sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

列車の旅の終着駅

旅の帰り道は物寂しいものだ。
 
「列車一人旅」
と言うと、皆さん「いいなあ、気楽で、ノンビリ出来て」などとおっしゃる。
映画やドラマでは「一人旅」というとユッタリ座席を一人締めして
駅弁なんか突っついて窓の景色を楽しんだりしている画ばかりであるが、
あれはあくまでオハナシであって現実はそううまくはいかない。。。
 

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ひとり旅で隣の席に他人が座るとかえって気詰まりだ。
 4人掛けシート位で斜向かいに妙齢の美人、あるいは人の良さそうな法界坊主
という相手ならば旅も面白くなりそうだが、
そんな三四郎高野聖みたいな展開には残念ながら、ならない。
 
特急「しなの」名古屋行きは混んでいた。
 
途中から隣の席に乗って来たのはでかい(横方向に)リーマン風、
会釈一つせずにドッカと座ったら座席が古くてえらく軋んだが一言もない。
テーブルを出してそこにブリーフケースとジャケットを置く。
なんだかえらく幅をきかす。
ずっと窓に寄りかかっていたが、景色もあまりよくは目に映らなかった。
 
長野を離れると当方も体内の「のんびり回路」も作動を止めるのだ。
 
代わりに「世知辛回路」がチキチキと動き出す。
スキを伺って自分だけ得をしようと抜け目なく立ち回ろうとする社会では
コマネズミがごとくクルクル動いてないと出し抜かれてしまう。                      
 
南木曽あたりを超えると車窓から見えるのはお馴染みの景色となる。
開田から下げて来た弁当をこれ見よがしに食ってやろうと思ったが、
まだ4時にもならないので一向に腹は減らない。
 
やがて列車はどえりゃー大都会にゆっくり飲み込まれていく。
名古屋に着いたのが5時、ついぞ弁当を開く機会がなかった。
なのでこの弁当は新幹線に持ち越しだ。
 
新幹線もすごい混み方だった。京都まではたったの30分なので実にセワしない。
なんだか旅情もへったくれもなくなってしまったが、気を取り直して車窓を見る。
大垣あたりで窓の外には広々とした濃尾平野
はるか遠くにほのかに見える高い山々はどこの山脈か。
ひょっとして御嶽も見えるのだろうか?
 
隣は若い小太りの女性だったので、一瞬ためらったが、ええいままよである。
満を持して開田高原のお手製おふくろ風弁当を広げた。
いやこれは旨い。実に旨い。旨い旨いと平らげてしまった。
そのあと、隣の女性は車内販売のカートを呼び止めてチョコレートを買って
食べてたから、ちょっとした「飯テロ」になったのかもしれない。
酢の物があったから車内には甘酸っぱい匂いが漂っただろう。
 
京都からは丁度ラッシュの通勤電車ですし詰めだ。
ようやく家に帰り着いたが最後の30分が一番辛かった様に思う。
バイクや車での旅の様な達成感はないが、エピソードが多いのが
列車旅なのかもしれない。
 
いつもと違って土産物がないから愛想がないが、
久しぶりに見るヨメさんや息子達に食べてもらえるタピタのスコーン
あって良かった。
 

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 この項、了