sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

モンスターの顛末

Mから譲り受けたモンスター。
なんとかかんとか手を入れ苦楽を共に5年を過ごした。
 
ついに訣別の時を迎えることに。

 
・・・遺憾ではあるが、いたしかたない。
 

たくさんの思い出とともにモンスターは去っていった。
 
 
実はこの間にここには書けない事情があった。
 
モンスターを失いかけた。自分は人知の限りを尽くしてモンスターを取り戻した。
 
その時の自分の行為はいささか非人情に過ぎたかと今になって思うことがある。しかしその"情"に流されていたら友から譲り受けた大切なモンスターを失うことになっていたかもしれない。モンスターは自分にとっては単なるバイクではなく、その友との"絆"であり、それを理不尽に奪われるのはその"絆"を土足で踏みにじられるのと同義と思えた。
 
"情"と"情"とがぶつかり合う時、どちらの"情"を大切にするのか、と言ったらやはり自分に近いもの、親しいものの"情"を重んじてしまう。それこそが"我執"なのかと今また思い悩む
 
こう言う時には自分の行いを"人の道"とか"世間の常識"とか"筋"とか"規則"とか”契約"とか"法"とかいったもの="理"に照らし合わせてみる。そうした上で、その行いが"理"にかなったものであったなら、それは仕方のないことだった、止むを得ないことだったと思うことが出来る。
 
向こうが悪かった訳でもこちらが悪いことをしたわけでもない。ただお互い自分を守ろうとしただけである。彼我の"情"がぶつかりあい、ただ彼の方にはそこに"理"が伴わなかっただけだ。
この"理"の代わりに"力"、たとえば腕力,経済力,社会的立場などの相手にとって抗いがたき"力"をもって押さえつければ、それは"悪業"である。"非道"である。世に言う”ハラスメント”である。
 
そうやってかろうじて自分の精神の平穏を保つことができている