sig de sig

万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

2013信州ツーリング その5 「山のふもとを右往左往」

さて、まだ陽は高い。

下調べして来た御嶽湖から登山口を目指す道を走ってみる。
開田の伸びやかな高原風景とは少し違った趣きの道が続く。
こちらは木曽谷と同じ雰囲気の狭い山間路だ。
道端には墓地みたいなのがいくつかある。

下手の横好きながらもこれで二十代からバイクに乗っていて、
カーブの曲率や道幅などには「一定のパターン」が存在する事を経験から知っている。
先が見えなくても、ガードレールや周囲の景色、状況から大体は予測がつく。

ところがここはなんだか勝手が違う。

変に大きく回り込んでいたり、蛇行していたりしていて先が読みにくい。
どうもリズムに乗って走れないのだ。
セロニアス・モンクのピアノを聞きながらタイプライターを叩いてる感じだ。
妙な喩えで恐縮だが。

こんな見晴らしのいい場所は少ない

見通しは良いのにもかかわらず、相変わらずタイトで、のたくった様なコーナーが続く。
途中からはスキー場らしき場所になった。攻めようと思えば攻めがいのある道かもしれないが、なんだかえらくくたびれたので道端で少し休憩。
どうも調子が狂う、というか気力が萎えるというか妙な脱力感に襲われている。

オフシーズンの平日のスキー場は寂しい。行き交う車も人影もない。
腰のカメラポーチに目を落とす。Nikonの白文字が「ほら撮れ、やれ撮れ」とせき立てる。
もはや、ほぼ義務と化してきた感がある。レンズだ絞りだ色補正だ。うんざりだ。



いい加減なところでカメラを仕舞い、バイクで上がれるとこまで上がってみようと
自分を鼓舞してさらに登って行く。と天候が急変した。
いや、それは自分を中心とした見方に過ぎない。
客観的には山頂にかかる雲の中に「哺乳類の一個体」が入ってきただけのことだ。

田の原の登山口に着く。植物もどこか様相が違う。
全てがモノトーンで一種この世のものとは思えない世界。


風が強く、冷たい雨がバラバラッと降ってくる。
御嶽は荒れている。人の近づく事を拒んでいる、そんな気がした。

あたりには誰一人いない。
なんだか「早く立ち去らないと」という沈鬱とした切迫感に捉われる。
無論、なんの根拠もない。単に気圧の影響かもしれない。
とりあえず、尻尾を巻いてそそくさと引き返すことにした。


スキー場のあたりまで戻ると天候は回復した。
いや、これもホニュールイ君が雲の下に降りてきただけなのだが。
客観と主観の、科学的と情緒的の、理性と感情の両端を行ったり来たりしつつ、
バイクという馬鹿な乗り物に乗った馬鹿生命体が走る。

登りのときにも気になっていた「滝」に寄ってみる。
滝の下には朱に塗った欄干橋が掛けてあり、手前に何かの小屋とノボリが見えている。
有名な滝なのだろうか?
道からは少なからぬ高さがあり、結構な階段を登る必要があると知れた。

もークソ重たいカメラなんか置いてこかいやー、
などと独りスネ言を言ってしまう。
これだけの題材を前にもったいないだろう折角カメラ提げてここまで来たのに、
と自分で自分をなだめる。まだ懲りずにネタ探しをしているのである。

階段を上るとここも誰一人いない。
NikonV1ではシャッタースピードを変えるのに苦心と惨憺を要する。
なんとか水の流れをフレームに納めた。


降りる時に小屋を除くと何やら着替えをする様な場所である。
しまった、ここは修験者の滝行の場だったんだ。
観光地と勘違いしてカメラのメニュー画面ばかり見ていて気づかなかった。
煩悩だらけの穢れた身で何の覚悟もなく闖入したことを一人で恐縮したが、咎める人も、許す人もいない。

来た道を戻って「御嶽を望むいつもの露天風呂」に行く。
はるかビーナスラインからはくっきり見えた山容は、今は雲が掛かって見えない。
ま、そうだと思ってたよ、と今日はゆっくり身体を温める。


いつものペンションに着いた。
いつも通り、オーナーが「はーい、どーも」と素っ気なく出て来る。
その素っ気なさがいい。

いつものおいしい料理をいただく。
ああ、心に沁みるおいしさだ。

「いつもの」が多いと確かにお気楽だ。
気取らず飾らず心地よく過ごせる「いつもの」場所がある。
それでいい、いやむしろそれは幸せなことなのだ。



ペンションの奥さんに今日走ってきた道の話をする。
墓地、と思ったがあれは霊場だと教えていただいた。
御嶽は修験者による山岳信仰が盛んな地で、そんな霊場を迂回して道を造ったそうだ。
それが道が”変にのたくっている”理由だ。なるほどと合点がいった。

また御嶽周辺は非常に滝が多いらしい。
水資源が豊富なことと寒暖の差が激しいことで御嶽の野菜はとてもおいしいのだそうだ。

奥さんは何でもよく知っていて、噛み砕いて丁寧に優しく教えてくれるので
何だか小学生の時のような素直な気持ちになれるのが好きだ。


とはいえ、そういう場所へ「よそ者」が用もないのに大きな排気音をたててバイクで走り回ってきて、走りにくいなどと文句をぶうぶう垂れたかと思うと恐縮してしまう。

古代、神は荒ぶる存在だった。神=御嶽はなんども噴火したろう。
人々はそれを畏れ、敬い、崇めた。

あの滝はそういう聖域=御嶽に入る前に身を清めるための場だったのだろう。
自分はそこに無遠慮に入ってぱちぱち写真を撮ってしまった。
なんだか今日は下足で聖域を踏み荒らしまくったようだ。誠に申し訳ない。

「なんか 写ってるかもしれないよ」

ペンションのオーナーは滝の写真を見て、半分真顔で冗談を言った。

食事を終え、薪ストーブの前のソファに座ってオーナーと杯を傾けつつ話す。
スピーカーからピアノトリオの静かなスイングが流れる。
これが楽しみで御嶽まで来ている様なものだ。

一、二年に一度くらいしか会わないし、他にお客さんがいれば
あまり話をしないこともある。
とりとめのない事ばかりだけれど、本質をきちんと掴もうとする人だから、
いつも心にすうと沁みる話ができる。


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