sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

なるべく目を使わない趣味

目の病気を患ってからは「なるべく目を使わない趣味」を模索していると書いた。幸い三回におよんだキョーフの高額眼球注射の効果はありそうだが、この先も眼の酷使を続ければ再発の恐れは十分にある。常軌を逸した細密なプラモ作りなんてのは肺癌患者がハバナシガーをふかすようなもので禁忌もいいところである。

さて眼がダメなら残りを使えばよい。

般若心境にも「眼耳鼻舌身意」とある。

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耳で真っ先に思い浮かぶのが「音楽」である。音楽は大変好きでもはや生活の一部である。じゃあ音楽を聴くのはどうか?いやいやただ聴くだけなら自分にとってはそれは「趣味」とは呼べない。

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ここで自分にとっての「趣味」の定義を明確にしておかねばならない。

自分の「趣味」とはアクティブかつクリエイティブなものでありたい。何らかの発露をもってワタクシという人間の個性をそこに投影したいのである。その成果物を自ら磨き高めていく過程がウヒョウヒョ〜と楽しめるわけだ。

だから受け身一辺倒の例えば音楽を聴くとか本を読むとかは「趣味」ではない。というより自分の場合ライフスタイルレベルである。

物欲は人並み以上にあるが「物を収集すること」それ自体に悦びは感じない。切手も古銭も集めたことはない。カバンも靴も必要に応じて買うだけだ。特定のアーチストのCDをコンプリートするよりはサブスクでたくさんの曲が聴ける方が嬉しい。

(むろん世間一般には音楽鑑賞も読書も切手収集も立派な趣味です。他人がやる分にはなんの文句もありません)

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では例えばビル・エヴァンスのすべてのアルバムを網羅し「60年代におけるジャズシーンにおけるピアノトリオの考察」などを論評したとしたら音楽趣味とは言えまいか、と考えた。

それはしかし「音楽研究」と呼ぶべきではなかろうか。個人の活動としては敬服するが自分はそれを「楽しい」とはあまり思えない。

真摯な態度で研究すればするほど、そこに己の好悪の感情=個性の発揮される余地はなくなるはずだ。かといって「俺の中で5番と言えばフルトベングラーだ。異論は認めぬ」などと言いたい放題になれば好き嫌いを展開するだけのただの自己満足に堕する。

その他に「原音再生」という趣味もありうる。

世間的には「オーディオ趣味」として知られる。自分も以前はやれアンプがどうのスピーカーがどうの随分と凝っていたものだが、最終的にはやはりこれも音楽を聴く「手段」のひとつだ。ある程度満足がいく音が出ればそこで終わる。費用対効果を考えなければ青天井の世界だ。その人の経済状態で趣味の奥行きが決まる、というのはどうもツマラナイ

なによりデジタルテクノロジーの急激な進化は「オーディオ趣味」自体を前世紀の遺物にしつつある気がする。現時点での我が家の最高音質はサブスクHD音源+スマホ+ワイヤレスイヤホンで得られるのだ、嗚呼。

自分が音楽を趣味とするのならそれは「演奏する」ということになる。

ただ残念なことにブログ主が演奏可能な楽器はハーモニカとカスタネットくらいのものである。ギターはFの前に必ず一呼吸必要なのでとても「演奏できる」とは言い難い。実は数年ぶりにギターを引っ張り出してきて弦やブリッジなどを交換してみたが、指が全然動かず、FどころかB7も怪しい。

楽器というものは総じて習得に相応の時間が必要になる。今からやり直すには道が険しすぎるような気がしている。

自分の親友のN大先生は自分で作曲し自分で音源を作成、自分の唄を重ねてCDを毎年製作する。自分など足元にも及ばない。これなど完璧にして至高の音楽趣味といえよう。例えそのCDを誰も聴かなかったとしても、である。毎年送り付けてくるので私は聴きますヨ・・・少なくとも一回は。

長くなったので「鼻」以降は次回