耳鼻舌ときて次は「身」である。身体を使う趣味といえば・・・
身
それはもうスポーツだ。日に焼けた笑顔に白く光る歯で「休日はスカッシュですネ」などと言えればさぞスカッとしゅるするだろう。
あいにく自分の運動神経はカタツムリ並みらしい。おまけに闘争心はミミズ程度ときている。小さい頃からそうやって随分と馬鹿にされてきた。なので「スポーツ」というものをやって喜びを見出せた経験はいまだかって皆無である。
「運動神経不用、闘争心不問、誰にでも出来る簡単なスポーツです」というのにはなかなかお目にかからない。
「ゴルフやれゴルフ」取引先のシャチョーがウチに来るたびそう奨めてくる。
「ほとんど歩いてるだけや、健康にもエエぞう」
「10分に一回くらい止まったボールを打つだっきゃ。誰でも出来るぅ」などと言う。
なるほどそれならサル並の機敏な運動能力は必要ないし、相手のノドブエに食らいついたら離さないハイエナのごとき闘争心がなくともよい。
ただし健康の為といいながら道具一式を他人に運ばせるのが不可解だ。それも自らよりも明らかに体力腕力の劣るだろう中年女性に背負わせるのはナゼか?そもそもあんなに何本もクラブは要らんだろう。大体たまにしか打たないのに一本何万円もす・・・
会話はいつもそこらで途切れる。
ヨガや太極拳はやってみたい気もするが、それは趣味というより健康維持でありメンテナンス作業である。自分の中では庭掃除や毛玉取りに等しい位置付けだ。すれば気持ちはいいが、「こいつァ面白れえや!ウァハハハハ」とはならない。
触覚
さて般若心経における「眼耳舌身意」はいわゆる「五感」のことを指す、という。ならば「身」は身体的活動ではなく「触覚」のことになる。「身体の触覚を楽しむ」という趣味はないかと少し考えた。
すぐにいくつか思いついたが、いささか不適切な話になりそうなのでここでは差し控えておく。
むろんそういうコトが「だいしゅき〜」という向きもあろう。ただし大っぴらに趣味とする事は当節では社会的家庭的に許容されているとは言い難い。度が過ぎて職も家庭も失う・・・などのケースも見聞きする。君子危うきに近寄らずである。
欲望と趣味
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ここに己の「欲望」を満たす活動を「趣味」と混同しない、という法則も導き出されたことに気づいた。
食欲性欲権勢欲を含む要素は慎重に「趣味」から取り除いている。それらにハマるのは「道楽」というより「耽溺」だと自ら戒めている。本能が絡んだ「欲求」には歯止めが効かんのである。どうも我が前頭葉には「理性」が不足しているに違いない。
この上なく助平なくせに美少女エロフィギュアを毛嫌いするブログ主の態度もこの1点で説明がつく。キレイなネーチャンをベンツの横に乗せてのグルメ旅行をSNSで自慢する、などは自分の場合は当然あり得ない。まあしたくても縁もないのだけれど。
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