sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

葭(ヨシ)の原

毎日模型ばかりいじっていたら腰に根が生えてしまう。
少し暖かい日があったのでふらりと自転車で走りだした。本当はバイクに乗りたいのだけれどそこまでまだ腰が回復していないので、ガマンガマン。

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淀川の堤防を降りると川岸にこんな道が通っている。

車やバイクは入って来れないのでジョギングランナーや自転車、犬に散歩をしてもらっている老夫婦などがのどかに行き交う。見晴らしもいいし、安全だ。むしろ音もなく猛スピードで追い抜いていく我々自転車乗りが一番危険な存在だったりする。自分は「猛スピード」には程遠いけれど。

超コンパクトのミラーレス、パナソニックGM-5にパンケーキの組み合わせですら自転車だと大層に感じてしまう。久しぶりにGRD-IIを持って行く。やはり小さなミニベロにはこれくらいがちょうどいい。

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このあたりは葭(ヨシ)が群生している。もうすぐ「葭(ヨシ)原焼き」の頃だ。葭(ヨシ)の保全のためだが、大規模な野焼きといった感じになる。

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毎年のこの地域の冬の風物詩だが、対岸の市から洗濯物に灰がつく、などと苦情が寄せられているという。またこのあたりには近々新名神の高架橋が通ることになっている。そうなるとなおさら「葭(ヨシ)原焼き」の存続が危ういだろう。

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「葭(ヨシ)原焼き」までしてこの葭(ヨシ)を守るのはなぜか、というと、環境保全ももちろんのことだが、和楽器のヒチリキのリードに使われるからだ。平安の昔から京の都に近いこのあたりの葭(ヨシ)が質がいいとしてずっと使われ続けてきたという。この地の葭(ヨシ)が危機に瀕していることは和楽器界では実にゆゆしき事態だそうだ。一般的によく知られている用途は夏に立ててつかう日よけのヨシズだが、これは琵琶湖産のものなどが多い。

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葭(ヨシ)というのは葦(アシ)の一種か、と思っていたが全く同じもので、「アシ」は「悪し」に通ずるから「ヨシ」=「良し」と言い換えたのだという。「するメ」が「当たりメ」に「おしまい」が「お開き」になったりするのと同じ、いわゆる忌み言葉の類である。いかにも「言霊(ことだま)の幸きはふ国」といった感じがする。

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葦といえば、
「人間は考える葦である」
といったのはパスカルである。社会の授業でそう習った。なんだか意味がわからない。教師に聞いたら「うるさいとにかく覚えろ試験まであと1週間だぞ」と怒られた。
「人間は一本の弱い葦に過ぎない、しかしそれは考える葦である」というのが本来だそうで、こうなると「なるほどなあ」と思う。

「人間は社会的動物である」
といったのはアリストテレスである。社会の授業でそう習った。こっちもなんだかわからないが、自分はパスカルアリストテレスを対照的に捉えてきた。
ところが「人間はポリス(都市国家)的動物である」というのが本来だそうで、 
"人間というのは、自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物には見られない)独特の自然本性を有する動物である、ということを述べた"  from Wikipedia 日本語版

自分が長く思い込んでいたのとは正反対の趣旨だった。 ”善く生きること”を目指す人同士の共同体、か。。これは我々にはまだまだ見果てぬ夢だ。

 

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ヒチリキやパスカルのパンセなどはあってもなくても日常生活は変わらない、洗濯物に灰がつかないことや新しい高速道路の方が大切だ、という意見がまかり通るのだろう。むしろ「人間は政治経済的動物である」と言った方が当たっているのじゃないだろうか。。。

そんなことを考えながら、ひょろひょろと弱い一本の葦はちいさな自転車のペダルを踏んで家路についた。