F6Fグラマン・ヘルキャットは1942年6月に初飛行しました。同時期に初飛行したのはホーカー・テンペスト、紫電などがあります。
2000馬力のP&W ダブルワスプ、F4Uコルセアと同じエンジンを搭載。胴体には巨大な燃料タンクが内蔵され、その上の高い位置に配置した操縦席が特徴の機体でした。
新奇で野心的なコルセアに対して保険機として手堅く無難にまとめた、といわれるヘルキャットですが、立体として手にしてみると同社のF4Fワイルドキャットとほぼ同じコンセプトの正統進化形ということに気づかされます。
主車輪の幅が狭く着艦性能に難があったワイルドキャットの中翼レイアウトを低翼化し、タブルワスプエンジンを搭載すればこの形になるのです。
F6F-3,F6F-5と改良されますが、ほとんど見分けがつかない程度の変更に留められています。多少の性能向上のために生産ラインを乱すよりも数で押し切る方が有利と判断したのでしょう。
艦上戦闘機として要求される離着艦時の良好な視界、扱いやすさ。さらにこの大面積の主翼は高い操縦性能と航続距離をもたらしたのです。
翼面荷重も他の連合軍機ほどは高くなく、旋回性能もそこそこ優れていました。一方、速度性能は600km/h程度と2000馬力クラスとしては物足りませんが、それでも零戦52型などに対して30km/h以上優速であり、日本機キラーとしては必要十分な戦闘機でした。
さらに生産性、整備性、耐久性にも配慮し、航空機としてよりも”兵器”として優秀さを目指したのでした。言い換えれば合理主義の権化、それがグラマン・ヘルキャットなのです。
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