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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

完成品画像 N1K2-J "紫電改" 1/72アオシマ

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1944年1月に初飛行した"紫電改"は"紫電21型"という正式名称が示す通り、前作の"紫電"を改良して作られた機体です。

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設計が開始されたのは1943年が明けて間もない頃、"紫電"の初飛行の数日後でした。川西飛行機の設計陣は水上機”強風”から改造した"紫電"の問題点をその完成前から既に把握していたのです。

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紫電の中翼配置、太くて短い胴体や部品点数が見直され、速度や視界、生産性が改善されました。一方、主翼の基本形などは踏襲して開発と量産化を短縮させています。紫電改はわずか1年足らずで完成し、風雲急を告げる戦局に対応することが出来たのです。

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もともとは対爆撃機用の”防空戦闘機”として開発された紫電改ですが、自動空戦フラップによる旋回性能も優秀でした。そのためP-51やヘルキャットなどの米軍戦闘機と格闘戦も可能な”制空戦闘機”としての評価も得ます。のちには空母"信濃"への着艦テストも難なくこなし、零戦に替わる艦上戦闘機としての運用も検討されました。

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やがて紫電改は主力戦闘機として1万機を超える集中生産が計画されます。零戦雷電、烈風などの生産や開発を中止し、全生産力を紫電改に転換する指示が海軍から出されました。

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水上機から応急的に改造、改良した弱小メーカーの紫電改が、時間と費用を存分に掛けた大メーカーの機体達を抑え、ついには主力の座を得たのです。 しかし、最終生産数は400機ほどにとどまりました。その頃、日本はB-29の空襲にさらされるようになり、国内の生産能力は壊滅的な打撃を被っていたのです。

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この新鋭機を集中的に配備し、歴戦のパイロットを集めて編成されたのが有名な第343航空隊でした。

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 四国の松山基地に配備され、レーダーや偵察機で情報を収集し、無線管制で組織的な編隊戦を展開しました。

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343空の紫電改は本土に来襲する米海軍のヘルキャットやコルセアなどの艦載機と渡り合い、まさに一矢報います。 

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優秀なパイロット、高性能な紫電改を備え、それまでの日本軍と違って近代的な迎撃戦を行う343空。米軍は「四国に強力な航空勢力が出現した」と警戒したと言います。

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しかし、それも敗戦まぎわのわずかな抵抗に終わります。戦局に影響を与えることの出来なかった紫電改ですが、米軍機と互角に戦った日本海軍最後の戦闘機として、今もなお語り継がれています。

 


----------------------製作記はこちらから------------------- 

 

sigdesig.hatenablog.com

 

製作者雑感:

紫電改と言えばやはり子供の頃に読んだ「紫電改のタカ」を忘れる訳にはいきません。"紫電-改" なのに「シデン-カイ」ではなく多くの人が「シデンカイ」と続けて発音するのは、この作品の題名の影響に違いないと密かに思っています。

最終回で、叶わぬ将来の夢を語った後、決して還ることのない出撃に飛び立つ主人公「滝 城太郎」と紫電改。丁度その頃、慰問に向かう列車を降りたばかりの滝の母親と幼馴染の女の子が同じページに描かれます。城太郎の好物の”おはぎ”をたずさえた彼女たちの微笑み合う姿で終わるラストシーン。幼かった自分は「やりきれない切なさ」というものを初めて知りました。

 

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