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万年青二才の趣味三昧、走る、作る、観る、聴く、憩う。

五十になったら革ジャンパー その2「間尺に合わぬ」

「五十になったらトライアンフやな、ええ思わへんけ?」
なんてことを言う奴がいた。
自分にはそんな風な考えはなかったので、代わりに
「俺は”五十になったら革ジャンパー”。。あたりで」
などと答えたのを覚えている。
  

今から数年、話はさかのぼる。

 
歳をとるとモノやことに対して合理性や機能性ばかりでなく、
よりエモーショナルな部分を求める様になる。
自分と一緒に歳をとってくれるものと、持ち主と同じく朽ちていくものと
共に時を重ねたいと思うようになるのだ
プラスティックよりも木や鉄、ナイロンよりも革、という風に。
バイクに求めるものも「ひたすら走る」から「じっくり味わう」に重心を移してきた。
 
自然に革素材のものが身の回りに増えていく。
 
五十になった。
そろそろ、いいだろう。 
革ジャンを、買おう。
 
最近バイク雑誌でよく見かける横文字の小洒落た新興ショップなどのものは、
なんだか妙に凝ったデザインで、自分はあまり好みではなかった。
 
となればやっぱり古くからあるバイク用の店がいい。
色々試着してみるが、どれもやっぱり革が厚くて硬くて重くて鎧の様だ。
当方の貧相な体つきでは腕などブカブカになる。
鏡を見るとまるで百姓一揆である。
 
今の自分を振り返る。
ま、五十のジジイな訳だ。
この先ゴツい革ジャンを手なずけていく体力気力があるだろうか?
 
厚い硬い重い、窮屈で肩が凝る。だから着ない。着ないといつまでも硬い。
そんな悪循環に陥るだろうことは目に見えてる。
そんな調子じゃあ馴染むまで十年、いやもっとかかるかもしれない。
 
デカい牛の命を奪って肉食って皮を剥いで自分の身にまとうんだから、
それ相応の覚悟が必要ということである。
 
高い革ジャン買ってもタンスの肥やしじゃ意味がない。
そう言うことをして平気な顔をしていられるほどの金満家でもない。
「やはり革ジャンは俺には無理か」
そう嘆息し店を後にすることが続いた。
 
そんな、ある時のこと。
 
ツーリングの帰りに京都に古くからあるバイク用革ジャンの店に寄った。
そこでふと目についたシングルライダースの革ジャンの袖を通してみた。
「おっ」と思った。
鏡を見る。
実にシックリきている。
 
不当にブ厚くない。バイク用だからペラペラではないが、ややペラい方だ。
肩のところのデザインに工夫があって腕が動かしやすくなっている。
街着としても使えそうだし、価格も手頃だ。
これなら、着こなせそうな気がする、先の長くない俺でも。
 
その時はバイクだったので持って帰れないから黙って帰った。
次の日車で取って返してめでたく革ジャン購入の運びとなった。