sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

蕎麦を求めて開田に跋扈する

朝ごはんをいただきまあす。
オレンジジュースが、パンが、ソーセージが、ヨーグルトが美味い。
ヨーグルトは自家製だそうだ。
食べ物には無知なのでヨーグルトが育てられるものだとは知らなかった。
 

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 天気は上々だ。

「sigさんは天気に恵まれてますね」
とロッジの奥さん。
「そうですか、そうですね。そう、誰が護ってくれてるのか」
ふと皆で見上げる空に雲。
 
オーナーと奥さんにじゃあまた、と言って宿を立つ。
 

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軽自動車のデイズ君はプルルンと開田の坂を転がり落ちていく。
いつものトウモロコシ畑でトウモロコシを買う。
今年はこの週末で最後だよう、とおじさんが言う。
間に合ってよかった。
 

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なんぼなんでもトウモロコシの束を電車では持って帰れない。
箱で買って宅配で送ってもらう。
自分で持って帰らず運輸産業に頼るのはいささか不純な気もするが、これも現代的なお土産の買い方なのだろう。
中には旅の着替えもついでに送って手ぶらで帰る人もいると聞く。
スキー板やゴルフクラブなどは当たり前で今やバイクを送る輩までいるのだから呆れる。そんなの「旅」じゃないやい。
 
開田のトウモロコシは本当に美味い。
レンジでチンするのが手軽だし、甘さが凝縮されるが、ちょっとしなびる。
軽くゆがくとみずみずしさがあっていい。
それでも十分甘いから自分はこちらが好きだ。
本当は蒸すのが一番なんだが、手間はそれなりにかかる。
いずれも皮のついたまま、収穫してから出来るだけ早く加熱するのが肝心。
 
珍しく朝から御嶽が綺麗に見えている。
雲ひとつない空の下、山のパン屋に向かう。
いつもここではカンパーニュを買う。
絵本の中に出てきそうな、不思議なパン屋さんだ。
 
 

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開店時間は過ぎていたがまだ店のドアは開かない。
まあ「信州のんびり回路」が作動中なので、気にならない。
店が開くまでそこにいる羊さんに相手などしてもらう。
 

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そのうち、うさぎさんみたいな奥さんがあらまあと扉を開けてくれる。
スコーンと小さなパンを買う。木の葉のお札とドングリが3個。
そんなことはない。
 

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プルプルとデイズ君を走らせる。
特に行くあては、ない。
今日の御嶽は実に実に素晴らしい眺めだ。
さすがは高原でもうそこらにあるススキをファインダーに収めては
写真を撮ったりしながらそこらをウロつく。
 

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三岳にうまい蕎麦屋がある、特に天ぷらが、ネ。
とのオーナーの進言が昨夜あったのでそちらに回ることにする。
バイクであれば走ることそれ自体が「喜び」だから時間を持て余すことはない。
デイズ君、悪い車ではないが「喜び」にはやや遠い。 
まあ全体に下りだからデイズ君で行っても「苦しみ」とまではいかないだろう。
 
教えられた蕎麦屋は果たして「準備中」の札がかかっている。
蕎麦屋にまともに入れないのがなんだか恒例になってきた。
「信州のんびり回路」が全開フル稼働だから、慌てず騒がず、
近くの「道の駅」に立ち寄る。ここの赤カブが絶品なのだが、
季節はまだまだ先だ。
裏の川の水面の色を楽しんだり土産物を物色したりで時間を潰す。
 

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ここの道の駅の弁当がまた美味いんだよね。
というオーナーの言葉を思い出した。
人の唾液分泌器官をつくのが実にうまい男だ。
だからあんなに美味い料理が出来るのかもしれない。
 
レジの前のトロ箱に無造作に並べられたお弁当、
ポリ容器に入った普通のスーパーで売ってる様なお弁当。
コ洒落た幕内弁当的な観光客用のものではない。
 
中身は山菜おこわに小魚の焼いたのや煮物などが所狭しと入っていて、
「近所のオバちゃんが作った」感が満載だ。地元の人が次々買っていく。
お値段も500円と庶民的。新幹線のホームの駅弁は平気で1500円である。
自分もつられてつい買ってしまった。いやまあ帰りの列車で夕食に。
 
12時も随分と回ったのでもう一度くだんの蕎麦屋に行ってみた。
やはり「準備中」の札は下がったままだ。
これは本日はもうお休みなんだろう。
 
「そうねえ、また来る楽しみができたってことじゃないかねえ」
「信州のんびり回路」がこう分析した。
 
じゃあまあさっきの弁当でも食うかね。
それとも昨日振られた蕎麦屋にもう一度行ってみようか。
時間なら、たっぷりある。 
 
三岳からの登坂路でデイズ君を鞭打つのは気の毒だったから、
木曽福島を通り過ぎてもう一度地蔵トンネルを抜けて開田に戻った。
自分としてもこっちの道の方が好きである。
 
坂を下って古い民家の蕎麦屋の玄関をくぐると今日は無事開店していた。
この店は二度目で前回は名物の「とうじそば」という温かい蕎麦鍋だ。
これはなかなか乙なもんだった。
 

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店は奥が深い。
廊下の奥が大広間になる勝手は承知してるのでずんずん入っていく。
大広間の手前からシリシリと山葵(わさび)をする音が響いている。
 
見ると先客、ショートカットの女性が一人、
凛と正座して静かに硯で墨をするかの様に山葵をすっている。
その様子、所作がまことに美しい。
「俺は男だ!」の女剣士「丹下竜子」の30年後、といった趣きだ。
 
会釈だけして前を通り過ぎ、座敷の対角線の一番離れた座席に陣取った。
だだっ広いところに客は彼女と自分だけである。
自分は湯呑み茶碗でしきりに茶を飲んでは窓の外を眺める。
女性は一心に山葵をする。
良い風が入る。
 
ふと、この、いいな、と思った。何がってその「風情」がさ。
 
この「風情」をとらえるにはどうしたものだろう。
勝手に他人にカメラを向けるわけにもいかない。
ならば絵を描くか。
草枕の画工よろしく、やおら写生帖ならぬ革表紙のトラベルノー
を取り出してみた。
 しかし絵では静かな広い座敷に染み渡るこの「シリシリ」が伝わらない。
 

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五七五ならその両方が満足できるだろうか。
"早乙女"だとか"わさびする"だとか"旧家の広間"だとかの語が浮かんだから
竹墨色のインクを入れた万年筆でクラフト用紙に書き付けてみる。
 
向こうの卓に蕎麦が届いた様だ。
しかめつらしく手帳に顔を埋めたまま
「山葵の君」がそれを食すのを耳で楽しむ。五七五はまとまらない。
 
「アホ、山葵は春の季語じゃい!」なんて脳内の古典教師が叱りつける。
そうやって季語なんぞに縛られる限り、眼前のこの情景は一生描けやしない。
やっぱり俳諧は窮屈だ。
華道も茶道も窮屈なのを典雅と喜ぶ暇人の遊興だと漱石先生が決めつけている。
だつたら俳諧も一緒だらう。
まあ、はなからあまり真面目にやる気はない。
 
そうこうするうちにコッチにも山葵が届く。
小皿に添えられるのは鮫皮おろし。そうこなくっちゃいけねえや。
自分は嬉しくなって万年筆のキャップをさっさと閉め、
シリシリと山葵(わさび)をすり始めた。
ほのかで鮮烈な香りがたつ。
 

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そして「ざるそば」が運ばれてきた。
 

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かみしめると蕎麦のほのかな香りが口に広がる。
これは絶品
香り高い海苔、野趣溢れるネギ、そして今すったこのみずみずしいワサビ
ほんの少しの辛味大根、どれもとても涼やかでそして蕎麦に調和する。
 
ううん旨い、旨い旨い。
 
自分に尻尾がついていたらそいつを千切れんばかりに振って喜びを表現したことだろう。残念なことに直立猿人になってこのかた尻尾は失ってしまった。
 
そしてこの店はざるそばはちゃんと二枚付いてくる。
最初から大盛りテンコ盛り、よりも二枚目をめくって食べる方が
何やら秘め事めいていて自分好みだ。
 

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二枚目を平らげると蕎麦湯が来た。
最近はやりのトロッと濁った蕎麦湯、ではない。
あれは片栗だかが混ぜてあるらしい。
 
ここのはサラリとしていて本当に蕎麦を茹でた後のお湯なんだろう。
これもまたほのかな風味を探りつつ味わう趣きがある。
そばで冷えた腹を蕎麦湯が温める。
ああ、なんとも滋味滋味。他に何にもいらないや。
 

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 気がつくと店の人が斜す向かいの卓を片付けている。
「山葵の君」はとおに蕎麦を終え、いつのまにか席を立った後だった。
自分は女性も五七五も忘れてひたすらこの清冽な蕎麦をすすっていたのだ。
 
旧家の座敷の花より団子、山葵の匂いの片手で蕎麦湯
 
なんだそりゃ。都々逸になってしまった。
 
蕎麦屋を出て街道には戻らずあえて細い道に入り込んでみた。
小学校がある。田んぼがある。山があって空があって他には何もない。
田んぼでは稲穂を干している。
ゆっくりゆっくり慈しむ様にそれらを見て回る。
 

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ドカドカうるさいバイクでも黒いクラウンでもなく、
なんてことのない「軽」だからこそ、こうやって普段の生活に溶け込んで
その土地の道を辿ることができる気がした。
ようやくレール&レンタカーの旅がこの身に馴染んできたらしい。
 
カントリーロード テイクミーホーム
 
Amazon Musicが一回りした様だ。
カセットテープみたいだな、と独り笑い。
 
帰りに昨日は通らなかった道の御嶽の展望台に寄って見る。
昨日は夕刻だったから画面に太陽が入り込んで少し難儀であった。
小さなデジカメのレンズはどうしたって逆光に弱い。
今なら太陽はまだ頭上近くにある。
 

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いいカメラよりも好天に恵まれる方が大事だ、とわかる一枚。
ここからの眺めは御嶽も素晴らしいが、その裾野のたおやかな広がりが

一望できて綺麗だ。

自分は険しい山頂よりもむしろこの裾野のラインが好きだったりする。
八ヶ岳や富士山もそんな裾野が見えるところが良い。
 

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開田にはトンネルがある。
これを抜ける前に道が少しカーブしていて白樺の林がうまい具合に
陽の光を受けている。
 
自分はデイズ君を道端に寄せて車を降り、ここからの写真を撮って
開田の旅の締めくくりとした。
 

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すると一台の車が自分を追い越すや随分と先の方で停まった。
ドライバーが降りてきて同じ様にしてこの風景にカメラを向けている。
 こう言う連鎖は、じんわりと心に嬉しい。
 
追い越すとあっちも軽自動車だった。
アラレちゃんがCMに出ているジープみたいな奴だ。
なんだかアレが欲しくなったじゃないか。なんとも単純な男であることよ。
 
あとは道の駅に寄って土産物を買う。
無論、宅配便で送る。
先ほど買ったスコーンとパンも一緒に送ってもらうという手もあるあるが、
明日になって箱の中でぺちゃんこになって届くのも切ないからやめておく。
 

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駐車場ではハーレーが一台。ハーレー乗りあるある。
「ぺらぺらのアロハシャツ、又はごつい革ジャンの両極端」
 このオジサンはぺらぺらの方だった。
ズッカドッカズッカドッカと塩尻方面に出て行ったが、
この先それじゃ寒いと思うんだがね。
 
さて腕時計を見る。
これも散々迷ってやっぱりいつものカーキ・オートマティックをつけてきた。
ビジネスライクな金属バンドを黒のNATOベルトに替え気持ちカジュアル寄り。
今回はバイクも車も置いて来た。カメラも自分のお気に入りじゃない。
属人器として、一つくらいは慣れ親しんだ「旅の相棒」が欲しかったのだ。
 
東京では1日に何度このフェイスを見たことか。
開田に来てからはあまり見ていない気がするな。
おう久しぶり、何時かね、おや、もうそんな時間になっているか。
 
レンタカーに給油をしたら1000円でお釣りがきて拍子抜けした。
リッター換算で18kmくらいだ。まあノンビリ走らせてはいたが、
上り坂では床も抜けよとばかりにアクセルを踏んづけていた。
ほぼ山岳路を4WDでこれなら上々だと個人的には思う。
 
実はコイツはミツビシが燃費偽装した角で、可哀想にマスコミからは「嘘つきデイズ」などと随分叩かれていた車だ。その後に「毒ガスワーゲン」が出現して影が薄くなった。今ではどっちもすっかり忘れ去られた様だ。
自分もやれ急須だヤカンだと散々バカにしたが、この燃費ならあのおっとり刀も許せる気がする。
 
返却する段になって愛着が湧いてきたが、デイズ君とはこれにてお別れである。
 

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レンタカー屋さんでキーを返却。
そうして、お弁当とパンを両手に下げて木曽福島の駅のホームで列車を待った。