ついでにDB601搭載機日本代表として三式戦「飛燕」とも比べてみよう。
飛燕の初飛行はまさに太平洋戦争勃発さなかの1941年12月 部隊配備は1943年6月。
飛燕の細長い主翼が印象的だ。
MC202フォルゴーレが主翼面積16.8m2対し飛燕20m2、と20%ほど広い。特に横幅が1.5mも大きく飛燕のアスペクト比7.2は単発戦闘機としてはかなり大きな値。
高アスペクト比のメリットは航続力と高高度性能、これはB-24やTa152などの例でもわかる。デメリットとしてはロール率、速度性能の悪化とされる。飛燕が対B-29迎撃に回ったのは適材適所か。
液冷倒立V型特有の鼻が下がった精悍な顔つき。本家嫡男Bf109の分家の従兄弟たち、といった雰囲気。倒立V型のメリットは諸々あるが、やはり一にも二にもモーターカノン(プロペラ軸内機関砲)というイメージがある。
通常はエンジン後方に位置する過給器も「そこはモーターカノン様の予約席でございます」とばかりに移動させられて側面に。エアインテイクが左側だけについているのはそれが理由(でしょう)ドイツ人が左右非対称をとりわけ好んだ、というわけではない。...と聞けばドイツ機ファンならコレを思い出して顔を赤らめるはずだ。
ただしこれは技術的に相当難易度が高かったらしく、、、モーターカノンのことだが、、、総本家ドイツ屋メッサー本舗ですらBf109のF型まで装備できていない。当然フォルゴーレも飛燕もモーターカノンは未搭載。(定速プロペラの機構が違うので積めても打てない)フォルゴーレはガソリンタンクが操縦席前にあるのでそもそもスペース的に無理だったろう。
そのレイアウトがフォルゴーレのコクピットがかなり後ろにある要因だ。もちろんMC200サエッタゆずりでもあるのだが、サエッタでは胴体下部にあった第二タンクもラジエーター様をお乗せするため立ち退きを強いられて操縦席前に引っ越してきた。フォルゴーレの操縦席前方はガソリンで満杯だったのだ。
操縦席がこんなに後ろでは離着陸時の前方視界はかなり悪かったはずだ。サエッタは操縦席を全体に持ち上げているのでまだ良かったが、空力抵抗を意識したフォルゴーレでは風防位置が下がったから前など皆目見えないだろう。さほど問題にされていないのは似た様な配置のコルセアと違って空母に着艦するという荒業が必要なかったからかもしれない。イタリア海軍未完の空母「アクィラ」用にはRe2001が予定されていたらしい。
一方飛燕のメインタンクは主翼内、操縦席は主翼中央で前方視界はフォルゴーレよりはまだマシ。どちらも操縦席の後方にガソリンタンクを隠し持つ。フォルゴーレは80ltrだが飛燕は200ltrとデカい。
飛燕のこの胴体補助タンクは実は曲者で、満タンにすると重心位置が狂って操縦が極めて難しかったという。さらに増槽を装備した場合、重量過多となって離陸後は重爆にもついていけないほど上昇力が低下した、という情けない逸話も伝わる。
なんでまたそんな設計をしたんですか土井先生?土井先生!とヒステリックに詰め寄りたくもなろうというものだが、飛燕に対し陸軍からもっと航続距離を延ばせ、という要請があったらしい。だから後から付けたんだ。無理矢理だ。んだがもすんねが皆んな軍部が悪りいんだべ。(このへん、勝手な妄想)
操縦席後方の胴体内タンクで重心が狂って飛ばすのに難儀した、という話は実はレシプロ戦闘機世界絶対王者P-51Dムスタングにもある。アッチは容量300ltrというからさらにスケールが大きい。まあこの隠しタンクのお陰でムスタングは硫黄島から1,200kmも飛んできて日本本土で暴れ回ることが出来たのだから、日本人にとっては実に迷惑千万なタンクである。。。
飛燕の胴体タンクは乙型の途中で廃止されたものの、やっぱり航続距離が不足したのか丁型で復活。ただし容量は95ltrに減らしている。この位の重量ならなんとかバランスがとれた、という妥協点だろうか。そうするとフォルゴーレの補助タンク80ltrは割とイイ線をついていたのかもしれない。
戦闘機の設計者としては重量変化の激しい燃料タンクはなるべく重心位置=主翼の中心あたりにおきたいのが本音だろう。マリオ・カストルディも土井武夫もエド・シュミードも同じ点に頭を悩ませた、と思うと興味深い。