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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

江戸東京たてもの園 後編

前川邸を見終えると、このあとはもう余禄みたいなものだ。
 
ミツイだったかスミトモだったかのザイバツの屋敷にズカズカと上がりこむ。
自分は遠慮会釈もなくTシャツ一丁になった。
爽やかな風が吹いた前川邸と違ってここは蒸し暑い。
ザイバツんちはやたら広いがどうにも陰鬱な邸宅だ、という印象。

 

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ここの見学者の二人連れのオバサマたちが関東弁でうるさい。
ペチャクチャやかましいのは大阪のオバハンだけだと思っていたが
オバサンのよく喋るのは全国共通だと安心しつつもやっぱり閉口する。
 

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 かと思うと、一人で回っているオバサマもいる。
案内人の説明に
「アラ、北枕はいいのよ、だって頭寒足熱なんですもの
などとウンチクを垂れ返す勢いだ。
「んまあ、〇〇じゃない素敵ねえ」
「あーら、こっちはxxだわ、ふうううん」
などなど。
その部屋には自分とそのオバサマ二人しかおらぬというのに、独り言を連発している。
目を合わしてはいけない、とここはドロンを決め込む(死語)
この手のシングルインテリオバサマはあまり京都大阪では見かけない。
神戸には、、ひょっとすると居るかもしれない。
 
お召し物もお言葉もお上品そうであった。
昔は美人だった痕跡も見えるから若い頃は随分周囲からもてはやされたろう。
 
ジツはあのお方は昔このお屋敷に嫁いでこられたお姫(ひ)い様で、
ゆえあって磊落なすったのだが、その頃の栄華が忘れずに毎日ここにおいでなさる。
今ではあんな風に御成り遊ばしたのですじゃ、お可哀想に。
 
妄想はやめにして次へ行こう。
 
次のセイジカのお屋敷。
二階の案内人はこれまたお喋りなオバサン。
観光客をつかまえては得意げにウンチクをひけらかしている。
さっきのインテリオバサマに遭遇すれば壮絶なバトルが展開されるだろうことは
想像に難くない。自分は思わず周囲を見回した。
  

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「花頭窓を座敷にしつえられるのはソーリが何何宗の高い地位にあったからで、
あっちのザイバツの家はお坊様に随分なお布施をしなければならなかったのですよ」
 

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「階段の親柱、これは樹齢何千年の屋久杉です。今ではマア切ることは出来ません。
この時代でも相応の財力がないと手には入らないものだったそうですよぉ。
ザイバツさまの方のお二階にも屋久杉の柱があったのですが、お気づきになりました?
屋久屋久杉ですが、あちらはその年輪がいささか荒うございます」
 
同じ園内だのにセセコマしくも暗愚な背比べをして得意げだ。
そういうことなどに国費を浪しているから、おかしな連中の筋違いの逆恨みを買って
撃ち殺されてしまうのではないのかね、2月の26日まさにこの二階のどこかで。
 

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などと、あまり過激な事を言って官憲の手に陥ってはまずいから止めておく。
ともあれセイジカのお屋敷もザイバツ同様で、建築稼業の自分から見ると
古臭く、悪い見本でしかない。
 
例えば、ミツイ君ちは和洋が入り乱れている。
案内人は「皇室様式です」とのたまったが、和洋折衷のジャムおにぎり状態である。
 

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一方コレキヨ君ち家の玄関は入母屋の庇が旅館のように張り出してバランスが悪い。
玄関の庇の正面に鬼瓦があってこれが異様なまでに大きい。
鬼瓦は本来魔除けである。二十世紀以降においては来客の度肝を抜くという目的が主となる。
それについては大いに達せられているが、その他の方面にはまるで無能の瀬戸物である。

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権勢の視点から見れば尊大だが
美の心を持って接すれば醜悪に堕する
実質の立場から論ずれば脆弱に尽きる。
 
豪華な文金高島田をヒョロヒョロの年端もいかぬ小娘の頭に乗っけてる様なもんである。
 その姿は明治以降の日本国の特徴そのまま、と見ることもできる。
 

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これら二邸の共通するのは、
ある時点のある国の建築物を財力と権力に任せて豪華に飾り立てた、
という点だ。
 
土着的歴史的建築物ではあろうが、いわば住宅の奇形である。
そこには人の住居であることに対する真摯さ、
才能知性の発露、といった普遍的の物は残念なことに毛ほどもない。
建築家の自邸との決定的な差異である。
 
言い換えれば政治家や財閥の屋敷は爛熟した「文化」の集大成であり過去の遺物だ。
一方、建築家の自邸は「文明」の発現した証左であり、人類の未来を照らすものだ。
(「文化」と「文明」の違いについては司馬遼太郎の言が有名だが、自分も同じ意味で使い分けている)
 
ようやく脳内がまとまった。と共に腹の虫が収まった。
ま、ビンボウニンがカネモチの豪邸を見てヘソを曲げてるだけのことだ
 
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この後は明治の交番だの

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看板建築だのを見て回る。

 看板建築というのは店舗住宅で前から見れば洋風。。。

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側面からみれば、正面を看板の様に飾り立てただけで、いままでの和風建築と何も変わらないその有様がわかる。

 

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これも表層だけ西洋の後追いをした明治昭和期の「脱亜入欧」な文化的側面そのものを現している様でおもしろい。

 

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こちらは古い銭湯、

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ここらあたりは自分たちの世代にとっては「歴史」というよりは

まだ「懐かしい」と感じる。

 

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古民家もある。

かまどで煮炊きをするなどの実演もあって楽しい。

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園は広大でさすがに歩きくたびれた。
洋館建築の一つがカフェーにーなっていて、アイスコーヒーで一服する。

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洋館だから、当然女給さんはメイド服であるぞよ。
 

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残念なお知らせとしてはメイドさんは妙齢とは言い難いお歳、という点。
まあこれで若くて可愛ければ客層が秋葉原的に偏ってしまう。
年齢容姿不問が採用要件として妥当と思われる。
 

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そういえば「たてもの園」入場の際に「写真撮影のマナー」みたいなものを渡された。
見ると「過度の露出はお控えください」などとあるから撮影技術のことかと思いきや、公序良俗という語も見られる。
察するに、「コスプレさんお断り」ということらしい。
確かに雰囲気のある建物が多く敷地も広いからその手の需要もあるのだろう。
 
いっそその手合いをやとって下駄履きマントに角帽の大学生風だとか、
袴姿で自転車を乗り回すハイカラさんだとかを点在させておけば
人気スポットになるかもしれぬ。
軍装オタを青年将校に扮させコレキヨ邸の前に集結させたらばこれは不穏だ。
 
馬鹿な想像をしているが足腰はトップリとくたびれている。
いい加減なところで引き上げないと父母兄弟は泣いておるぞ。