sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

カンコンソーサイ?

自分で仕立てた冠婚葬祭用の時計を得て、安心しているブログ主であった。

これでソーシキでもケッコンシキでも何でも来い、である。

ところが、ところが・・・

老父母が家族葬にしたいと言い出した。

聞けば、親戚や知人が次々病気になったり亡くなったりして身内ですら遠方だと年末の喪中欠礼状でようやくその逝去を知る、という具合らしい。自分たちの葬儀に一体何人が参列するのか、甚だ怪しくなってきてのう、などと呟く。齢九十も越えればまあそんなものかも知れぬ。

一般的な大型葬儀というのも大変である。祭壇の見栄えがどうとか献花の並び方がアレだとかの段取りに追われ、見も知らぬ大勢の参列者の前で要らぬ気を遣い、弔電や焼香の順番だのの形式に縛られる。喪主などはクタクタになる。そうして何百万もの金が掛かる。

どうも世間体と葬儀屋&ボウズの為に執り行ってるようなフシもある。

だからだろうか、身内だけの家族葬が増えてきているようだ。そういえば自分の知人(現役バリバリ世代)が亡くなった時ですら家族葬だった。

例えばウチの場合、親子孫までに限定すれば人数は6人くらいなので葬儀も小さな規模で済む。むしろその方が落ち着いて温かく見送れるだろう。誰を呼ぶ彼を呼ばぬと気にすることも自分たちの身なりに必要以上に気を使うこともない。腕時計やカバンがどうこうなんぞ、取るに足らぬ話だ。

ん、SEIKO5、要らないかも?

ソーサイはそんな方向性になった。

さてカンコンの方だ。

自分の息子がこのたび結婚した。実にめでたい。しかし結婚式はナシ、披露宴も結納もナシである。最近ではこれを"地味婚"を通り越して"ナシ婚"というらしい。

確かにホテルでの披露宴というのは大掛かりな割にはさほど良い思い出になっていない。あんなものは形骸化の最たるものである。

本当に招待したい友達は呼べず、会った事もない仕事関係のお偉方にスピーチを頼まねばならず、本人達はお飾り状態でほとんど誰とも話せない。新婦は着せ替え人形で食事にも手をつけない、新郎の足元には注がれたビールを捨てるバケツが置かれる、という有り様だ。当人たちはやっぱりクタクタになってそれで数百万飛んでいく。

あれも親の見栄と式場屋の為に執り行っているフシがある。

今回はフォトウェディングのみだという。

景色の良い所でプロのカメラマンに撮影してもらって、まあついでに家族とも記念写真を撮って、せっかくだからその辺でみんな一緒に食事でもしましょう、という、いたってカジュアルな感じであった。なにより当人達はとても幸せそうだったし、向こうの家族とも楽しく親しくお話が出来たからとても良かった。

自分はかろうじてスーツを着て行った。腕時計は、、、しばし考えて結局いつものハミルトンカーキにした。

虚礼虚飾形式を廃し、フランクに誠実にお互いを紹介しあう席なのだ、と心得たからだ。スイス製のコーキュー腕時計だのでは間尺に合わぬ。ヤフオクで2000円で競り落として自分で磨きたおしたSEIKO5ではちょっと変化球にすぎる。今の自分のメインの腕時計で自分らしさを表現するのがふさわしい。そう思って見るとハミルトンカーキは充分な面構えをしてくれているではないか。

 

ん、SEIKO5、要らないかも?