京都 大原 三千院
このフレーズに自然とメロディをつけている人がいれば、
私とあなたは同年代だ。
確かにそこは「恋に疲れた女が一人」で似合いそうな場所である。
とある日。ふ、と思いついて私は10数年ぶりに三千院に向かった・・・
暑い日だった。
京都市内では37度を差していた車の外気温度計が、大原に近づき
川ぞいの道に入る頃には28度に下がっていた。
昔、一度通った道のはずなのに、すっかり忘れてしまっていて、
全く見覚えがない景色が続く。この年齢になるとそんな事はもはや珍しくもない。
脳内には
「三千院に行った事がある」
という事実と、映画のワンシーンの様な色あせた一片の記憶があるのみだ。
カーナビの表示は、道が間違っていない事を示している。
外のうだる様な暑さも空調が快適に遮断してくれている。
私は全てをクルマ任せにし、ただアクセルを踏みつけて、
当然の様に目的地に到着した。
車を停め参道を登りきるとえらく息が切れた。
こんなにあえいだろうか。
衰えているのは体力もであって記憶力だけとは限らない。
上りきって一服していると、やにわに携帯電話が鳴って驚いた。
市内より10度も気温の低い山奥というのに、電波だけはここまで執拗に
追いかけて来たらしい。
三千院の門前で、日々のつらい出来事が私をさかんに脅迫する。
たまらず逃げる様にして門をくぐった。
先ほどまでは文明の恩恵に預かっていたのに、自分の都合が悪くなると
途端に批判しだすのだから勝手なものだ。
(つづく)