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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

昭和10年の模擬空戦

"デボワチーヌD510"は日本に二機輸入され、昭和10年、海軍の"九六式艦上戦闘機"の原型機である"九試単戦"と模擬空戦を行なっている。日本人にとっても比較的親しみのある機体といえよう。"九試単戦"はヨーロッパの最新鋭の戦闘機であるD510相手に模擬空戦で速度も格闘性能も上回り軍関係者を喜ばせたという。

f:id:sigdesig:20210319153714j:plain工房主が小学生の折に愛読していた零戦本にもこのくだりがあった。模擬空戦の折にD510を操縦したフランス人パイロットは機を降りて堀越技師に歩み寄り賞賛の言葉を送ったという。(この辺はどうもフィクションくさい)子供心に「九試単戦は世界一!」と思ったものだ。

 

f:id:sigdesig:20210319153729j:plainその本には"D510"の写真も挿入されており、そのほっそりとスマートな容姿とともに"デボワチーヌD510"という機体の存在を知った。10歳になるかならぬかといった頃だから、えらくマセたガキだったものである。

 

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オトナになった今ではD510の原型D500の初飛行が1932年、"九試単戦"は1935年と知っている。最も技術革新の激しかった当時の航空機開発において、実用段階の現役機に三年後に開発されたプロトタイプが性能的に上回る事のがいかほどの意味があるかもわきまえている。

「そのくらいは当たり前」とは言わないまでも「九試単戦は世界イチー!」と無邪気に喜ぶことでもなかったのだ。原型初飛行で比べれば"九試単戦"はむしろ"メッサーシュミットBf109"や"スピットファイア"とほぼ同時期の機体なのである。

 

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それらの最高峰クラスの名機に比較すれば"九試単戦"の鋼管フレーム構造、固定脚、開放式の操縦席などは今一歩、いや二歩も三歩も及ばない。

とはいえ、全金属の片持ち式の低翼単葉である"九試単戦"が世界レベルに肉迫した初の日本製戦闘機だったことは間違いない。堀越技師と日本海軍は卓抜した先見の明、合理精神を持っていた。同時期に日本陸軍が採用したのが(いささかの情実もあったかもしれないが)複葉の九五戦であることを考えればそれは明らかだろう。

 

f:id:sigdesig:20210319153723j:plain側面形を比べて見るとタウネンドリング式のエンジンカウルや垂直尾翼のラインなどに複葉機時代を引きずる"九試単戦"はデボワチーヌD510よりもいささか古臭く見える。ただし胴体は究極に絞り込まれていて自重は1tほどとD510の2/3程度に収まっている。

 

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平面形では"九試単戦"の方が主翼の設計理念のステージが一段上だとわかる。D510は低翼単葉ではあるが単純な直線翼で片持ち構造にするのが精一杯、と言う感じだ。操縦席部分に切り込みを入れて下方視界を確保するなどに至っては複葉機時代の発想の域を出ていない。水平尾翼も支持架で支えている。これでも1932年当時は最先端だった、とは以前書いた通り。

 

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D510のイスパノスイザ12気筒液冷エンジンは860馬力だが最高速度は意外に伸びず400km/h程度。"寿5型"空冷星形9気筒の600馬力で450km/hを出す"九試単戦"。模擬空戦では速度も上昇力も格闘性能も圧倒しただろう。

 

f:id:sigdesig:20210320101253j:plain前述の軽量化と空力的洗練が「九試単戦」の優位を生み出した。のちに零戦へと連なる堀越技師の設計理念の特徴が現れているのが興味深い。

 

f:id:sigdesig:20210320102005j:plain日本陸海軍がD510をそれぞれ一機ずつ輸入しているのは液冷12気筒とモーターカノンの組合せに興味を示したからだ。"九試単戦"はこのイスパノスイザ12に換装した三号艦戦を作ってはみたが試作に終わる。一方陸軍ではD510を参考に中島飛行機にキー12を試作させた。キー12はI-16によく似た引込脚を持つ意欲作だったが運動性が悪いとの陸軍側の的外れな評価に甘んじる。

いずれにせよ当時の日本ではモーターカノン付き液冷エンジンを量産できる見込みはなく、どちらも実験機的意味合いが強かったようだ。 

 

f:id:sigdesig:20210319153820j:plain主脚も同じ固定式ではあるが片持ち式の”九試単戦”の方がスマート。ステーの必要なD510は、はるかに空気抵抗が多い。 ただし”九試単戦”の主脚タイヤは小さすぎたのか、量産型では大きなものに改変されている。空母での運用や不整地への離着陸を考慮しての事だろう。

 

f:id:sigdesig:20210320101237j:plainさらに鋼管フレーム構造から半モノコックへと進化、3枚プロペラやカウリングの大型化など、より世界標準へと近づいた二号艦戦は事実上の量産型だろう。

 

f:id:sigdesig:20210320175636j:plain左は最多量産型の四号艦戦。実戦を経験し見た目にも逞しくなっている。自重は1200kgを越え、最高速423km/hとやや低下。エンジン選定などで時間がかかり、二型、四型の登場は1938~39年あたり。"九六艦戦"としての実用化には3年以上を要したことになる。

この頃フランスではすでにバトンを引き継ぐ次世代のD520が生まれている。

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引込脚と密閉風防を装備し7.7mmx4門、20mmx1門の重武装に530km/hの最高速。フランス政府がこのD520と模擬空戦させるため実用段階の"九六艦戦"を試験的に輸入していたら、結果は全く逆のものになっていただろう。

…つまりはそういう事である。日本の航空機開発は欧米に対してそれだけのタイムラグがあったのだ。

 

f:id:sigdesig:20210320175650j:plain時系列を無視し、純粋な技術ステージでD510と同列に比較するなら二号艦戦かこの四号となる。実際、D510は中国空軍でも使用された。成都-重慶で九六陸攻の撃墜記録も残っている。この両機、実際に戦場であいまみえていた可能性もある。

のんびりした戦間期の機体、と言ってもやはり戦闘機は戦闘機。漂う匂いに猛々しいものが混じるのは隠せない。 

 

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