Macchi C202 "Folgore"
マッキMC202フォルゴーレ(電光)は1940年8月に初飛行したイタリア空軍の戦闘機です。
MC200サエッタの空冷星型エンジンをドイツの液冷V型DB601に換装。端的に言えばメッサーシュミットBf109Eの心臓を移植した機体でした。
これにより840馬力から1175馬力と4割近いパワーアップが図られます。
胴体の空力的洗練も加え、最大速度600km/h 上昇力5500m/6分0秒と高性能を発揮しました。
MC200譲りの高い運動性も合わせ持つ、イタリア空軍機の水準を世界レベルまで引き上げた機体と言えます。
DB601エンジンはアルファロメオ社でライセンス生産が行われRA1000RC41"Monsone"(モンスーン)と名付けられました。
部隊配備は1941年夏。日本の真珠湾攻撃よりも3ヶ月早い時期にイタリア空軍が600km/h級の戦闘機を実戦に投入していた、という事実はもう少し世間に知られていても良いかもしれません。
機体の性能的にも当時のライバルであるハリケーンやP-40などには優っていました。
ただし武装は依然として発射速度の遅いブレダの12.7mm2門にとどまります。のちに7.7mm2門が追加されたものの、連合軍機に比べるといささか見劣りするものでした。
スピットファイアMkIXやP-38,P-47などが登場するとさしものMC202も苦しい戦いを強いられるようになります。
そしてイタリア本土がB-17やB-24の爆撃にさらされるに至り、本機の弱武装は明らかな欠点となってくるのでした。
Macchi C205 "Veltro"
それに対するマッキ社の回答が1942年4月初飛行したMC205Vヴェルトロ(グレイハウンド) です。
エンジンをDB605A相当の出力1,475馬力のRA1050RC58"Tifoneへと換装し、最高速は640km/hに達しました。 機首の12.7mmx2門に加えMG151 20mmx2門を主翼に装備 。運動性能、速度、武装と三拍子揃ったマッキシリーズの集大成となるのです。機体の改修は最低限に抑えられ早期の戦力化が期待されました。
しかしフィアット社によるDB605のライセンス生産が遅れ、ようやく本機が実戦配備されたのは1943年2月。そのわずか数ヶ月後にイタリアは敗戦を迎えることになるのです。敗戦後のイタリア空軍はドイツの傀儡政権である北部の"イタリア社会共和国(RSI)"と連合軍側の南部の"イタリア王国自由空軍"に分裂し、敵味方にわかれました。作品のマーキングは後者のものです。
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