sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

墓参

結局自前のiPhoneGoogle mapを頼りにテクテク歩いてたどり着いた。
これではタクシーに乗った意味があまりないではないか。
 目の前にあるお寺はごく普通の町のごく普通のお寺に見える。
親戚の話では「大きなお寺」だそうだが、ハテ?
 
 
京都の寺社仏閣に慣れ親しんだ人間は「大きなお寺」と言われると
つい知恩院大覚寺あたりを想起してしまう。
最初に寺に電話した時に「お墓の場所をfaxで送ってください」と申し出たら「当日ご案内しますから」と言われて大いに恐縮したが、向こうは逆に変なことをいう関西人だと思ったろう。
 
お寺の奥さんに声を掛けてお墓を案内して貰う。
墓地もまあ「幼稚園の肝試しには丁度いい」くらいの広さ。
これならお墓は自力で難なく探せた。
  

f:id:sigdesig:20180322134541j:plain

 
そこに我が祖父達の墓はあった。
 
といっても当家は関東が出所ではない。
元々は兵庫県の山奥である。
始祖は平家の落武者だというが、これはよくある後世の創作家系図だろうと思う。
 
祖父の長男である伯父が亡くなった後、
東京にすむ伯父の長男、すなわち従兄弟の「コーちゃん」が自らの住む地に墓を移転させたのが顛末だ(「引き墓」というらしい)
現在では東京に他の伯母や従姉妹も何人かが移り住んでいるから東軍優勢なのだ。
その伯母の、今後子々孫々はこちらに参るように、というお達しが来たのである。
まるで参勤交代だ。
(伯母は一族切っての秀才で東京にいったのはなんと赤門をくぐったからである。50年以上前で播州の山奥の猟師の娘だからこれはもう女傑と言っていい。なので一族郎党誰もこの伯母に頭が上がらない)
 
墓石の類はみな新調だった。
「引き墓」と行っても兵庫の山奥の墓地から墓石を下ろしてトラックに積み込んで何百kmも運送してきた、のではなかったのだ。無論、そんなことしてたらドえらく高くつくのだろう。引越してきたのは爺さんと婆さんのホネだけだったわけだ。
 
では「お骨」はどうやって運んだんだろうかと思った。まさか白木の箱に入れて首から下げて新幹線に乗るのも気がひける。
後で聞くとまさかの「宅急便」だったそうで、これはさすがに「コーちゃん」親戚中のヒンシュクを買ったらしい。
自分は配送伝票に品名「お骨」「割れ物注意」などと書かれてあるのを勝手に想像して笑ってしまった。
 
まあ「お骨」といってもほぼ灰、ひょっとすると墓の中の土くれのひとつかみかもしれない。となると封筒でも送れそうだ。郵便ポストに爺さんの「お骨」を入れる、というのもなかなか怪奇趣味である。
 
水とお花とお供えと線香をあげて、手を合わせる。
「やれ久しぶりの獲物が来たわい」とばかりにヤブ蚊がたくさん寄ってくる。
これはたまらんからお参りは手短に済ませよう。
 
ええと、、、ああ、孫ですよ。
あなたたちの三男のノブはもう歳なのでね。代わりに孫が来ました。
、、、前の墓は住み慣れた村の景色が一望できたけど、ここの居心地はどうですかね。
オレも多分お参りはこれで最後だからね。
 
「ほうかいや」
 
小学生の頃、自分一人だけで兵庫の山奥の祖父母の所へ行った。
夏休みだかにジーゼル列車を乗り継いで行ったから、
日暮れに祖父母の家の勝手口に着いて夕餉の味噌汁の匂いを嗅いだ時にはホっとした。
二人ともにメガネの奥のちっちゃなちっちゃな目をしばたかせて
「ほうけ、1人で来たんけぇな」と言ってくれた。
 
祖父母の家は戦前からの古い建物であった。
居間の天井板にはその昔、お祖父さんが狩猟用の鉄砲を掃除してた時にうっかり暴発した弾の跡が残っていた。
この真上が丁度若い頃の自分の父親の部屋であったため、魂消た祖父さんが「ノブーッ!!」と叫んで二階に駆け上がると弾は座布団を綺麗に撃ち抜いていたそうだ。
ノブこと自分の父親はあだ名は山猿で、家にじっとしている質ではなく難を逃れた。
東京の伯母みたいに勉強好きで机にかじりついていたら、今頃自分は影も形も無い。
 
その後、就職の折にも身元保証人を頼みに一人で訪れたときには
祖母はすでに亡くなっていて、古い家に祖父は一人きりだった。
 
「ほうか 働くんか」
「うん」
「ま、腹を立てんやねぇで」
 
その時はなんで又そんなことを言うのかと思ったが、歳を経るにつれ、
この言葉が自分の心に響く様になった。
その後、祖父は自分を山の墓地に連れていって一緒に墓参りをした。
ご先祖サマにご報告のつもりだったのだろう。
 
この墓は分家だった祖父が本家より分骨を受けて自分の住む地に立てたものだ。
その10年ほど後に祖父の長男、つまり自分の伯父が墓石を新調した。
今回伯父が亡くなり、その長男、つまり自分の従兄弟がまた墓を新調した。
だから、一世代ごとに墓を新しく建てていることになる。
 
どうもそういう新し物好きの血筋なのかもしれない。
少なくとも墓石屋の上得意であることだけは確かだ。
個人的には墓が新調される度に「思い出」が洗い流されてしまう気持ちがする。
じいさんの墓を後にする。
 
ここの寺には小さな蓮池がある。
この夏の暑さで渇水して水深が浅くなっている。
あちこちで鯉の背がうごめいていて、それが蓮を揺らしている。
 
「枯れ蓮の 動く時きて みな動く」
 
という有名な俳句を思い出す。
自分もこの風情を五七五にまとめようかと首をひねってみたが、
高校の古典の教師の得意満面顔が思い浮かぶばかりである。
不愉快なのでやめた。
 

f:id:sigdesig:20180322140007j:plain

さて帰る。
 
帰りは京王の最寄駅まで歩きだ。タクシーはもうコリゴリだ。
9月半ばだがとても蒸し暑い
エストバッグ一丁の身軽さで良かった。
 
寺の前はバス停があるのだが、これは別方面に行く路線である。
途中駅で降りれば徒歩時間を短縮できるのはGoogle mapで下調べは済んでいる。
と思っていたら丁度折良くバスがやって来たから物は試しと飛び乗った
前から乗るタイプのバスで先に運賃を払うので面食らう。
東京はこうなんだねえ。と思ってるうちに降りるべきバス停を乗り越した。
あれほど綿密に旅程を組んでもやっぱり行き当たりばったりのクセが抜け切らぬ。
 
バス停を降りるとダラダラ坂を下る。
徒歩で来てたら暑い中この坂でへたばっていただろう。
高低上下がわからぬのがGoogleMapの弱みだ。
もっともこれは地図というものに共通した短所だからスマホmapに責はない。
 
お寺でヤブ蚊どもに一体何箇所刺されたのかわからぬほどにあちこち痒い。
坂の途中の薬屋でムヒを買う。
道沿いのうなぎ屋からうなぎを焼く良いにおいがしている。
孤独のグルメなら「ココだ!」と飛び込んでそれが必ずアタリを引くのだが、
ハズレを引いた場合の東京飯屋の物凄さは知っている。
研修や出張で何度も苦汁を文字通りなめてきた自分にはそんな蛮勇はとても奮えない。
 
ムヒを塗り塗り歩いていると小さな駅に突き当たった。
 
ここから京王線
いちいち運賃表の前で硬直しなくて済むiPhoneSuicaの便利さよ。
そして再び吉祥寺に出る。カバンをロッカーから取り出してJR中央線に途中乗車。
高架線路の電車の窓から見るとどこまでも続く街並みに関東平野を思い知る。
国木田独歩が描いた頃の風景とは全く違うのだろうが「武蔵野」を感じる。
 
武蔵小金井で降りる。ここも、そこそこ大きな駅だ。
ここのコインロッカーはSuica対応でスマホ自体がキーになっている。
ほうほう、こうでなくっちゃね。
武蔵小金井はヨメが幼少の頃住んだ街だそうで、画像を送ると随分変わったネとそれでも懐かしんでいる。
 
「花屋のトラップ」と「ナビの子分」のおかげで随分時間を食っている。
ここで昼飯は吉野家にして時短を図る。
東京メシに否定的な自分は、若い頃に出張に出た時の昼食はそんな風に吉野家マクドと決めていた。
夜もどこにも出かけないでコンビニでサンドイッチとおにぎりを買って、
コンクリートの洞窟のようなホテルの一室で缶ビールで流し込んでそれで済ましていた。
 
高くて味の不確実なモノよりも、安くて早くて味がわかってるものがいい、そう思っていた。しかしそれは出張、つまり仕事だから、腹が膨れればいいからではないだろうか。
 
無論、うまくて安いその土地の食べ物に出くわすに越したことはない。
しかし、そんなテレビの情報番組みたいには上手くいかないものだ。
例えば新幹線の車内販売の具の少ないパッサパサのサンドイッチ800円なりを
煮詰めた紙コップのコーヒー300円で黙々と流し込むのも「旅」ではないか。
 
駅弁の乾ききった焼き鯖の切り身や、インゲン豆の胡麻和えを頬張って、コ冷たいご飯を割り箸で掘り起こして、ビニールの半透明の急須に入ったビニールの匂いのするお茶をすする。それが「旅情」ってもんだろう。
 
コンビニの三角サンドやビッグマックや牛丼並玉子の慣れ親しんだ日常の合理主義
非日常的時空間の「旅」に持ち込むのは「無粋」なのではないだろうか。。。
 
日本全国どこへ行っても同じ味の吉野家の牛丼をかき込みながら、そんなことを考えていた。。。