料に三千院の建立は平安とある。
平安といえば1200年も前。
 おそらくはその後何度か再興されてきてはいるだろうが、
 それでも建物は、数百年。
 
             そう思うと人の10年20年などほんのいっとき。


庭先はそのままうっそうとした山へと続いている。
 その先に広がる山や谷はもっと大きな時を過ごしてきていると思うと
 さすがにうならざるを得ない。

三千院ですら一まだきか・・・

どんな場所で誰といても新参者の居心地悪さを感じ取ってしまうのだが、
 ここまで相手が大きいとかえってその差が快活だ。


物想いが途切れる。

           折悪しく、すぐ近くで工事をしている様だ。
            圧搾削岩機のハンマーの先端がコンクリートを打ち破る
           その金属と鉱物のあらがう音は、どこで聞いても
           人の神経を 逆なでする.
 
およそ三千院ほどそれが似つかわしくない場所はない。

さて縁側の端。
              先ほどから派手な自転車競技用ウェアをきた若い男が
              へたりこんで一心にノートパソコンを叩いている。
             ぴっちりと身にまとわりつき、ギラギラとしたその質感。
           蛍光色の装いにふと熱帯の爬虫類か何かを想起する。

          若い男女が畳みのへりや敷居を踏んでばたばたと横切る。
          か細い欄干に腰掛けているものもいる。

       次の百年、人々はこの古代建築物を維持出来るだろうかとつい思う。
     それは科学は進歩するだろうし、技術は新しくなるだろう。
    踏んで減った畳の縁は修理すれば良いし、
  足蹴にしても減らない敷居を開発して 取り替えればいいだけのことだ。

この先、世の中はそうなっていくのかもしれない。
この先、いやそんな事よりこの先・・・


                      どん
                  どろろ
                      どろんどん


と、やおら、天が轟いた。 (つづく)