下面の銀塗装がことのほかうまくいったのでご満悦の今日のブログ主である。この勢いをかってスカッと上面色を塗って一気に完成ダー!と鼻息も荒く臨んだのだが…
いつものように薄く溶いたガッシュを乗せていく、、、アレ?うまく塗れん?
乾燥が遅い、ムラになる、グラデーションが出ない。コテコテやってるうちに塗膜が厚く、妙にツヤが出る、、、
ハッと思いつく。「これは前回ヘルキャットの時と同じデススパイラルではないか!」あの時は前々作のコルセアを塗って余ったのを保管しておいた絵の具が原因だった。塗った絵の具を落としては塗り直し、あげく絵の具を一から調色しなおす、というイバラの道を辿ったのだ。関西人の言う「エライ目に逢うたで、ホンマ」というやつである。ま、全部自分が悪いのだが…
今回の濃緑色は何かの余りという訳ではない。訳ではないが調色してからそういえばやや日数が経っている。指折り数えてみると数週間にはなる。ブログ主の生来の横着さに加え、やれ眼が悪くなっただの暑くなっただのと言い訳しては先送りにしていたのが祟ったわけだ。エラい目にあわしやがんのー。
その間に、ガッシュが重合とは言わぬまでも成分が変化したことは十分考えられる。やはり元々アクリル絵具は作る直前に調色しなければいけない。長くて一週間以内が目安か。そいつはマア、分かっていた事だけれど…。塗料瓶をよく見るとなんだかモロモロがあるナ。これを紫電にナスりつけてたわけか、嗚呼…
今回はしかしマット・メディウムを混入するなどして無理矢理押し通した。なのでムラ、ザラつき、ゴミ、傷、筆跡のオンパレードである。それもこれも筆塗りの"味"のウチじゃよフォッフォッフォッ…と開き直ってみても…心の中ではブースカが「シオシオのパー」と言っている。
さらに塗り重ねていけばムラは消えるかもしれないが、ノッペリとしてしまうのでこれ以上は止めておく。幸い日本機、それも南方のフィリピンに展開した紫電だ。ムラムラは日本機特有の外板のウネリの表現でもある。前回の零戦52型ではお上品になりすぎて、わざわざ面相筆でムラを描き加えたくらいだ。それにヘルキャットやコルセアあたりの米軍機と並べた時に、ややクタビレた感じがあった方が往時の紫電のイメージに合っている、などと思い直した。
水綿棒でこすって褪色表現、のつもりがうまく色落ちしてくれない。やはり特性がかなり変化している様だ。ペインティング・メディウムの効果が強く作用したのか?考えようによっては乾燥直後の塗膜強度が上がっているとも言える。これを上手く利用すれば迷彩塗装などには転用できるかもしれない。
ツマヨウジ&綿棒に魔法の液体”マジックリン”で塗装の剥がれを表現する。やり過ぎるとペロリと剥ける。そこは面相筆で濃緑色の縦線と横線を引いて誤魔化す。
アップで光量が多ければこんな具合。クタびれてますなあ。
引くとまあほぼ緑一色。
フィリピン、クラーク基地の紫電は世傑のカラー写真などではかなり塗装が劣化していてハゲチョロケのものもある。日の丸の退色具合からすると廃棄され野ざらしとなってかなり日数が経つのだろう。なんぼなんでもこんなハゲ日の丸で飛んでいたとは考え難い。実戦配備中はもう少し手入れされていたと推測する。
また、水上機が得意な川西機だけに塗装はしっかりしていた、などという談話も残っているようだ。それがいわゆる"青黒い川西色"を産んだのかもしれない。スレハゲは飛行士や整備兵などが触ったり歩いたりしただろう部分を重点的に、目立たち過ぎぬように節度をもって施した。この辺のサジ加減がいつも難しい。難しいが表現の手段と考えれば面白くやりがいもある。ガッシュ筆塗りの醍醐味か。
フィリピンはソロモン諸島や南洋の空母上ほど陽光も強くないだろう(どちらも行ったことはない。どころか自分史上最南端の地は足摺岬である)コルセアみたいにカッスカスに褪色させるつもりはそもそもなかった。結果的にこれくらいで丁度良かったのかもしれない。なんだか後付けの言い訳ばかりしてる気がしてきたナ。我田引水、牽強付会の口八丁モデラーとは俺のことよ。