sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

明日月の上で/A Demain Sur La Lune

さる場所でライブを聴いた。
 「全国を旅する唄うたい」
という方の素晴らしく渋い歌声に聞き惚れた。

 渋い渋い声の割に
ナイーブな歌詞と独特の自我の意識にいつも心の尻尾を 掴まれた気になる。

まだその日で二回目なのだが・・・
ライブハウスの様なところだったのでライブが終わった後も
BGMでその方のCDが 流れていた。
シンガーソングライターゆえ、オリジナルばかりと思っていたら、
 突然、なぜか知っているような気がする曲がかかった・・・

 

 

遠い遠い記憶の砂漠の中で、
   埋もれていたキューピー人形が歌い始めた かのように、
     胸ぐらをつかまれ、
         揺さぶられる気持ちだった。

このメロディ、この歌詞、どこかで聞いた。
絶対知っている。
          何でだろう。
 同席の知人は「それはよくある思い違い。それかデジャブの耳版」
 と簡単に片付けてしまう。

片付けても片付けても、私の頭のおもちゃ箱の中で キューピーは歌っている。
 通りかかった(ちいさくアットホームな空間だからできた事だ)
  その歌手の方に 直接尋ねた。

 「これはアダモです、明日月の上で」

と、やさしく答えてくれた。
 ライブでも「黒猫のタンゴ」などを突然おやりになる方なので、
  その選曲の妙に 時代を共にしてきた感を強く受けていたのだが、
   今回もまた参ってしまった。

そういえば私が小学校5~6年の頃、FMから流れてくるアダモの曲がお気入りで、
ラジカセに録音し、「あーでま、すらるうーね」などと学校の帰り道、
ワケも わからず歌っていた。

「明日、月の上で、神様のそばで・・・明日、月の上で、大空の隅で・・・」
   こうなると頭の中でこの曲がぐるぐる回り始めてしまう、
     誰にでもよくあること ではあるけれど。

例によってネットで検索し、オークションでCDを見つけ、ネットバンクで支払い、 MP3にコピーして、次の日にはもうカーナビのHDで聴いている。 そうやってデジタライズして、手軽にいつでもどこでも聴いているうちに、 あっという間に気持ちが風化してしまった。

 あのライブの時の生々しさ、
みずみずしさ、
感動はもうない。

 なんでもかんでも手に入れてむさぼりつくせばいい、 というものではないと気づいた次第。