sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

腕時計いらず

こうやって腕時計の話をしていると、

いや、そもそも腕時計なんて今の世の中必要ないでしょ!という人が必ず現れる。そして言う「駅でも会社でもPC画面でも時計なんかどこにでもある。なければスマホ見りゃいいんすよ!」

ナルホド、そう言われればもっともに思える。
一つの意見だろう。

しかし一方で、腕時計があった方が何かと便利、という考えの人も当然いる。

「出先で時計探すとか、スマホ取り出す方が面倒だ。腕時計しない連中はそもそも時刻を知ろうと思い立つ回数が少ないのではないか、だからそんな他力本願で事足りるのだ」・・・なんか言うのである。

さらにさらに、腕時計をしない人間は社会人失格だ、という人だって出てくる。「腕時計は時刻を知るためのものに止どまらず、最低限のビジネスマナーだ。男のステイタス・シンボルでもあってその人物の経済力、社会的立場、信用度を表している」とまで言ったりする。

どれが正しいとかいうものでもない。どの意見に頷くかはその当人の職業環境ライフスタイルによって左右されると思う。

独身で毎日同じ電車に乗って会社に行って同じパソコンの前にいる事務職、趣味はもっぱらプラモとネットショッピング、なら確かに時計を身に着ける必要はあまりない。
逆に大工の棟梁で大家族、趣味はキャンプと磯釣り、ってんなら腕時計がないことにゃあ始まんねえぜコンチクショーメ、となる。
大企業のエリートビジネスパーソンで高級志向なら、え?ロレックスくらいは普通じゃないの?、とか言い始める。

それがその本人の価値観なら別段構わない。それで地球は事もなげに回っている。時計があろうがなかろうが、はたまた金無垢のロレックスだろうがチプカシだろうが男おいどん式日時計だろうが、誰の24時間も平等に24時間だ。

もちろん、自分の個人的な考えはある。

時計は必要だがステイタスシンボルだとは思わない。

ステイタス=格付けは大多数の人間が同じ土俵の上に立っていてこそ成立するものだ。今やTシャツにジャケット、腕にはGーSHOCKあるいはApple Watchは経営者や著名人にも数多く見られる。10年後にはスーツに高級腕時計なんて政治家かヤクザくらいになるかもしれない。誰もが高級時計や高級車に憧れたのは20世紀。懐かしむのはいいが、お一人でどうぞ、と思う。オーソリタリアン特有の"自らが優位に立てる価値観(のみ)を他人に当てはめ、一方的に見下しては悦に入る"という偏狭な態度を、警戒かつ自戒しているブログ主である。   

かといって腕時計不要とまでは思わない、今のところ・・・

f:id:sigdesig:20230117091312j:image

作業や商談でいちいちスマホを見られないケースは山ほどある。仕事に思わぬ手間が掛かるとか、道に迷うとか不測の事態も当然考えられる。Mr.スポックばりの正確ムヒな時間感覚があるというなら別だが、ヌルい時間管理では約束の時刻に間に合わないケースは多々出てくるはずだ。ゲージツ家や偉いセンセーでもない我々一般人は、そんな事やってりゃあ、やがて周りから総スカンを食らう覚悟が必要だろう。

時計もせずに友人の結婚式の二次会に大遅刻して幹事さんに迷惑を掛け、挙句に、「アホォ俺は昨日仕事であんま寝てへんのじゃ」なんて開き直る人間にはなりたくない。そう君のことだよ。もうイチイチ名前はあげないけどね。

昔、イージライダーという映画があった。名作である(B級映画の、というただし書きはつくだろう)
f:id:sigdesig:20230114184732j:image

冒頭で、ピーター・フォンダ演ずるキャプテン・アメリカが腕から時計を外して惜しげもなく投げ捨てる場面がある。

f:id:sigdesig:20230114184813j:image

社会の束縛を振り切る、旅立ちに相応しいシーンだ。その後に流れる曲、Born To Be Wildと共に強く印象に残っている。一切の過去に訣別する、それくらいの気概があってこそだろう。

f:id:sigdesig:20230114184738j:image

自分はまだまだそこまでにはなれないようだ。

この先引退して家族からも見放されて独り身になったら変わるかもしれない・・・