sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

なるべく目を使わない趣味-2

耳に意外と長くかかったので分けました。

なので今回は鼻から。

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鼻から、と言われても鼻(だけ)を使う趣味というのはちょっと思いつかない。鼻は利く方だとは思うが空港で密輸品を嗅ぎ当てるほどの能力はない。ビーグル犬に生まれ変わったらゼヒやりたいと思う職業ではある。タバコはもう止めてから20年もたつ。コーヒーは普段はアメリカンと決めている。

お香を焚いて匂いを愛でる「香道」というものがある、とは知っている。香りを嗅ぐに至るまでに相当込み入った道筋をたどることも大体察しがつく。香道に限らず日本古来の芸道ごとは様式や所作を厳しく律することに精神性を見出すものだ。自分が趣味に求める"個性の自由な発露"を差しはさめる余地など前歯の隙間ほどもないのはわかりきったことだ。

中央集権的な世襲の家元制度に至っては聞くだに震え上がる。根が出鱈目な自分は華道茶道俳句その他同様「お師匠さん」と呼ばれる人種には近づかぬことにしている。その方がお互い幸せだろう。

その点自由なのがアロマなのよ、と言われるが「お風呂にはローズのエッセンスを一滴入れますのワタクシ」という叶姉妹的なものは目のやり場に困る。

舌、といえばグルメだ。これが趣味という人は多かろう。

自分も蕎麦好きなのでバイクで出掛けたらつい蕎麦屋を探したりする。ただし蕎麦屋巡りが趣味とまでは思わない。腹具合によってはホットドッグやカレーライスになることもある。

今まで巡った蕎麦屋も「星をつける」などは一切やってない。自分はタダの蕎麦好きであって蕎麦通ではない。無知蒙昧なくせに己の好き嫌いを押しつけるエゴイストに陥るのだけは回避したい。

そもそも”アクティブ&クリエイティブ”の原則がある。ラーメンだろうが高級会席料理だろうが「食うだけ」ではダメなのだ。

ここで「手料理」なるものが思い浮かぶ。

世の奥方様たちはグウタラな粗大ゴミ兼配偶者どもに誘導したくて手ぐすねを引く方向性だろう。確かにこれならアクティブ&クリエイティブである。

しかし自分といえば魚肉ソーセージとマヨネーズがあったらフォアグラもトリュフもいらない、といった類いだから、まあ趣味としては、はなはだしく向かない。「退屈なので”あやとり”をはじめたい」とアフリカ象が言い出したら誰だって止めるだろう。

「蕎麦を打つ」という趣味がある。

それにハマった親戚がいた。自分で蕎麦の実を栽培して粉を挽いて手打ちする。それだけなら微笑ましいのだが、よせばいいのにお盆に集まった一族郎党にその完全自家製"盛りそば"を振る舞うのである。その蕎麦というのが見た目も食感も味も"細切れの粘土"そのものときている。みな随分閉口した。

「ジャリジャリするう」などと不平を言うと

「蕎麦とは本来こういうもんなんじゃ」と開き直ってウンチクを垂れ出す伯父である。

うちの父親などは三男坊特有の太鼓持ち性分だから

「いや、この方が蕎麦の香りがする。お前らが普段食いよんはウドンのねえさんじゃ」

なぞと要らぬお追蹤を言う。

「ほうじゃ、街の子はゼエタクしよってやけえモヤシなんにゃで」

などと親族一同で変な方角に持っていこうとする。世の中をあんな風にはしたくない。

成果物を他人に披露してヒンシュクを買うのはどんな趣味でも良くある話だ。プラモやヘタ絵なら「あーハイハイ上手上手」と言っておけばいいが、こと「手料理」に関しては「ジャイアンのコンサート」に匹敵するほど凄惨な被害を巻き起こす。各位ご留意めされたい。

 

・・・また長くなってしまった。

「身」と「意」は次回