sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

「翼を並べて」マッキ戦闘機シリーズ

 さて模型が完成したら並べて比べてお楽しみのあれこれを始めよう。

 マッキシリーズの変遷「マリオの娘たち」

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手前からMC200サエッタ(稲妻) MC202フォルゴーレ(電光) MC205ヴェルトロ(グレイハウンド)

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以下    MC200    →  MC202    →  MC205  の順に

[初飛行]    1937年12月→ 1940年8月→ 1942年7月 

[部隊配備] 1940年9月→  1941年7月→  1943年2月  

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[最高速] 512km/h →600km/h(5600m)→640km/h(7200m)

[武装]    12.7mmx2→ 12.7mmx2 + 7.7mmx2→ 12.7mmx2 + 20mmx2

[航続距離] 870km→ 765km→ 950km(増槽または燃料搭載量が増加?)

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[最大出力] 840馬力→1,175馬力→1,475馬力 

[全備重量] 2,200kg→ 2,930kg→ 3,410kg 

[馬力荷重] 2.61kg/ps→ 2.49kg/ps→  2.31kg/ps

[翼面荷重] 130kg/m2→ 174kg/m2→  202kg/m2 (翼面積いずれも16.8㎡)

MC200からMC202「世界レベルに」

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フィアット社 A74RC38 空冷星形14気筒 からアルファロメオ社 RA1000RC41"Monsone"液冷倒立V型12気筒へ換装。40%の馬力アップを果たす。

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胴体はMC200→MC202の時点で大きく再設計されている。実はこの間にMC201という存在があったことは以前述べた通り。

sigdesig.hatenablog.com

その他 

MC202の後期型から昇降舵のホーンバランスが採用されている。
動翼の先端部分の出っ張り。作動時に反対側にも空気抵抗を発生させることによって軽い力で操作出来る仕組み。

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 MC202後期型から導入されたものに風防前面の防弾ガラス、操縦席後方の装甲板がある。

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MC202からMC205「重戦闘機への道」

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フィアット社 RA1050RC58 "Tifone"へ換装。25%馬力アップ。

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この機首下に装備されたオイルクーラーにはシビれる。

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元のMC200からだと75%ものパワーアップを果たしたことになる。

この間、主翼水平尾翼垂直尾翼などは変わっていない。

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飛燕、スピットファイアなどは馬力アップに伴い垂直尾翼を増積している。75%も馬力アップしてMC205Vは大丈夫だったのだろうか、プロペラも相応に太くなっているのだが、、、

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尾輪は引き込み式になったが。

実際MC205N"Orione"オリオーネでは胴体後部が延長されている。実はそもそもこの"オリオーネ"こそがDB605搭載機の本命計画である。MC205V ヴェルトロは最小限の改良で応急的にMC202にDB605を積んだ”つなぎ”の機体に過ぎない。

 

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MC205N"オリオーネ"

だが、早急に調達可能で性能的にも”オリオーネ”に優っていた”ヴェルトロ”の方に軍の量産命令は下される。狩人(オリオン)が猟犬(グレイハウンド)に追われてしまった、という逸話、、、は今自分で思いついた。

急場しのぎの戦時応急型が本命計画機をさしおいて正式採用された訳で、何となく工事現場のやっつけ仕事の様にも思えるが、スピットファイアのMk.V やMK.IXなど(Mk.XIIもか)似た様なケースは多い。実はMC201とMC202の関係も同じ。

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「四の五の言わずに積んじまったらコッチのもんさね」「...そうそう」

最後の輝き「5シリーズ」

大戦後半、イタリア空軍はMC205のみならずDB605エンジンに換装した戦闘機をいくつか計画した。本来の順番でいけば名称はMC203、G53あたりになるはずなのだがDB605の5を末尾に取って無理やりMC205、G55などの形式名とし"5シリーズ"と呼んだ。「R計画」といい、どうもイタリア人はこういうイベントネーミングが得意なようだ。Fiat G50やRe2001などもDB605を搭載しそれぞれG55、Re2005となって高性能を発揮した。

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フィアット G55

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レジアーネ Re2005

いずれもほぼ新型機であり、設計、生産準備、機種転換訓練等では小改良で済ましたMC205Vが有利だった。ところがフィアットによるDB605ライセンス生産が停滞しており結果的に部隊配備は1943年にずれ込みG55と差はほとんどなくなる。

なぜDB601での経験があるアルファロメオ社に任せなかったのか疑問ではある。MC200飛行停止問題の時同様、大会社フィアットの陰謀かとも勘繰ってしまうが、イタリア本土空襲などもあり全体的に厭戦傾向が濃く、無理からぬことでもある。技術的にみても、川崎や愛知の例も考えればやはりDB601系のパワーアップは禁断の果実、テクノロジーオタクのゲルマン民族以外にはいささか手に余る代物なのか。

MC200の素養

MC205の存在は日本で言えば一式戦「隼」に「ハ140」と「マウザー砲」を積んで昭和18年初頭に実戦投入できた様なものである。こう聞けば日本機ファンなら"ニューギニアでP-38を翻弄出来る"とちょっと夢見心地になってしまうだろう。

f:id:sigdesig:20200329234600j:plain 隼II型

しかしすぐさま「隼」の主翼武装は無理だったナと目が覚め、3秒後にはラジエーターをどうやって配置するかに悩み始め、その後は機体が1500馬力液冷エンジンに耐えられるかで脂汗が出て、最後に全備3.5tと聞いて「アアソリャ…」と天を仰ぐ。諦めの悪い人は「零戦ならマウザー積めるぞ…」とさらに考証しだすが…

そう考えれば、75%のパワーアップを可能としたのだから、もともとのMC200の基本設計にある程度の素養が備わっていたとみていいだろう。。。見た目はともかく。

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おや、見た目はともかくってのはどういうことだい?

翼をもがれた者たちへ

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レップー、シンデン、ナントカ152などなど、試作段階での高性能機など世の中には掃いて捨てるほど存在する。近代戦争において何より重要なのは適切なタイミング適切な戦力を投入することだろう。第二次大戦のイタリア空軍においてはMC202を中心としたマッキシリーズが唯一それが可能な戦闘機だったろう。

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機体性能的にはそう呼べるだけの資格があったとしてもMC200~205シリーズ総計で2,500機前後という生産数では「適切な戦力」と呼べるほどの「機数」にはほど遠い。これはマリオ・カストルディ技師の理想主義的な設計が災いし生産性をいささかならずスポイルした側面もあることは見逃せない。

しかし空冷エンジンに簡便な羽布張り構造のFiat CR42ですら量産は2,000機にも至らず、そしてそれがイタリア空軍戦闘機では最大生産機種だというのだから、やはりその敗北の責の多くは当時のイタリアの工業力に求められることとなるだろう。

 

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