「ハードボイルドが好きなんじゃない、フィリップ・マーロウが好きなんだ」
という言葉がある。
その伝でいけばこういう問い掛けも出てくるだろう。
「オートバイが好きなのか?それともモンスターが好きなのか?」
ふと、自分を振り返る。
自分のモンスターに関して、友から譲り受けた、とか、亡き友との思い出が詰まっているとか、そういったややウエットな個人的感情はそろそろ乾いてきているような気がするのだ。
今度は、自分で自分の喉元に氷の刃を向けてみる。
「俺は"ドカティに乗ってる自分"が好きなだけじゃないのか? 」
"ドカティ”と言うワードに対し心の中に青い憧れのようなものがあるのは否定しない。”750ライダー”に出てくる順平がそうだった様に… いや、いやいやいや、そんな無邪気なものだけじゃないはずだ。
もっとドロドロとしたものが今の自分の心の中でうごめいてる。
「ドカですか!スゴイですね」と言ってほしい…
「カッコいい」と思われたい…
「お洒落ネ、素敵よ」の一言を待っている…
自尊心と虚栄心にまみれた醜い自意識が、心の奥底の黒い沼から目だけ出している。
おぞましくヌメヌメとしてノタくるその化け物めがけ、手にした氷の刃を突き立てる。
次に我が身を見る。
腰の状態、右眼の病気、その他あれやこれやのオンボロだ。歳とともに、大型バイクを大型バイクらしく走らせるのに難儀するようになってきている。来年の干支でなんと年男の打ち止めなのだ。もともとチキンな自分である。事故をやらかす前に降りておくのが利口というものか、と考えなくもない。
「今にローストチキンになっちゃうわよ。私イヤよ、そんなお葬式」
「飛ばないトリはただのニワトリさ」
こんな会話が頭の中で渦巻いている。
少なくとも大型にこだわることもない。”限定解除”なんて昭和の死語だろう。
出川の電動バイク旅のTV番組が好きで、よく見ている。
高速ならひとっ飛びの距離を1日かけて走る。アポも取らず予約も入れず、面白そうなものがあったら気軽にバイクを止める。ゴール地点にたどり着いたらとっぷり日が暮れてた、てな事も結構ある。土地のグルメや名産品なんかよりも、なんてことのない食堂で昔ながらの黄色いカレーライスを食べてる時の方がずっと嬉しそうだ。
あれこそ「旅」じゃないか。
「旅」に長い距離も大げさな速度も必要ない。
バイクのメーカーや排気量なんぞサラっサラ関係ない。
風を切って走ってカレー食ってりゃご機嫌だ。
ヒロトも唄っている。
中古のオートバイ、皮ジャンパー
おまえガソリン、おれカレー
イカすぜ、はやいぜ、オートバイ
なんだ、やっぱり自分は"オートバイが好き"だったんだ。
モンスターを喪っても平気だ、とは言えないが、もすこし小さいのでもオートバイに乗れることが出来るなら、幸せだ。
マーシーが唄っている。
走るために生まれてきて
風とともに去って行くよ
ひとりぼっちのオートバイ
流れ星になっていくよ
ひとりぼっちのオートバイ
忘れられない夢を見たよ
オートバイ/真島昌利
オートバイが好きだ、なかでも一番好きなのは俺のモンスターだ。