sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

妬み嫉み

嫉む、妬む、と書いて嫉妬である。

確か七つの大罪のうちの一つだかなんだかだったと思う。

大罪というほど悪いことか、とも思うが、いざ捨てるとなるとこれが実になかなか縁が切れない。

"嫉妬"とは人間の諸々の欲望とはまた別のところで暗くうごめく不気味な奴なのだ。

 

学生時代の友人がいる。仮にHと呼ぶ。

先頃、このHが業界で非常なる評価を受け、TV新聞紙上などを賑わす著名人となったようだ。

家族や友人知人から、ことあるごとにその話題を聞かされる。

うちの母などは典型的な権威主義者なものだからAの載った新聞の切り抜きなどをわざわざ取っておいて自分に見せたりする。それで自分の努力不足をなじるのだから堪らない。

そのたび自分は機嫌が悪くなった。

アレは昔から金持ちを鼻にかけた、ただの自慢しいだ、とか・・・

ふん、どうせあんな評価なぞ金で買ったのだろう、だとか・・・

友達をころころ替える風見鶏だ、などなど・・・

 

いまさら彼の境遇を羨ましいとは思わないが、何だか腹立たしいのである。

その度にドス黒いものがわが身の中からむくむく頭をもたげてくる。

そらぞらしいインタビュー記事などを見ては、

あんなオカマ野郎がなにを偉そうに言やあがる、などと毒づくのである。

 

一人になって落ち着くと

「人を嫉む妬むなどの感情をもつのは自分が至らぬ人間だからだ」

「彼もそれなりに努力したのだろう」

とも思う。

 

その後自分はなんでこんなに嫉妬にまみれた尊大で臆病な人間なのだろうかと思う。

自分で自分が情けなくなり、夜の街をさまよったりもして余計に自己嫌悪に陥る。

 

ところが、誰に対しても嫉妬を感じるかというと、そうでもないと気づいた。

 

まったく別の友人がいる。仮にJとする。

これまた同級生で同じ様に大変な成功を収めていて、これまた時折TVなどで見かけたりする。

この友人に対してはさまで嫉妬を感じない。

金儲けは大概にして早く日本に帰ってこいよ、なんて思っている。

 

さらに別の友人、仮にT、これが研究で大いに成果を上げたらしい。嫉妬どころかPCの前で思わず歓声を上げたほどに喜ばしい。

次はノーベル賞だ、などと無茶な期待までかけている。

 

はて、この差はどこから来るのか?と思った。

 

我が嫉妬の度合いがH>J>Tなる理由を求めてみよう。

現在の社会的成功の度合いは異分野なので順列つけ難いがあえて言えば、

H>>T>Jくらいなものか。

経済面ではよくわからない。Jは実は莫大な借財があるとも聞くし、Tもその辺はどうなのか。実業家の内情は知れたものではない。その点Hは安定しているだろう。

学生時代の成績ではT>>>H>J位である。これはすなわち勤勉の順でもある。自分はまあHにやや劣る程度である。

実家の金持ち度合いではJ>H Tについてはよく知らない。JとHは言わばボンボンでこれは何かと思い知らされたものである。

Tは優秀なスポーツマンでH、Jは並。自分はまあ論外だった。

誰が一番女にモテたかといえば断然Jでその他はよく知らないが、おそらくドングリだろう。
(Hに関してはそういう方面に関してはやや先鋭的というか異色で知られていた。昨今は何かと問題もあるので言及は避ける)

喧嘩は、、多分全員弱い。

結局、なんだかよくわからない順列である。

 

学生時代に自分が友達として好きだった順に並べるとT>J>>Hだ、と気づいた。

つまり嫉妬の度合いはその人物を好いているかどうか、に反比例することになる。

単純にして明解なことだった。

自分はAが有名人になる前の学生時代から"人として"あまり好きではなかったのだ。

  

今まで嫌っていた人物が成功する、

だからと言って「いやあイイ奴だったよ」などとすり寄るとしたら、

そういう人間はである。

 

今まで好きだった人間が成功する、

だからと言って急に「あんなのクソ野郎だ」と嫌うとしたら、

そういう人間はカスである。

 

今まで嫌っていた人物が成功する、

それが気にくわないのは、人間としてはごく普通ではないか。

 

そう思えばこの小さな感情も許せる気持ちになって来る。

自分は、「聖人君子」ではないのだ。