完成へ向けて
デカールが乾燥した頃あいを見計らって最後の微調整。(実際は数日置いている)
全体のバランスを見ながら、彩度を整えたり、国籍マークの白部分にダークグレイで調子をつけてやったり。こういうことは往々にして蛇足となるので控えめに控えめに。
その後、全体にやや薄めたマットバーニッシュ+ペインティング・メディウムを大きめの平筆で縦横斜めに数回塗り重ねてツヤをコントロールする。これでデカールの違和感も抑えられる。それはエアブラシや缶スプレーでコーティングした方が塗膜が均一になって良いのだろうが、やはり筆目の粗さも「味」として残したいわけで……
国籍マークもうまく羽布張りのモールドに馴染んでくれた。これはタミヤの質の高いデカールのお陰です。
いい感じの艶具合になった。この段階になればもうキャノピーのマスキングを剥がしても大丈夫。
……この瞬間がたまらん。
脚、その他をつける。排気汚れなどをパステルで軽く施して完成。
ガッシュは塗膜が弱いので完成してからのウォッシングやドライブラシはあまり使えない。逆に言えば後から褪色カラーを吹き付けたりドライブラシをしたりといった作為的な諸々とは無縁でいられる。自ずから実機通りの色の褪せ方、汚れ方の表現となる。
「無為自然」とはこのことか。
Doing nothing,taking things as they are.
春風駘蕩
今回ほとんど製作工程がなく塗装だけなので気楽だった。なんだか他人の褌で相撲を取ってるような気もするが、あまり覚えていないだけで6年前に途中まで作ったのは確かに自分だ。後ろめたいことは何もない。
こうして昔に作りかけて途中で挫折してしまったキットを押入れから引っ張り出し、細かいことを言わずにちゃちゃっと完成させてやるのもいいものだ。
水性の筆塗りならば楽しい塗装工程だけで完成の達成感が味わえる。
さらに「手をつけたまんまほったらかしにしてしまった」という罪の意識は雲と散り霧のように消える。
過去の挫折が徒労に終わらず、将来の自分への贈り物になるのだからこんな功徳はない。
つまり、
作りたいキットをドンドン作ればいい。嫌になったら途中でやめてもいい。
という発想も成り立つ。
いずれまたそのキットを出してきて再び完成までもっていけばよいのである。その時には過去の己を挫折に至らしめた苦い思い、たとえば工作上のミスや瑣末な実機考証などは忘れ果てているかもしれないではないか。なにも歯を食いしばって嫌々プラモデルを作らねばならん、ということもないだろう。
それは「最新のキットにあらん限りの物量と時間と労力を投入し、超絶技巧を駆使して精密精緻モデルをものにする」という模型作りの王道からは外れる。それどころか当方の小汚い筆塗りの小っぽけなコルセアなど、「スケールモデルとして人にお見せする値打ちがあるのか?」と問われるやもしれぬ。
しかし自分が慈しんで育んだ作品には違いない。他者からの評価など殊更に求めなければそれでいい。
その執着から離れたあかつきには、幸福感、充足感に満ちた模型ライフが待っていよう。
今の自分のとても満ち足りた気分は、峠の茶屋で爺さんが春風の中、ただただ坐したまま煙草をふかしている、の仙境に近かろう。来た道の労苦も忘れ、行く道の難儀さに憂うこともない。
このナナニイお気楽ガッシュ筆塗りを進めていきたい。